開戦の合図
「五十鈴さん、協次郎君。もう一度だけ言うわね」
「『今回は今までとは危険性が格段に違うから、参加するかどうかはあなたたちの自由。少しでも恐怖心があるのなら、やめておいた方がいいわ』」
絶句した春子の顔を真っ直ぐに見つめ返しながら、五十鈴は言い含めるように声を発した。
「大丈夫。私は怖くない。ちゃんと、自分のやるべき事はわかってる」
今まで目を背けてきた分、ちゃんと世界に返さないと。わがままで自己中心的な、視野の狭い子供をここまで育ててくれた分。
ウロボロス側からの裏切り者によってもたらされた情報。真偽の程は昨日確かめた。
荒事前特有の緊迫感の中、左のこめかみにつけられたヘアピンを撫でる。
相手は、ウロボロス側の球体保有者、おそらく七人程度と予想されている。エスパー課に所属する五人で迎え撃つのは不安も残るが、それでも、やるしかない。
五十鈴の能力は、これくらいにしか使えないのだから。
「僕も、行きます」
「その意気だよ! 怜クンの分も、がんばろ」
久し振りに聞いた怜の名前は、ここに集まった面子の顔に、多かれ少なかれ影を落とした。
「……うん」
怜なら、どうするのだろうか。
そんな摂りとめも無い事を考えながら、五十鈴は大きく息を吸った。
「やっぱり、うちは行けないの?」
「ええ。結衣ちゃんは、私とお留守番ね」
出発時間。モニタールームで最終調整を終えた俺たちは、結衣と隊長に別れを告げ、それぞれ車に乗った。
浜尾さんと芦刈さん、木和田が車。俺と真弓がバイク。俺がバイクと車の免許を取ってから、何故かこの分担が定着した。
理由は、今なら理解できる。おそらく、真弓が根回しでもしたのだろう。
唐突な告白から一週間以上が経過したが、俺はいまだ答えを出せないでいる。
でも、やはり、言うべきなのだろう。
エゴに塗れた、俺の醜い側面を。
「……真弓」
「あら、どうかしたの?」
相も変わらず法定速度の二倍近くで走り去っていく銀色の車を必死に追いかけながら、真弓に告げるべき言葉を探す。
「この間の、こ、告白のことなんだけどさ」
こんな経験をしたことなんてないから、声が震える。
「……ええ」
俺の下腹部に回された腕に、力が込められる。
「俺は、お前のこと好きだ」
告げるべき言葉を探す間、風景は瞬く間に後ろへ過ぎ去っていく。
「でも、人と付き合うとか、彼女とか、そういうことをまったく考えた事無かったから。というか、自分が幸せになっていいのかどうかすら分かってない」
腕に込められた力が少し強くなる。
「だから、どう応えていいか、わからない」
すでに苦しいほど俺を締め付けている腕に込められた感情を、読み取る事はできない。
『……あなたね。ちゃんと気持ちを聞かせなさいよ。じゃないと、何も分からないじゃない』
少し怒ったような、拗ねたような声。その声に促されるまま、自分の発言を振り返って、その言葉の意味に首を傾げた。
『あなた自身の考えとして、私が好きか嫌いか、そういう対象としてみているのか、そういうことを聞かせて』
ゆっくりと、頭の中身を整理していく。まとわりついた余計な感情を払いのけて、その奥の本心だけを。
「俺は、お前のことが好きだぞ。彼女とか、多分、そう見てるんだと思う」
言い終えた途端、下腹部が締め付けられた。これまでとは比べ物にならないほどの強さで、下手すれば引き千切られてしまうのではないかと思うほど。
「ちょっ、苦しッ、え、何!」
『ごめんなさい……嬉しくて……』
涙交じりの鼻声がマイクの向こうから聞こえてくる。それを聞こえていないふりしながら、暗記してあるナンバープレートを追いかけた。
昼間は騒がしく、人でも多い港の倉庫街も、八時を過ぎた現在、暗闇の中に申し訳程度の街灯が光るだけだ。
その中を、足早に駆けていく人影が、七つ。
こそこそと周囲の様子を窺い、早足かつ物音一つ立てないで進んでいく姿は、不審の一言に尽きる。
三叉路で二手に分かれたそれらの人影は、間もなく闇に溶け込んでいった。
ドクン、ドクン。
体内で脈動する心臓の音が、五十鈴自身の耳に響く。
ドクン、ドクン。
周りでは夏樹たちが、一様に強張った表情で薄暗がりに目を凝らしている。
ドクン、ドクン。
協次郎も、五十鈴の隣で拳を握っている。五十鈴自身もヘアピンを精神安定剤扱いだ。
ドクン、ドクン。
カサリ、と何かが擦れる音が響いた。鼓動の音がうるさく響いているはずの聴覚がそれを捉え、みなの視線が一様にそちらへ向く。
「ふん、どうやら情報が漏れていたようだな。作戦変更、奴らを殲滅してから当初の予定に入る」
「了解」
「いいだろう」
暗がりから交差点へと姿を現した男たち三人は、身構える五十鈴たちに見下すような視線をぶつけた。
『前方から接近する人影あり。四つ、すべてウロボロスと予測。接触までおよそ三十』
「了解。……くるぞ。残り三十。迎撃準備」
「了解」
「はいよ」
「了解よ」
開戦の合図とばかりに、前方の暗がりから、人影が一つ現れた。




