血液操作者
「よし、では、これより指定された地点へ向かう。杉下、何かあればすぐに連絡しろ」
「りょーかい」
土曜日。誰一人遅れることなく集合した俺たちは、それぞれが車に乗り込むと、目的地へと走り出した。杏さんが連絡、及び後方支援を担当し、捜査状況や周辺に動きがあった場合はすぐに知らせる手はずとなっている。そして、春子さんが後衛、五十鈴と金子が中衛で、俺、課長、藤波さんの三人が前衛という陣形で、ゾディアックを逮捕するはずだ。
藤波さんは余裕だと言い、言葉にしなくても他の六人もそんな気分でいることは否定できない。しかし、俺はそうやって断じる事ができないでいた。何故、と聞かれても何となくとしか答えられないが、どうしても嫌な予感が頭を離れないのだ。
今回、何かが起こる。
そんな気がして、俺は塞ぎこんでいた。
「……怜?」
「……どうした?」
ふと隣を見やれば、心配そうにこちらを窺う目が二つ。そんな顔をされるほど、俺は難しい顔をしていただろうか。
「大丈夫?ずっと黙ってるけど」
「ああ。大丈夫だよ」
気がつけば、運転している春子さんも俺の方をちらちらと見ている。やはり、少々露骨過ぎたか。
「……怜君?あんまり無理しなくていいのよ?」
「いや、全然問題ない。大丈夫だ」
「そう?ならいいんだけど……」
歯切れの悪い返答と共に、春子さんの視線が前方に戻る。その先には、倉庫群の屋根が見えてきていた。
午後八時四十分。日は既に沈み終え、空は星の独壇場となった。指定された噴水広場も街灯が照らすだけ、そこかしこに暗闇が散らばっている。
そんな中に、俺たちは立っていた。
どこから襲ってくるか分かったものではない。そのため、六人がそれぞれ目を凝らしながら、ゾディアックらしき人影を探していた。
時計の針は定められた命を全うし、正確に時を刻んでいく。午後八時四十五分。
風が止む。これから起こることを前に、嵐の前の静けさと決め込んだようだ。午後八時五十分。
五十鈴が俺の手を強く握る。その不安を解消する術を持たない事が悔やまれるな。午後八時五十五分。
午後九時。不意に、街灯の一つがその命を終える。
突然の現象に、全員の意識がそちらへ動いたとき――――その闇から、人影が生まれた。
いつからそこにいたのか、どうやって現れたのか、まるで分からない。ただ、そこに立っていた。五十鈴がビクリと震えたのが、繋いだ手を通して伝わる。
その人影が、こちらに歩んでくる。悠々と、まるで散歩でもするかのように。闇から出てきた男は長身で、痩せて入るがおそらく鍛えられた肉体。
「散開!」
課長の声が夜闇を切り裂き、俺たちの硬直を解く。春子さんを筆頭とする後衛、中衛の三人が後ろに下がり、男と三人の間に俺たちが立ちふさがるような陣形。
不意に、男が芝居がかった調子で礼をする。咄嗟に反応できない俺たちを前に、顔を上げた男は流暢に喋り出した。
「こんばんは。直接会うのは初めてだね、ジャック君」
「……お前が、ゾディアックか」
「ああ、そうだよ。そちらは、君の愛する幼馴染さんかな?こんばんは」
呆気に取られる。こいつは、五十鈴の事を知っている。俺が球体保有者だと知っていた時点で俺の周囲が調査されているのは予想済みだったが、関係性、もしかしたらその原因までもをこいつは把握しているのかもしれない。
まるで敵対する様子の見えない男の態度に、毒気を抜かれたように立ち尽くす。誰も何も言わない事をいいことに、ゾディアックは話を続けた。
「しかし、大人数で来たものだね。警察官の数人は連れてくるものと思っていたが、まさかエスパー課にツテがあるとは、予想外だよ。いやはや、君は面白い」
三度の衝撃。こいつは、一般人では存在すら気づくことはないエスパー課のことを知っている。そして、おそらくその内部も。
ここまで手の内が明かされていると、こいつは何も知らないことが無いのではないかと思えてくる。不気味だ。
思わず腰の引けた俺の横から、何かが飛び出した。
全速力でゾディアックへ駆け寄っていく藤波さんが、その数メートル前で何かに包まれた。
包んでいる何かがはっきり見えたわけじゃない。けれど、藤波さんの体がガラスを通したようにくすみ、数センチ地面から浮いたとなれば、そう考えるのが妥当だろう。そして、その原因もすぐに分かる。あれが、『完全防御』たる所以、完全なる防御物質。
「柊!」
能力を解いた藤波さんが、俺の名前を叫ぶ。その意図を察し、俺は二本指で構え、ゾディアックの左脇腹を狙って、手首だけで振った。
いつも通りのタイムラグの後、俺の斬撃は狙い違わずゾディアックの脇腹を斬り裂いた。
「グッ!」
短い呻きの後、ゾディアックは右膝を突く。何ともあっけない幕切れに、困惑した空気が流れた。九人殺した殺人鬼がこんなにあっけなく捕まるのは、何かの間違いじゃないのか。
そんな俺たちを余所に、近づいていった藤波さんは、ゾディアックの両手に手錠をかけようと手を伸ばす。脇腹を押さえて膝を突くゾディアックは抵抗する術も無く逮捕――――――なんで、アイツは笑っているんだ?
「ダメだッ!離れろッ!」
俺の叫びとほぼ同時、咄嗟に飛び退った藤波さんの右足を、地面から飛び出してきた円錐が貫いた。
「ぐぁぁッ!」
藤波さんはその勢いを殺がれ、その場に背中から倒れる。その足を貫いて顔を出した円錐は、鮮紅色だ。
そして、痛みに動くこともできないはずのゾディアックは、嗤っていた。
「くくくく、あはははは!いやー、まさかここまで簡単に引っかかってくれるとはね。間抜けを通り越して滑稽だよ!」
「テメェ……!」
ひとしきり嗤ったゾディアックが、俺たちの方へと顔を向ける。その目は、深紅に染まっていた。
「まさか……その棘、貴様の仕業か?」
「ああ、そうだよ。私の能力は血液の操作。もっとも、自分のでなければならないけどね」
「なるほど、だから現場に血液が……」
「そうだね、わざわざ拭き取る必要も無い。残しておいて問題は無かったのかな?」
課長とゾディアックの会話を無視して、五十鈴を振り返る。その行動だけで、五十鈴は俺の意図を察してくれたらしかった。
五十鈴が右手をかざしたのを見て、ゾディアックへと視線を戻す。そこで見たのは、ゾディアックが、鮮紅色の短槍を作り出すところだった。
おそらくあれは、投擲用のもの。そして、深紅に赤熱した瞳が狙っているものは嫌でも分かる。
「させるか!」
肩口を狙った斬撃を、ゾディアックは体を捻っただけでかわし、悠々とその槍を投げた。
「五十鈴ッ!」
俺の叫びが聞こえたのか、宙を切り裂いて進んでいた槍は、ぴたりと、俺と課長の間で停止した。宙に浮いたまま、まるで映像を一時停止したかのように――――言わずもがな、五十鈴の能力だ。
「きさっ……!」
が、その結果に安堵する間もなく今度は課長の驚愕が空気を震わせ、否が応でも危険を直視せざるを得なくなる。
視線を動かした先には、鮮紅色のナイフを構えたゾディアックに肉薄され、慌てて跳び退る課長がいた。いつの間にあんなところまで接近されたのか。そして、課長に肉薄したと言う事は、俺との距離も近いと言う事である。
「くそ!」
「甘いね」
俺の放った斬撃は、またしても体の捻りだけでかわされる。お返しとばかりに突きこまれたナイフが俺の脇腹を掠め、突き刺すような痛みを生んだ。
「怜!」
五十鈴の照準は俺の背に隠れて避けられるが、接近した課長がナイフを叩き折る。
「肋骨の二、三本は覚悟してもらうぞ」
「それは困るな」
続く拳打をひらりと避け、金子が撥ね返した短槍は元の血液に分解。そこから生み出したナイフで藤波さんの治療に走る春子さんを牽制したところで、ゾディアックが不意に動きを止めた。
「これはこれで楽しいが、数で押し込まれるのが見えているからね。私はこのあたりで失礼するよ」
言葉と共に、指が鳴る。それに呼応して、噴水広場を照らす街灯のライト部分がすべて弾け飛んだ。
その刹那、強烈な閃光が周囲を照らす。全員が目を覆った一瞬の隙を突いて、ゾディアックが駆け出した。倉庫地区の暗闇へと。




