―戦― 04:過去回想 ハンドラー適性
あの検査を受けなければ。
定期的な健康診断を受けるのは、仕方のないことと言えた。
この世界は毒で満ちている。ひとの力では取り除くことのできない未知の粒子マシン・ウラノメトリア。世界に蔓延る、目には見えない毒。
空は灰色の雲で覆われていて、文字だけ残っている『快晴』という意味をルルゥは感じたこともない。けれどそんな世界がルルゥにとっては当たり前のものだった。
世界に満ちるその毒を認識しているのが自分だけだと、知るまでは。
金色の光が、ちかり、ときらめく。
世界があまりにも眩しくてルルゥはいつも目を細める癖ができていた。幼い頃は自分だけに見えているこの世界の奇怪な光に怯えた時もあった。
貴族は平民に比べ、アステリズムが崩れやすい。血筋が尊いからとも言われていたが、ルルゥはそんなことはないと知っていた。貴族だからとか、平民だからとか関係はない。
それぞれ体内にあるウラノメトリアが正常に動いていれば、体調を崩すことはない。
毒は薬だという言葉がある。その通りだとルルゥは思った。
ウラノメトリアが体内にあるからか、人間は病気にならない。病、という概念はほぼ消滅していた。
不調になる理由はウラノメトリアが機能していても庇えない、軽すぎる症状だけだ。例えば、下痢、嘔吐、発熱など。危険な病気のことを知らないので、もしかしたらウラノメトリアでもどうにもできないものもあるかもしれないが。
アステリズムが崩れて大袈裟な反応をするのはほぼ貴族だ。平民は、だいたいが我慢して症状が良くなるのを待つのみだからだ。
発熱が続けばさも大病のように振る舞う貴族たちに、辟易していた。医者の家系とはいえ、ルルゥの血筋はもう役立たずといえるようなものだ。人間に医者は、必要ない段階まできている。
(それでも、出産はさすがにそうはいかない)
助産のために同席していたルルゥは、姉とともに両親の手伝いをしていた。今回の妊婦は男の医者でも文句は言わなかったので、少しだけ楽だ。
自身も経験のある母が妊婦に声をかけている。清潔なお湯をと姉と協力して何往復も運びながら、清潔で綺麗とはなんだろうと何度も思った。
沸かした湯に満ちたそこも、ウラノメトリアの光が点滅している。熱を与えても壊れない。どうすればこの毒が取り除けるのか、わからない。
出産に多く必要とされるのは湯と、清潔な布。布に視線を遣れば、やはりそれもちかちかと光っている。繊維の中に溶け込んでいるウラノメトリアは、この場のなにもかもに、含まれている。産まれてくる赤子にもだ。
出産は病気ではないが、命懸けの行為だ。大量の血液を失えば人間はあっさり死ぬ生き物だと知っているのに、男性はあまりそのことに意識が向かない。輸血すらできないからこそ、怪我でぴーぴー喚く男たちの多いことと言ったら……。
大袈裟な、とこの妊婦の相手も両親に言っていた。いつものことと言えばそれまでだが、いわゆる愛人なのだからこうして医者を呼んでいるだけまだいいほうだろう。
腹に脂肪を蓄えた男は偉そうだったが、ルルゥの目にはその男の寿命が見えていた。
(もってあと二年……)
不思議なもので、死が近い者は光がほぼ見えなくなる。蓄積量が多くなっても、まともに動いていないウラノメトリアなのだから毒とも言えた。そんなものが身体を巡り、降り積もれば細胞を破壊してしまうのは容易に見当がつく。耐えきれない人間は「寿命」と記したその瞬間で、身体を霧散して死ぬ。
とはいえ、出血量が多ければそれだけで肉体の機能は停止し、体内のウラノメトリアが外に出ようとして、また霧散する。貴族は墓地こそあれど、そこに遺体と呼ばれるものはひとつもない。
大切なひとの細胞がこの世にひとつも残らない。継げるのは、結局女だけなのだ。子どもを産んで、生きた証を未来に繋げることができるのは。
特殊な眼を持つルルゥは、唸り声をあげている妊婦を見た。まだ、大丈夫だ。赤子のほうもまだ無事だ。だが人間は突然状態が悪くなって死んでしまう。一番落ち着かない気分になるのは出産だった。いきなり腹の中の赤子が死んだり、妊婦の女がこと切れたりする。もっとも予想できないものが出産である。
いずれどこかに嫁いで子どもを産むことになるだろうが、まったく気がすすまない。実の母親もよくこんなことをしたものだと思っているほどに、ルルゥにとって好ましくないものだった。
はらはらしている姉を見ると、ふいにおかしくなった。
(大丈夫よ、姉さま)
まだ死んでいない。どちらも。
いつか姉もあんなふうに子どもを産むのだろうか。想像はしたくない。
***
女の身体は不便だ。
年齢を重ねるほどにルルゥはその意識が強くなっていった。女であることを憎んでさえいた。
明るくて、なんでも自分がと言い出す姉を微笑ましく見ていても、彼女を守る自分の腕の細さに絶望し、月経がくるたびにおぞましさに吐き気がした。
どうせ姉は婿養子をとって家を継ぐことになる。自分はどこかに嫁に行き、宿したくもない子を産む。やりたいことといえば、姉が幸せそうに笑う姿を見ることだけだった。
「ハンドラー適性がある」
いつもの検査のはず。
そのはずなのに、そう診断した男の言葉に反応してルルゥは咄嗟に睨みつけた。片腕を緩く元の位置に戻していた姉が、呆然としている。
ハンドラー適性。マギナと呼ばれる、人型の兵器を操れる人間に必要な素養だ。ハンドラーになれる人間はそれほど多くはない。実際、ルルゥの周囲でハンドラーになった者など聞いたこともない。
ほっそりとした青白い顔の男は眼鏡を押し上げ、しげしげと姉を見つめた。
「数値に多少は落差がありますが、ハンドラーになれます」
なれます、じゃない。ふざけるな。
ハンドラー適性があって喜ぶ女性は稀だ。特別視をされたい人間か、軍へ行くことが決まっている者なら喜ばしいことではあるが……姉はそうじゃない。
ほぼ余命宣告のようなものだった。一度判断されたら軍への所属は免れない。どれほど高位の貴族であっても。
ルルゥは咄嗟に部屋の隅にいる父親を見た。父は青ざめており、緩慢な動きでルルゥを見返してから視線を逸らした。
(あいつ!)
殺意がわく。
ハンドラー適性が高いのはルルゥのほうだ。それを知っていて姉に告げるということは。
軍に、売った。
確かに幼い頃は奇妙なことを言う子どもではあった。きんいろの雨が降っているなどと、ふつうは言わない。同じ双子なのに、姉のほうが貧弱なんて……信じられない。
軍が欲しいと言ったのはルルゥだろう。だがルルゥは突然その能力を潜ませた。平凡で惰弱な貴族令嬢を装ったのだ。
女であると自覚した、初潮の頃。ルルゥは父親からなにか異質なものでも見るような視線を向けられた。その目が気になって、探りを入れた。
妙なのだと言われた。どこもふつうの人間と変わらないのに、確かにふつうの人間のはずなのに、なにかがおかしいのだと言われた。うまく言葉にできないのだと勝手に思っていたが、どうやら専門機関に相談していたようだ。
(結局なにがおかしいのかわからないけど)
ルルゥが大人しく軍に行くわけがない。けれど手元に置いておくには危険と判断したのだろう。
ハンドラーは選ばれた存在。軍へ行く貴族たちには憧れのものではある。だが貴族の家門にとっては自慢であると同時に、二度と帰ってこない存在になる。だからハンドラー適性が高い貴族は、家名を捨てなければならない者もいる。忌避する者もいるからだ。
上流貴族であるほど、その傾向は強い。
どれだけ家門にとって大事な跡取りであろうと、ハンドラーの素養があれば軍は容赦せずに奪う。資源の少ない世界では、戦力は大事なものになる。他人から、他国から、資源を奪う力になる。
マギナに乗れる者が多ければ、それだけ戦いに有利になる。操縦者のいないマギナなど、ただのがらくたに過ぎないのだから。
ルルゥの家格はそれほど高いわけではない。そして臆病者の父は、家名を捨てろとは言わないだろう。姉を軍に売った父が怯えの色を浮かべている。
母はまだ若い。場合によっては外で子どもを作ることもするだろう。それとも……すでに母は身籠っているかもしれない。
「私が、ハンドラーに……」
戸惑っている姉の言葉は、浮いた声音だった。
姉は、選ばれたことを喜んでいる。
(…………そう)
ならば、自分も続くだけ。姉を守るために、姉を支えるためにマギナに乗ろう。決して自分の才能に気づかれないように……姉の影となり、光に照らされないままでいよう。




