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喪失

 俺が寝ていた部屋は、ラボの一室だったらしい。杏さんに引かれるまま廊下を進むと、突如見覚えのある出入り口に出る。能力の調査にきたとき、説明を受けたラウンジだ。

 そこに座っていた課長、春子さん、藤波さんの三人は、俺を見て一様に安堵した表情を浮かべ、そしてまた気難しい表情へと戻っていく。様々あるようだ。

「起きたのね?大丈夫?」

「ああ。全身だるいけど、それ以外に変なところはない」

「そう。よかったわ。その様子だと、杏から話は聞いたみたいね?」

春子さんの問いに、首肯を返す。途端、藤波さんがテーブルを殴った。

「クソッ!何だあの言い草。あーだこーだと綺麗事並べて、結局は自分たちの保身しか考えないじゃんか」

「そういうな。奴らはあれで気苦労もあるのだろう」

怒り心頭といった様子の藤波さんを、課長が宥める。その横で春子さんが苦笑しているところからすると、最早馴染みとなった光景らしい。

「怜クン、これが君の携帯。中にゾディアックから伝言が入ってるから、聞いて」

「ああ。分かった」

 持ちなれた携帯を操作して、留守電メッセージを表示する。確かに、昨日の昼間、瀬上の携帯からメッセージが残されている。

 それにまつわる記憶が俺の心臓を蹴り上げるが、無理やり押さえつけて、再生の文字に触れる。一昨日――俺の感覚では昨日だが――聞いたばかりの人を食ったような声が、流れ出す。

〈やあ、元気かな?電話に出ないと言う事はまだ寝ているのかも知れないね。命に別状は無い傷のはずだから、一応元気だという仮定の下で話をさせてもらおうか〉

俺が再生したのに気づき、残り三人の意識もこちらへ集中しているのが感じられる。

〈君の愛する幼馴染は、私が責任持って預かってるよ。心配しなくていい、傷一つつけてないどころか、客人待遇だから。もっとも、手足の自由は奪わせてもらってるけどね。で、本題だ。君は彼女を取り戻すつもりがあるのだろう?だったら話は簡単だ。来たまえ、取り返しに。私は逃げも隠れもせず、君を待とう〉

それだけでは、居場所が見つからない現在、どう対応すればいいものかわからないではないか。拍子抜けするほど、ただの犯行声明だな。

 と思っていたら、数拍の間を空けて、話は続いた。

〈とはいえ、これだけでは私を見つけられないだろうからね。ヒントだ。私は廃工場で君を待つ。場所は、七から十区のどこかだ。これ以上は面白くないだろう?そして、タイムリミットは一週間後だ。どうだい?スリル満点だろう?分かっていると思うけど、タイムリミットに間に合わなかった場合、もしくは私との戦いに敗れた場合、彼女、そして君の命は、無いと思いたまえ。それでは、失礼するよ〉

そこで録音が終了する。あまり、交渉の武器になりそうなものは無かったな。期待があった分、落胆を禁じえない。そして、失望も。

 「八から十区にある廃工場は、そこまで多くないわ。だから、今杏が防犯カメラをチェックして、その周辺にゾディアックらしき人影が無いか確認している最中よ。それと、同時進行で周辺の聞き込みを行っているわ。下手に頭を巡らせるより、虱潰しの方が早いときもあるから。後一日か二日でいくつかに絞り込めるはずよ」

その点に関しては、警察の調査力を信じるしかない。数日中には、ゾディアックの居場所を発見できるだろう。

 が、問題はそこじゃない。

 「課長」

「何だ」

「俺に、上層部と話をさせてください」

 空気が凍りついた。

 一気に氷点下まで気温が下がったように、チリチリと肌が灼ける。俺にそう感じさせる雰囲気を放ったのは、言うまでも無く課長だ。当事者である俺と課長以外、おろおろと、あるいは泰然と、あるいは成り行きを楽しむように、見守っている。

「理由は?」

短い問いかけ。が、そこに込められた威圧感、圧迫感、そして真剣さは、言うまでも無い。

「俺は家族の命がかかってます。ここまで深入りして、今更これ以上は関わるな、なんて納得できるとでも思ってるんですか?俺がただの高校生なら、それで納得するかも知れません。けど、そうじゃない。一度とはいえ犯罪者と相対して、倒す方法も持っている。子供を巻き込みたくないのは分かります。そして、今の状況が芳しくないのも。だからといって、俺を門外漢扱いするのはおかしくないですか?俺たちを除け者にするのは置いておいても、せめて五十鈴を助けるくらい、俺にも一枚かませてください。たとえ不可能でも、又聞きじゃない、相手の話が聞きたいです。そこに加えられたニュアンスも含めて」

長いスピーチが終わり、ほっと息を吐く。断られたとしたら云々は、今口にするべきじゃない。せっかく話せる可能性があるのに、それを自ら潰すのは愚か者と誹られても仕方ないだろう。そんな事はしない。

 無言の間。課長が何を思って俺を見ているのか、定かではない。いつも通りの無表情。この提案に否定的か肯定的か、それすら読み取らせない、鉄面皮。いつもなら咄嗟に顔を背けたくなるような視線も、今は真正面から受け止めた。

 俺にとって、永遠にも感じられる沈黙。それは、課長の言葉で破られた。

「……いいだろう。二日後、その機会を設ける。日時や場所は追って連絡する。今は帰れ」

今度こそ胸を撫で下ろす。実を言えば、断られる可能性のほうが大きかったと思う。杏さんたちの話を聞いていて、そんな印象を受けた。一介の高校生が面会を求めることすらおこがましいような、上部組織。

 が、今はそんな益体も無い事を考えている場合じゃない。帰れと言われた以上、それに逆らうのは下策。今は大人しくそれに従うべきだ。

「分かりました。失礼します」

一度頭を下げて、ラボから出た。

 空調の効いた建物から出た途端、風が頬を撫でる。さして強くも冷たくも無いそれに微かに残った体温すら奪われてしまいそうで、俺は足早に敷地を出た。

 無意識に、左手が五十鈴を探している。どれだけ探しても、そこに五十鈴はいない。そんなこと、とっくのとうに理解しているはずなのに。俺自身の行動によって五十鈴の不在がこの身に焼きついてしまうなんて、皮肉なものだ。

 肩に衝撃が走り、全身が傾いだ。

 その原因が人にぶつかったからだと気づいたときにはもう、相手は遥か後方に歩み去っていた。

 ゆっくりと周囲を見回す。いつの間にか、家の近くまで帰ってきていたらしい。今ぶつかったのも、近所に住んでいる男性だ。よく見かけるから分かる。

 ただ、どこをどう通ってここまで帰ってきたのかは、どれだけ頭を捻っても思い出せなかった。

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