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別離

 「確認よ? 猶予時間は三十分。その間に必要な荷物と別れを終えて、戻ってくる事。行き来はまゆちゃんの能力で行うから、移動時間は含まないわ」

隊長の、何度目とも知れない言葉に頷いて、隣の槌田を見やる。……どう考えても、『まゆちゃん』なんてキャラではないと思うんだが。それを言うと殴られるのは証明済みなので、心のうちに留めておく。

「じゃあ、いってらっしゃい」

「ほら、行くわよ」

茶色の上に赤を重ね塗りしたような色、早い話が茶色味がかった赤に変色した前髪を弄りながら、槌田の後に続く。

 現在時刻は午後三時四十五分。今から行ったら、丁度五十鈴が帰ってくる頃だろうか。少し早いかもしれないな。

 「で、どうするんだ?」

司令室も兼ねたモニタールームから出た後、宿舎の部屋に戻ってきた俺たちは、そこで向かい合っていた。

 俺の問いに、槌田が大きくため息をつき、どこか遠くを見つめる。

「今から移動するけど、必要なものは?」

「全部家だな。ゾディアックと戦うのに腕時計しか持ってかなかったから」

「そう言われればそうね。分かったわ。あと、これだけは理解しておいて」

真剣というか、鬼気迫る表情の槌田が俺を視線で射抜く。なんだ、何があるって言うんだ。

「今から『跳ぶ』けど、能力の都合上仕方ないのよ」

頭上に疑問符を浮かべる俺の表情なんて気にも留めず、槌田が一歩近づいてくる。元々一歩と半分くらいの距離だ、目と鼻の先が誇大表現といえないくらいの近距離になる。

 そして、槌田が俺に抱きついた。

 昨日とは違い、全身がくまなく密着する。その温度と香りで脳が酔い、見当識が揺らぐ。

「え……?」

「『跳ぶ』わよ」

俺の疑問に聞く耳を持たず、一方的に宣言した槌田が、強く目を瞑る。

 瞬間、視界が闇に閉ざされた。

 動いている感覚はない。それどころか、今の今まで部屋に立っていたのと同じ感覚だ。ただ、世界が黒くなっただけ。

 それも一瞬のこと。すぐに世界に色が戻る。慣れない目に涙が滲み、すぐに消えた。

「着いたわ」

それだけ言うと、槌田がそそくさと離れていく。

 周囲を見回すと、見慣れた風景に変わっていた。

 どこにでもある住宅街の一角。ブロック塀で囲まれた道と、点々と立つ電柱の落書き。五十鈴にしか懐かない近所の猫。そして、茶色い外壁の、こじんまりとした二階建てアパート。

 二日ほど留守にしていただけなのに、妙に懐かしい俺たちの家。心臓が、大きく跳ねる。

 「何してるの。時間はあまりないわよ」

数歩先まで歩いていた槌田が、俺の方を振り返って辛辣とも取れる言葉を浴びせかける。ただ、そこには昨日ほどの刺々しさはなく、どこか諭すような響きだ。

 だから、俺はそれに従う。

「分かってる」


 ここまでの道程で奇跡的に落とさなかった鍵を差し込んで捻る。電子ロック付きのそれはここ数年で普及したものだ。

 軽い手応えを感じてから、鍵を引き抜いてドアノブを握る。鍵がかかっているということは、まだ帰ってきていないらしい。

 靴を脱いで部屋に入る。槌田も後からついてきて、所在なさげに端の方で直立している。別に、そこまで気を使う必要も無いんだが。

「その辺に座って楽にしててくれ。俺は五十鈴が帰ってくるまで荷物まとめてる」

「了解よ」

返事まで堅苦しい。

 とはいえ、その返事は性分らしく、少し気の緩んだ表情で食卓の椅子に腰掛けている。

「借りてきた猫みたいだな」

「あら、褒められてるわけじゃなさそうね」

槌田の目が、スッと細くなる。その威圧感に慌てて首を横に振ると、呆れたように笑われた。

「そこまで責めてるわけじゃないわよ。ほら、荷造りしなさい」

「はいはい」

箪笥を開け、自分の服やら何やらを取り出す。まあ、とりあえず五日分くらいあれば十分か。後は買い足していけばいい。昨日提示された給与は、それくらいの余裕があった。

 高校の林間学校は五十鈴も我慢できて参加したから、そのときの鞄を使えば大丈夫だろう。後、小さめの鞄に雑貨を入れていけばいい。

 そうやって、荷物を整理しだし、持って行く服の目処がつき始めた、午後四時。玄関扉が、音を立てた。

 鍵を差し込んで回す音だ。当たり前だが開いていると思っていないらしく、一度閉めてから、開け直している。それがなんだか面白くて、小さく笑った。

 その様子に、横から指摘が跳んでくる。

「あら、初めて笑ったわね」

「……そうか?」

「ええ。私が見たのは、引き攣った顔と無表情だけよ」

 そんな会話に割り込んできたのは、何か硬質なものが床に落ちる、衝撃音だった。

 次いで、大して長くもない廊下を全力疾走する足音が響く。階下から苦情が来そうな勢いだ。

「怜ッ!」

居間の戸口に姿を現した五十鈴は、丁度体を起こしたところだった俺を見て、硬直した。

「……怜……?」

「おう、ただいま。といっても、今日は話があってきただけなんだがな」

「その髪……」

言われて、五十鈴はこの姿の俺を見るのが初めてだったことを思い出した。確かに、驚くべき姿だろう。能力のことを知っていれば尚更だ。

「ああ、これか。能力を暴走させた代償だよ。目の色も、髪の色も、もう元には戻らない」

昨日鏡で気づき、俺も愕然としたものだ。これでは満足に外も歩けない、と。まあ、その対策は追々考えることにしている。

「……そうなんだ。ごめんね、私のせいだね」

「お前のせいじゃない。俺がそうしただけなんだから」

「でも、よかった。帰ってきてくれて。行方不明だったから、死んじゃったんじゃないかと思って……!」

今にも泣き出しそうな顔で抱きついてくる五十鈴の頭を撫でながら、これから告げなければならない話を考えて、ため息をつきそうになる。

 槌田の複雑そうな顔と目が合って、視線で急かされる。胸中で大きくため息をついて、五十鈴の頭を数度撫でた。

「五十鈴、聞いて欲しい」

顔を上げた五十鈴の目を正面から見据えて、俺は口を開いた。

 「俺は、指名手配されている」

「……知ってるよ。昨日、現場指揮官の人から話があったから」

「そうか。じゃあ、俺が今まで通りここに住めないのはわかるな?」

五十鈴が、俺を抱く腕に力を込める。

「たぶん、この家も見張られることになると思う。だから、俺がここにいたら五十鈴の迷惑になるし、俺自身捕まることになる」

何度も、何度も頭を撫でる。五十鈴が取り乱さないように。俺がまだここにいることを刷り込むように。

「匿ってくれる人たちは見つかったから、これからはそっちで暮らすことになる。だから、安心して欲しい。俺に何かあれば五十鈴に連絡するよう頼んであるし、学校にも行ける」

五十鈴が、俺の顔を見上げる。そこに浮かぶ様々な感情を直視できず、俺は目を逸らした。

「……ごめんな。俺が勝手に暴走して、殺して、逃げるんだ。本当ならお前と一緒にいれるはずだった時間を棒に振ったのは俺で、それに巻き込んだのは本当にすまない」

「いいよ。怜は私のためにやったんだから。それにね」

今度は、五十鈴が俺の背を撫でる。あやすように、なだめるように。

「怜、なんだか吹っ切った目をしてるよ。きっと、その『匿ってくれる人たち』が、いい人だからだよね。分かった。私、頑張るよ」

気丈な態度で、五十鈴が宣言する。

 どうしようもないこの状況が、恨めしく思えた。

 「……本当なら今年の誕生日にしようと思ってたんだけど、渡せそうにないから渡しておくよ」

やりきれなさを飲み下して、傍の引き出しから袋を取り出す。掌に収まるほどの小さなもの。中に入っているのだって、ふとした拍子になくしてしまうようなものだ。

 「はい。一ヶ月早いが、誕生日おめでとう」

貰った五十鈴は顔を輝かせ、手の中の袋を見つめている。

「それじゃあ俺は荷造りするから」

照れくさくなって、五十鈴に背を向ける。

 中に入っていたヘアピンを嬉しそうにつけている五十鈴を横目に見ながら、鞄に荷物を詰め込んでいく。

 持って行くものを決めてしまえば後は簡単な事。鞄につめて、背負うだけでいい。

「じゃあな、五十鈴」

「うん。またね、怜」

再会がいつになるのかは分からない。けれど、今の精神状態なら、離れても大丈夫だと思えた。

 いつの間にか外で待っていた槌田に声を掛けて、もう一度『跳ぶ』。

 次の瞬間、見慣れた風景は闇に変わった。

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