迎撃開始
〈五十鈴ちゃん!〉
切羽詰まったような杏の声に、五十鈴は呼んでいた新聞から顔を上げた。
視界に収まったオフィスの中には、夏樹と春子、協次郎だけ。永汰は本庁で情報交換、杏は、買い出しのはずだ。
〈どうかしたの?〉
〈急いで来て! 喧嘩! 五十鈴ちゃんなら止めれるでしょ!?〉
二言目に告げられた、喧嘩の一言を聞いた時点で、五十鈴は新聞を叩きつけるように置いて駆け出していた。
「すいません! 喧嘩らしいので行ってきます!」
雑居ビルの階段を駆け下りながら、さっき見ていた新聞記事の見出したちが頭をぐるぐると回る。
『球体保有者、一般人にリンチ』
『球体保有者、民家に押し入り五人死亡』
『激化する球体保有者への差別、解決は』
『同時多発テロから一週間、進展見られず』
そう、あの事件から一週間が経った。連日メディアを賑わせていた話題も現在は掘り尽くされ、新たな話題へと移行しつつある。
――――曰く、『赤目差別の激化』
ウロボロス事件以来、球体保有者への嫌悪はうなぎ上りであり、裏路地など歩こうものなら、一般人による保有者へのリンチや、その逆などがごろごろしている。警察官の必死の努力も虚しく、それらは増加の一途を辿り、今では、警察官がリンチに加わる始末。
どこをどうとっても、平和主義を掲げ、治安の良さは世界有数だった先進国の面影など無かった。
〈場所は、オフィスを出て右に曲がって、二つ目の角を左だよ!〉
言われた通りに駆ける。警察ですら諦めがちな喧嘩だが、五十鈴は見逃す気にはなれなかった。行き過ぎるところまで行けば、殺人事件にまで発展するのだから。
殺された方の家族も、殺した方も、どちらも尋常じゃないほど苦しむ事を、五十鈴は知っているから。
せめて、自分の手が届く範囲だけでも、そんな苦しみは減らしたかった。
「こっちこっち!」
大声を上げて飛び跳ねる杏と、心配そうにビルから見下ろす住人。そして、囃し立てる野次馬。それらに囲まれた中心で、殴りあう男二人。
片方の男の目が、深紅に染まった。
途端、男が動かす指の動きに合わせて、もう片方の男が動き始める。自分を殴り、這い蹲り、土下座する。
その男の表情は驚愕と屈辱に染まっていて、自らの意志でやっているようには見えなかった。
「見ての通り、片方が保有者。あっちを止めて」
「分かった」
右手を伸ばし、掌を嗤う男に向ける。照準を合わせるように、真っ直ぐに。
刹那、五十鈴の目が紅く染まった。
芦刈さんが帰ってきたのは、テロから一週間が過ぎた土曜日の夕方頃だった。
「……ただいま戻りました」
「ご苦労様。ご飯は一応あるわよ」
「いえ、その前に報告を」
いつもながらにべも無い返事に、結衣がたじろぐ。
そんなことは意に介さず、芦刈さんと隊長が二人、連れ立ってどこかへと消えた。おそらくは、隊長室だろう。
「ま、先食ってようぜ」
「それがいいだろう。なんにせよ、隊長が戻ってくれば会議だ」
思い思いの席で、夕飯を囲む。俺の右隣は、いつの間にか真弓に戻っていた。何となく、そこに人の気配があると言うのは違うものだと、思い知ったな。
二人が戻ってきたのは、皿洗いすらとっくに終わった後だった。
神妙な顔の二人が戻ってきたことによって、緩んでいた空気が張り詰める。心なしか、背筋すら伸びているような感覚だ。結衣に至っては正座に座り直す始末。
それほどまでに、二人の雰囲気は鋭い。誤って触れようものなら、腕の一歩や二本、たやすく斬れてしまいそうだ。
「総員、モニタールームに集合して」
口調もキビキビとした任務モードだ。どうやら、完璧に臨戦態勢らしい。
「了解」
指示だけ残して踵を返した隊長に、無駄の無い動きで副隊長が続く。慌てて俺と真弓が結衣を連れ、木和田が殿となる。芦刈さんは、その横だ。
モニタールーム内で各々が陣取り、静寂に包まれる。その視線を一身に受けて、隊長はモニターを点けた。
底に表示されたのは、地図だった。
「……千葉……?」
「ええ。これは浦安の、テーマパーク付近の地図よ」
この雰囲気の中、どこかへ遊びに行きましょうなんてボケをかますような唐変木はいない。つまり、これはおそらく……
「――――次の、襲撃予想地点……?」
「ええ。ゴースト」
「はい」
いつの間にか操作端末の傍まで移動していた芦刈さんが、いくつかの操作を行う。
直後、右のモニターに何かが映し出された。
「この一週間、集めた情報によると、ウロボロスの構成員は二十人弱。そのどれもが球体保有者です。また、本拠地も活動範囲も首都圏周辺で、先の同時多発テロは、どうやら最初ということで派手に行った模様。今後は、おそらく関東圏、遠くとも静岡や山梨辺りまでが中心となる見込みです。
それと、次の標的は千葉県のテーマパーク。時刻は三日後の午後九時頃」
これだけの情報を一週間で集めてくるのだから、さすがだ。
「すぐにこの情報をエスパー課にリーク。その後、我々も迎撃に向かいます」
「了解」
緊張で強張った顔で、それでもしっかりと頷く俺たちの中、結衣だけが俯いていた。




