気圧操作者
十五分後。銀の塗装が施された車に乗った俺と槌田、運転する副隊長、バイクに二人乗りした木和田、芦刈さん。総勢五人は、アパートの駐車場から出て、雑木林へと向かっていた。
車の窓から、アパートを振り返る。都会から少し外れているらしいこの辺りの風景に溶け込む、何の変哲も無い古びたアパートだ。
『音声テスト。しっかり聞こえてる?』
耳元から流れ出したのは、隊長の声。左耳の小型インカムからだ。それが、本部内で指示を出す隊長と繋がっている。他の人たちもそれぞれつけているはずだ。
簡単に返事を返して、前を見据える。次々と後方へ流れて行く車を見て……反射的に体を起こしていた。
「副隊長! これ、何キロ出てんだよ?」
「ああ、今百を越えたところだ」
周囲を見回す。窓の外を飛び去って行くのは、歩道と、ファストフード店。それがすぐ傍にあるということは、ここは高速道路じゃない。一般道だ。
丁度、目の前を法定速度の看板が過ぎ去って行く。曰く、五十。
軽く二倍は出ていることになる。それなのに慌てているのは俺だけで、副隊長も槌田さんも素知らぬ顔だ。
「どう考えてもヤバイだろ!」
敬語も忘れて叫ぶ俺に対して、副隊長はどこまでも冷静だ。
「問題ない。赤色灯がついている」
「何で!?」
「特殊車両を装った方が都合がいいからだ。法定速度で走っていては逃げられる可能性もある」
一応筋は通っている。が、いくら特殊車両とはいえ法定速度の二倍はやりすぎだろう。
「何青ざめた顔してるのよ。これからずっとこうなんだから、慣れた方が良いわよ」
槌田の言葉に、諦めて背もたれに背を預ける。その間にも、車はぎょっとする周囲を追い抜いて進んでいた。その後ろから、ピッタリ芦刈さんたちのバイクがついてくるんだから驚きだ。
「これからそれぞれの配置につく。合図が来たら行動開始だ」
「了解」
「ええ」
車から降りた俺たちは、鉄柵の隙間に作られた人二人分くらいの門の前で待っていた。これから西門に向かうなら、五分はかかるだろうか。
「なあ、つち……ジャンパー」
無言で流れる時間に耐え切れず、隣で微動だにしない槌田に話しかけてみる。返事はないかとも思ったが、予想に反して訝しげな疑問が帰ってきた。
「……何」
「君は何でスフィアフォースに入ったんだ?」
俺と同い年で、女子。であれば、普通に学校生活を送っていて良いはずだ。フォースとて、強制力は無いのだから。
しかし、それに対しての槌田の答えは、にべもなかった。
「私の義母は隊長よ。従うのは当然じゃない」
「はは」のイントネーションと、苗字の違い。おそらく、「母」ではなく「義母」だろう。つまり、こいつも何らかの事情で両親はいないのか。
「……そうか。悪かったな」
「別に良いわ。あなたにも、同じ臭いを感じるものね」
「ご明察」
やはり、最初に俺が感じたあの似たような雰囲気は、間違っていなかったようだ。
そこから俺が更に言葉を繋げようとしたところで、インカムが音を発した。
『総員に告ぐ。現時刻を持って作戦を開始する。各班は即座に行動を開始』
「了解」
綺麗に揃った返答が響いた。
返答の後、槌田を先頭にして鉄柵を乗り越え、下草が踏み分けられただけの獣道を進んで行く。俺が右、槌田さんが左の警戒だ。槌田さんは腰から抜いた拳銃を構えている。ザクザクと草を踏み分ける音だけが響く、耳鳴りのしそうな沈黙。人はおろか小動物一匹見えない周囲の風景。
不意に、道の脇から人影が現れた。
「……ッ!」
気づいていない槌田の襟首を引っ張って、後ろに跳び退る。その瞬間、俺の目の前を何かが高速で通り過ぎて行った。その何かは軌道上に立ち塞がっていた木に衝突し、その幹に穴をうがった。
「今の!」
「ああ!」
瞬時に人影を睨みつける。身構える俺たちの前に現れたのは、フードを深く被った人間だった。濃緑のかなり大きいフードに、動きやすそうなズボン。フードの端からは髪が見えている。
テレビで見た通りの、木田未来だ。
木田は俺に視線を合わせると緊迫した表情で身構えたが、すぐに力を抜く。
「……なんだ。保有者による超法規的戦闘組織と聞いていたが、蓋を開けてみればただの子供じゃないか。日本も堕ちたものだな」
少し低めの女声。耳障りのいいアルトで紡がれる言葉は、響き方とは対照的に辛辣だ。
「ッ!」
咄嗟に槌田が両手で消音機付きの拳銃を構える。それが火を噴くのと、木田が差し出した右手を握るのはほとんど同時だった。
瞬間、視界が揺れる。鳩尾を叩いた衝撃によって、俺と槌田は揃って吹き飛ばされた。唐突な攻撃を前にろくな受身も取れず、獣道に背中を強かに打ちつける。
「がっは! ごほ、ごほ!」
「くううう……」
「あははははは! 堪んないな、その苦悶の表情! もっと見せてくれ!」
調子外れな笑い声と、背筋の凍るような言葉。人を傷つけることに快感を覚えるかのような口ぶりに、竦む体を噛み締めた歯で奮い立たせて、俺は起き上がりざまに右手を振り抜いた。指は二本、狙いは右腿。斜めに振り上げたそれは笑い続ける木田の不意をついたもので、そもそも斬撃をそう易々とかわせるはずが無い。
そんな俺の予想を裏切って、木田は体を半身にするだけでかわして見せた。
ゾディアックのときもそうだ。タイムラグなんてほとんど無い、明確な軌道が見えているはずも無い。なのに、なんでこう容易く避けられるんだ。何が、足りないんだ。
もう一度、木田が右手を握る。その動作が何を意味するのかは一目瞭然。しかし、俺が動く前に、再びそれはやってきた。
俺と槌田の間にある空間が、妙な音を立て、次いで爆発する。今度は左右に大きく飛ばされ、
「うあああ!」
右の肩口から木に激突した。
余勢で即頭部も打ち付け、激痛と共に視界が揺らめく。霞みがかったような視界に、高笑いする木田が映った。
『二人とも! 十分だけ耐えて!』
インカムから流れ出る隊長の声も、どこか遠くに感じられる。
あー、もう、いいか。
そういえば、何で俺はこんなところで戦ってるんだっけ。
五十鈴を守るためじゃない。だって五十鈴は今、ラボで眠っているから。あそこにいれば安全だ。エスパー課の奴らもいる。俺がここにいる理由って何だ? 何のために俺は命を賭ける? 五十鈴がいないのに。俺は、五十鈴を守るためだけに生きているのに。
「何やってるの!! 早く立ちなさい!」
「あっはは! 戦意喪失か? 坊や、まだ早いんじゃないか?」
槌田の怒鳴り声も、木田の笑い声も、すべては遠い世界の出来事。
「あなたの力なら、できるじゃない!」
確かに、そうだな。俺の能力なら、どうにかなるかもしれない。
刹那、俺の脳裏を、一枚の写真が過ぎる。
それは、血の湖。そこに浮かぶ切り刻まれた死体たち。見通しのよくなった工場地帯。
あれを起こしたのは俺だ。四十人以上殺して、周囲を更地に変えて。俺の能力がやったんだ。
そんなことができるのは、人間じゃない。化け物だ。五十鈴を守るためなら、何だって犠牲にする。確かに俺はそう誓ったけど。あんな人数を殺したら、それはもう正当防衛じゃない。虐殺だ。俺は、また人を殺すのか。いや、殺したのか。
――――あの時みたいに。
視界に映る木田の姿が、グニャリと歪む。
槌田が俺の横から消え、次の瞬間木田の背後に現れる。その手に構えた銃を払いのけた木田が、俺に背を向けたとき。
急激な吐き気に見舞われた。
心臓がうるさい。手が震える。細身で低身長の後ろ姿は、いつの間にかガタイのいい、幅広の背中に変わっていた。ぶかぶかのパーカーが、薄汚れたTシャツに形を変える。
饐えた汗の臭いが鼻腔を貫き、荒く乱れた息遣いが耳朶を打つ。
怒号。悲鳴。陶器の割れる音。硬質なものがぶつかり合う音。人の頭が潰れる音。人の体に何かが刺さる音。断末魔。黒板を引っ掻いたような絶叫。
そして、震える五十鈴の声と、良く似た、けれど少し大人びた声。
――――――大丈夫、お姉ちゃんに任せて。
「……い、やだ……」
駆け出した黒髪が、男へと駆けて行く。両手で振りかぶったのは椅子。握られる右手。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。死なないで。逝かないで。置いていかないでくれ。




