宣告
瞼を開けると、見覚えのない天井だった。今まで眠っていた目を強烈な光が射抜き、涙が滲む。俺は、何をしているんだ?
その問いの答えは、すぐに出てきた。薄ぼんやりと霞がかった思考が急激に晴れ、記憶が呼び戻される。
倒れる藤波さん、動かない金子、嗤うゾディアック。迫るレイピア。
そこまで思い出したとき、右肩に痛みが走った。
慌ててそこに目をやっても、傷は見当たらない。その部分だけ服が破れているが、その下の体は驚くほど綺麗で、無傷だった。今の痛みは、幻覚だ。
が、今は自分の体なんてどうでもいい。たとえ右肩から先が無かったとしても、俺はそのことについて悩み苦しむことはなかっただろう。それよりも優先順位が高い事があるのだから。それを確認するまでは、自分の体は後回しだ。
布団を跳ね飛ばして起き上がり、周囲を見回す。簡易ベッドが数台並んだ白い部屋。俺以外に、人間は見当たらない。
五十鈴。五十鈴五十鈴五十鈴。アイツがいない。この部屋の外で何かをやっているかもしれないし、家で帰りを待っているかもしれない。オフィスで説明をしているかもしれない。どれも現実味があって、頭から否定する事など不可能だ。だが、俺の直感は違った。
五十鈴は、攫われた。
誘拐、拉致、拐引、他にも言葉はあれど、意味は一緒だ。ゾディアックの手に落ちた。俺がのんきに眠っている間も、そして今なお、五十鈴はどこかに監禁され、恐怖しているはずだ。
なら、一刻も早く取り戻しに行くまで。
ベッドから体を起こし、裸足で床を踏む。冷たさが頭をすっきりとさせ、思考にアクセルをかける。
縺れる足に鞭打って、部屋のドアに飛びつく。全力で引っ張ると、そんなものを必要としないほど何の手ごたえも無く開き、
「きゃっ!」
その反対側でドアノブを握っていた杏さんを引きだした。
飛び出してきた杏さんは俺の顔を見るなりベッドに押し戻し、自分はその横の丸椅子に腰掛ける。そして、安堵を前面に出して笑った。
「目が覚めてよかったー!一日寝てたんだよ。だから今日は日曜日」
「心配どうも。で、五十鈴は?」
俺の性急過ぎる問いかけを受けて、杏さんが表情を固くする。その理由は、嫌でも分かる。
「誘拐されたんだ。犯人はゾディアック。怜クンみたいに眠ってるらしくてテレパシーは通じない。怜クンの携帯にメッセージが入ってるから、後で聞いて」
そこで言葉を切った杏さんはやにわに立ち上がると、がばりと勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい。ボクたちがついていながら、こんなことになってしまって」
「頭を上げてくれ。あれは杏さんたちの責任じゃない。勇んで飛び出した俺が悪かったんだ。あそこで一回止まっていれば、こんな事にはならなかった」
「それでも、ボクたちの責任なんだよ。あの場ですぐ課長が追いかけていれば、こうはならなかった。増援の要請も、付近の閉鎖の指示も春子さんに任せればよかったんだもん。それはボクたちのミスで、ボクたちの責任でしょ?」
返す言葉も無い。ぐうの音も出ないとはこのことだ。課長たちが一向に現れなかったのはこういう理由だと納得してしまった時点で俺の反論はすべて意味を成さない、ただの慰めと化す。それがわかってしまったから、俺は黙り込んだ。
「そういう理由があるから、五十鈴ちゃんの保護作戦に怜クンたちは参加させられない」
が、続いたその言葉は、はいそうですかと言えるようなものじゃなかった。俺と、おそらく金子。生徒である俺たちには、これ以上の深入りを禁止するというわけか。
冗談じゃない。
「どういうことだよ。今までいいように使っておいて、今更来るな?ふざけてるのかよ」
「ボクたちだって抵抗したよ。けど、異端とはいえこの課だって警察組織の一部なんだ。そう易々と上層部の決定を覆せるわけがない。そして、上層部はこれ以上怜クンたちを巻き込んで、被害を出すのが嫌なんだよ。頭が固いんだ」
杏さんも本気で抵抗したのか、言い方が乱雑だ。おそらく、課長や春子さんもやるだけやってくれたんだろう。だからと言って納得できるほど、俺は大人じゃないし、覚悟だって軽くない。
「だからって、実質課長と藤波さん二人で、どうにかなるのかよ。あいつ、手ごわいぞ」
「うん。この誘拐自体、上層部は公に出来ない。だって何の関係も無い生徒たちを巻き込んじゃってるわけだから。いくら異能犯罪を取り締まるためとはいえ、それは世間的にマズイし。だって、やりようはいくらでもあったわけでしょ。広く募れば、成人の保有者は一杯見つかったはずだし」
じゃあどうするんだ。
その問いは、続く言葉で氷解した。
「だから、怜クンの予想通り、二人で挑む事になると思う。相手はゾディアック一人、なんてぶち上げてるからまかり通ってるけど、共犯者が後二人、ううん、一人増えただけでも危ういのにね」
杏さんが、心の底から軽蔑したような口調で吐き捨て、それを境に口を閉じる。やりきれない怒りと悔しさをどこへ向ければいいのかわかりかねている、そんな表情だ。
「……俺に、上層部と話をさせてくれ」
「それって……」
杏さんが勢い良く顔を上げる。それが、この状況に納得していない何よりの証拠だ。
「俺に話をさせて欲しいんだ。俺は肉親の命がかかってる。それなのに、後は課長たちに任せてお前は帰れ、なんて、納得できると思ってるのか?少なくとも、又聞きじゃなくて、はっきり当人たちの言葉を聞きたい。そこに込められたニュアンスも含めて」
それでもダメなら、『説得』する。この際、一人や二人の腕が無くなろうが、俺が牢屋に入れられようが知ったことじゃない。五十鈴を助けられるなら、他は何もいらない。できれば俺の手で、と言ったところか。
ただ、それを言うと話すらさせてもらえなさそうなので、黙っておく。
少しの間、何かを考えていた杏さんは、思い切ったように顔を輝かせると、俺の腕を引いた。
「一理あるから、課長に掛け合えばさせてもらえると思う。とりあえず、起きてゾディアックの伝言を聞いて。情報は武器になるから、多い方がいいでしょ?」
「分かった。ありがとう」
腕を引かれるままに部屋を出て、廊下を進んでいく。見覚えの無かった風景が徐々に見覚えのある色彩に変わっていき、ついには来たことがあると確信できるまでにいたる。
そこは、ラボだった。




