破滅の足音
カタン、と、郵便受けに何かが入れられる音で俺は目を覚ました。鈍く痛む即頭部が、睡眠不足を訴えてくる。
テーブルに投げ出された携帯を取って、電源ボタンを押す。が、画面は真っ暗なままだ。ゆるゆると首を捻ってから、昨日の朝以来充電していない事に気づく。どうやら充電切れみたいだ。
仕方なく起き上がる。昨日、布団代わりに包まった五十鈴の洗濯物がばさばさと床に落ちるが、拾う気力は無かった。構わず放置して、時計を探す。背中が痛い。どうやらフローリングは眠るのに適さないようだ。
いつも使っている腕時計をはずしていた無かった事に気づいたのは、それを探して部屋を一周した頃だった。ついでに、携帯を充電器に挿す。三回失敗したのは、指先が震えているからだろうか。
腕時計が示す時間は午前五時。眠る前に確認した時刻から一時間経っていない。道理で頭が酷く痛いわけだ。
それでも、もう一度眠る気にはなれなくて、台所に向かう。コップに汲んだ麦茶を飲み干すと、余計空腹が酷くなった。仕方なく、冷蔵庫を漁る。料理なんて出来ないし、する気も無い。そして道具の在り処も不明だ。残っていたもやしとレタスを申し訳程度に加熱して、そのまま食べる。青臭さが口いっぱいに広がるが、やけくそになって嚥下した。
意地で空にした皿を、流し台に突っ込む。洗う気分には慣れなくて、そのまま水につけておくことにした。そういえば、洗剤やスポンジの場所も知らない。台所は五十鈴の城だったからな。俺は皿を出したり運んだり、どんなに複雑な手伝いでも、言われた形に材料を切るくらいしかやった事が無い。もう少し手伝うべきだっただろうか。
俺が布団代わりにした服だってそうだ。もっと年相応に気を配ればいいのに。それに使う分くらいの仕送りは貰っているんだから、言えばいいのに。俺が無理にでも買わせるべきだったか。
何をするでもなく、さっきと同じところに寝転ぶ。俺の携帯の隣で、手持ち無沙汰に遊んでいる五十鈴の充電器が見える。視神経と繋がっていないはずの心が痛くなった。
五十鈴を失って、二日目。もちろん取り戻すが、もう一度あの体を抱き締めるまで、何日かかる?体温を感じないまま何日過ごす?答えが出るはずも無い。不確定要素が多すぎる。
そして、五十鈴自身の事もある。俺はおろか知り合いも味方もいない。いるのは敵だけ。そんな状況に、何日耐えられる?そんなに長い時間耐えられるはずがない。超能力を持っていようが、戦闘を経験していようが、本質は中学三年生の女子なんだ。それも、内向的でコミュニケーションが苦手な部類の。俺が護ってやらなきゃならないはずなのに。どうして五十鈴は危険な目にあっていて、俺は家で絶望の淵を歩いている?どうして俺だけが安全な場所にいる?どうしてこの家に五十鈴はいない?
夜中、瞼を閉じるごとに浮かび上がっていた光景が、再び現れる。
それは、傷ついた五十鈴の姿。斬られた姿。あるいは焼かれた姿。殴られ、絞められ、撃たれた姿。ありとあらゆる殺害方法で殺された姿が、一つずつ浮かび上がってくる。
――――なんで助けてくれなかったの?
その一つ、首元を滅多刺しにされたものが、ぎろりとこっちを向く。それは五十鈴の顔ではなく、良く似た少女の姿へ変わり、そして、恐怖に目を見開いた薄汚い男の姿へと――――――
勢い良く頭を振って、今の妄想を拭い去る。
顔を洗うために、洗面所へと向かった。
ほぼ同時刻。
いつもの布団とは違う硬い感触に違和感を覚えながら、五十鈴は目を覚ました。すぐに、ここが自分の知っているどことも違う事に気づく。錆の浮いた天井、所々はがれかけた壁。床にはよく分からない金属や石などがいたるところに転がっていて、階下ではかなりの人数が騒ぐ声が聞こえてくる。お世辞にも、清潔感があるとは言いがたい。
そして、四肢がまったくと言っていいほど動かなかった。ガムテープのような、粘着性のあるもので固定されているのだろう。それに関して、五十鈴は特に驚いてはいない。目覚めてすぐの記憶の混乱は無い。自分がどうしてここにいるのか、はっきりと覚えていた。
怜が崩れ落ちたとき、五十鈴はナイフの軌道上から離れたところだった。ナイフからゾディアックへと対象を変えたときにはもう、ゾディアックは怜を気絶させ終え、五十鈴に向き直った後だった。
怜の援護も無い五十鈴が、勝てるわけも無く。腹部への痛みと共に、五十鈴の意識は途切れている。
「おや、お目覚めかな?」
四肢を拘束するガムテープをどうにかしようともがく五十鈴に、声が掛けられた。その主は、疑う余地も無くゾディアックだ。カンカンと金属の足場で澄んだ音を立てながら、五十鈴が転がされている二階へとあがってきた。
「無言かい。少しは会話を弾ませようとは思わないのかい?」
「……ここは」
「廃工場。詳しい位置は省かせてもらうよ。君の状況を説明しよう。君には、囚われの姫として勇者をおびき寄せる働きをしてもらっている。この魔王の城へとね」
城どころか、真っ当な建物だと名乗る事すらおこがましいような、配管が飛び出た壁をバックに両手を広げる。
「一週間以内に、君を助けにエスパー課が来るはずだ。それまで、窮屈だろうが我慢してくれたまえ」
そこで、ゾディアックのポケットが震える。どうやら電話のようだ。
「私だ……ああ、君か。どうかしたのかい?……なんと、それはいささか不愉快だね……いや、直接掛け合うことにするよ。情報提供感謝するよ。それじゃあ」
誰と話しているのか見当も付かないが、そんな事を考える頭の余裕も無い。廃工場の床は冷たくて、体温が奪われるのが早い。怜のいない生活を一週間なんて、耐えられるはずが無いのに。せめて、声を聞かせてほしいところだが。
(五十鈴ちゃん!聞こえる!?)
その声は唐突に、空気を震えることなく響いた。直接五十鈴の意識へと。
(やっと通じたー!今どこだか分かる?)
(廃工場だって。場所は教えてもらえなかった)
(そっか。三日以内に助けに行くから、それまで我慢して。ゴメンね)
(大丈夫。怜は?)
(大丈夫だよ。それから、何か分かる事ある?)
(階下に、数十人くらい人がいるよ。すごい騒いでる。手下みたい)
それを伝えたとき、杏が息を呑むような気配がした。
(それと、ゾディアックには情報提供者がいるみたい)
(分かった、ありがとう。じゃあまた後で。ごめんね、それと、がんばって)
それっきり、脳内に感じられた気配が消える。またしても、床の冷たさのみとなってしまった空間で、五十鈴は一人体を丸めた。




