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敗北

 「逃ッがすかッ!」

明るかった広場が闇に閉ざされ、暗闇に慣れていない目ではゾディアックの姿を捉える事も、奴だけに斬撃を当てる事も不可能だ。ならば。

 走って追うしかない。

「怜!」

「東雲さん!」

俺を追って五十鈴が、五十鈴を追って金子が、それぞれ走ってくる。三人がしっかりついてきているのを確認して、俺は足の回転を速めた。

 後ろで課長が何か叫んでいるが、そんなことは二の次。今は、瀬上の仇を逃がさない事だけが重要だ。殺してやるんだ、俺が、この手で。それが、一度ならず二度までも、周囲の人間を死に追いやった俺に唯一できることだから。

 やっと暗闇に慣れてきた目で、前方を走るゾディアックを睨む。付かず離れず、数メートル前方を走るその姿を追うので精一杯で、斬撃を放つ暇も無い。何度か試したが、まるでその姿が見えているかのように、角を曲がる事で避けられてしまう。どうやら、俺の能力は弱点が見抜かれているようだ。

 俺の後ろでは二人分の足音が規則的に生まれている。どうやら、五十鈴と金子も問題なく付いてきているようだ。

 その間にも、ゾディアックは倉庫地区の入り組んだ路地を踏破していく。まるで空からすべてを俯瞰しているように。おそらく、この周辺の地理はすべて頭に入っているのだろう。でなければあの迷いの無い走りぶりの説明がつかない。

 そして、何度目か分からない角を曲がったとき。

 不意に、ゾディアックが立ち止まった。今までの路地よりはいくらか広くなった、海に面した通り。波の動きに合わせて、停泊した小型ボートが揺れている。

 しかし、ここがどこなのかは分からない。ゾディアックの背中だけを見ていたツケが回ってきたのか。そして、俺たち四人以外に人の気配は無い。

 誘いこまれたことに気づくまで、そう時間はかからなかった。

「しかし、君たちは皆、面白いように罠にかかるんだね。さあ、どうする?手練らしき大人三人はいないよ?」

「罠なら罠で、喰い破るまでだ」

 指二本、右肩を狙って振り上げる。それを避けて捻った体に向けて、そのまま振り下ろした。

「チッ!」

「五十鈴!」

次いで五十鈴の能力で動きを止める……はずだったのだが。

 横に跳んで斬撃を避けたゾディアックはそのまま転がって倉庫まで動くと、脇腹の血から針を三本生み出し、俺たちにそれぞれ投げつける。五十鈴の能力はそちらに向かい、その隙にゾディアックは次の攻撃に移っていた。

「防御は僕に任せて、東雲さんはアイツを!」

またも投げ付けられるナイフを、金子が撥ね返す。同じ速度、同じ軌道で戻っていくそれは途中で血液に戻り、ゾディアックの服を汚すだけに終わった。

「まったく、この服、気に入ってたんだけどね」

「知るかよッ!」

右肩、左肩、左脇腹、右腿の付け根、左脛、と、生命に支障の無い部分めがけて連続で斬撃を放つ。断続的に、避ける暇を生み出さないように。

 それは跳び退ったゾディアックの左足を斬り飛ばし、

「がぁぁ!」

バランスを崩して転がる。今までゾディアックがいた場所には、左脛から下だけが転がっていた。

「や、やった!」

 防御姿勢のまま駆け寄った金子が、主を失った左足の横に差し掛かったとき、黒に戻っていたゾディアックの瞳が、赤熱した。

「止まれぇ!」

嫌な予感が背筋を走り、金子を制止する。が、遅かった。咄嗟の叫びを理解できず、立ち止まった金子の傍、肉塊と化した左足から流れていた血が、その在りようを変えた。液体から固体に。無害から有害に。

 突如生まれた円錐が金子の脇腹を貫く。それは、人や部位の違いを覗けば、藤波さんのときと同じ光景だった。

「まったく、何度引っかかれば気が済むんだい?滑稽を通り越して愚かだね」

静かに呟いたゾディアックは、左足を軸にして立ち上がった。そのままゆっくりと金子に近づき、痛みに喚く姿を見下ろす。その目は、狂気に満ちていた。

「な……なんで……」

「ん?これかい?」

ゾディアックが、自分の左足を見下ろす。そこには、鮮紅色の左足があった。

「血液で作れるのは、何も武器だけじゃない。こうやって、義足のようにする事も可能さ」

見せびらかすように地面を軽く叩く。

「もっとも、関節みたいに複雑なものは無理だけどね。ただ……君たちを殺すには足りる」

今まで柔和だった雰囲気が、最後の一言を境に激変する。凍りつくような、粘りつくような。それが殺気と呼ばれる類のものである事を理解するのに、数秒かからなかった。

「みすみす殺されてたまるか」

「そう、そうこなくっちゃ!その強い意思を秘めた顔、その顔が絶望に歪む様を見せたらどうだい?」

激痛に耐え切れなかったのか、静かになった金子の足から、円錐を引き抜く。その際かすかに体が跳ねたから、生きていることは生きているだろう。

 しかし、それを助けている余裕は無い。殺気を放ち始めたゾディアックに、俺も五十鈴も釘付けだった。

 数瞬の沈黙。その時は、突然やってきた。

 不意にゾディアックの右手で、円錐が形を変える。十五センチほどの柄、その上の鍔、針のような刀身――――レイピア?いや、エストックか。

 その変化に目を奪われていた俺は、左手の変化に気が付かなかった。

 腰の後ろに回されていた左手が、突如閃く。ナイフのようなものを投げ付けられたと分かったのは、俺の顔のすぐ横を通り過ぎて行ったからだ。そして、その狙いは一つ。

「ッ!」

「他人の心配をしている余裕があるのかい?」

咄嗟に後ろを向いた隙に肉薄され、

「ぐあぁぁ!」

右肩にエストックが突きたてられる。そのままグリグリと回転が加えられ、剣尖が肉を抉る。激痛に足の力が抜け、俺は膝から崩れ落ちた。

「そこで少し眠っていたまえ」

ゾディアックの足が五十鈴の方へと遠ざかっていくのが見える。おそらく、このままでは五十鈴は殺される。それでなくても金子のように気絶するほどの激痛を与えられるだろう。

 ――――そんなこと、させるか。させてたまるか。

 左腕を突いて体を起こす。右肩の激痛なんて知ったことじゃない。俺の口から呻き声が漏れようが、今は関係ない。

「ん?やれやれ、しぶといね、君も。ますます面白いよ」

「五十鈴に……指一本でも触れてみろ。殺してやるからな……!」

見れば、五十鈴の能力はナイフを抑えるために精一杯で、悠々と近づいていくゾディアックを止める事はできていない。ゾディアックを抑えればナイフが飛来し、ナイフを抑えればゾディアックが襲来する。二者択一だ。そして、時間切れもある。

 そんな理由から、ゾディアックは一度五十鈴を諦め、俺を標的にしたようだった。血に濡れたエストックから三度変形させ、ハンマーを作る。人間の肉を易々と貫く硬度のハンマー、殴られたらひとたまりも無いだろう。

 なら、間合いに入れなければいい。

 ハンマーを狙って指を振る。一度、二度、三度。そのたびに腕や体の動きだけで避け、一歩ずつ近寄ってくる。まるで、恐怖を与えるように、じわじわと包囲網を縮めるように。

 右手はとうの昔に使い物にならない。単発では避けられるのが当たり前。なら、連続で放つしかない。

「うおおああぁぁぁぁッ!」

 闘争本能の赴くままに腕を振り続ける。振動によって絶え間なく激痛が走るが、それすらどこか他人事のように感じていた。

 ここまで放った斬撃は、十や二十では足りないだろう。が、利き手ではない左手の事、どれも綺麗にハンマーを狙えていない。もっとも、狙えていたとしても避けられているが。

 その間に距離を詰められ、ハンマーが下から跳ね上がってくる。振り切った左手を引き戻すが、タイミングは絶望的だ。来るべき衝撃に備えて反射的に目を瞑る――――が、そんなものはいつまでたってもやってこなかった。

 恐る恐る目を開く。斬撃が間に合ったわけじゃない。なら、答えは一つ。

 俺の予想通り、ナイフの軌道から横によけたところで、五十鈴がゾディアック目掛けて右手を突き出していた。

 その時間を無駄にしないように、震える足で後ずさる。ハンマーの間合いから出たところで、左手を振った。

 五十鈴の能力が解けるのと、俺が斬撃を放ったのは同時だった。狙い違わずゾディアックの左腿を切り裂いたところで、足の力が抜ける。どうやら、血が出すぎたようだ。

「やれやれ、そんな風になるまで頑張るとは、どうやらよほど彼女が大事と見えるね」

倒れ伏し、ぐらぐらと揺れる視界の中で、自分が引き起こされたのを知覚する。終幕は、すぐに訪れた。

「今度こそ、眠っていたまえ」

肩を固定され、鳩尾に強烈な衝撃が加わる。朦朧とする意識の中に、ゾディアックの言葉が響いた。

「君の幼馴染は、私が責任持って預かるよ。目が覚めたら、取りに来たまえ」

その言葉を境に、意識が黒く塗り潰されていく。

 どこかで、悲鳴が聞こえた気がした。

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