着信
朝、ホームルームで担任から改めて瀬上の死が告げられ、一分間の黙祷が行われた。
そして、放課後。
俺は、五十鈴の中学校に来ていた。
五十鈴の中学は、帰りの会終了が午後三時三十分、その後、掃除が十分間行われる。が、今日は委員会だとかで、午後四時三十分現在、五十鈴は学校から出ていない。四時に学校が終わってからかなり急いできたが、必要なかったかも知れない。
俺がここにいる理由はただ一つ。五十鈴を連れてエスパー課のオフィスに向かうためだ。要請もかかっていない今日、そんな事をする理由は一つ。俺の唯一の行動原理であり、存在意義。五十鈴を護るために他ならない。
そして、細かな理由は三つ。ここからオフィスまでは車で二十分かからないが、それでも、現場から離れるに越した事は無いこと。そして、捜査状況を、一つでも多く知ること。
例えば、現場の状態。容疑者の絞り込みや現状での推論、その他、何だっていい。知らないより、少しでも多く知っている方が有利なのは変わらないのだ。事前の対応を行えるか否かが、人間と猿の違いかもしれないのだから。
最後に、一つ。それは、日本のゾディアックを、それたらしめている現場の特徴。被害者以外の血液。もしかしたら、血液に関するスフィア球体・キャリア保有者かもしれない。可能性は低くても、ゼロじゃないのだ。犯人の嗜好である可能性の方が格段に高くても、確認するべきだ。
ちらほらと下校する生徒、前庭で部活に励む生徒、それぞれいても、俺に不審げな顔を向けるのは変わらない。ただ、先生は俺の顔を見るなりぎこちない笑顔になるので、今はそこを心配する必要の無いことがありがたかった。
唐突に、ポケットの中で携帯が震えた。
俺の携帯に連絡してくるのは、伯母か、五十鈴か、春子さんか、瀬上か。そして、この音はメールではなく電話だ。
何の気負いも無く目をやったディスプレイに表示される名前を見て、危うく携帯を取り落とすところだった。
表示された名前は、瀬上有紗。遺体の鞄から一つだけ、持ち去られていた携帯。筆箱や教科書類はおろか、財布すらそのままだった鞄の中から、消えていた物。今まで殺害以外は行うことの無かったゾディアックが初めて行った窃盗と、その解釈含め大々的に書かれていたから知っている。その、ゾディアック以外が所持し得ない物からの電話。
咄嗟に会話録音機能を作動させ、接続の文字に触れた。
「……もしもし」
〈こんにちは。今、よかったかな?〉
電話の向こうから流れ出したのは、人を食ったような態度の男声だった。
「お前、何者だ」
〈おやおや、ご挨拶だね。私は、そうだな。巷では日本のゾディアック、なんて呼ばれている、しがない殺人犯だよ〉
「そのゾディアックが、俺に何の用だ」
〈いやいや、ちょっとした好奇心だよ。昨日の夕方に殺したお嬢さんがね、今際のきわにこの携帯の、君のアドレスにメールを送ろうとしていたものだからね。好奇心に突き動かされるままに携帯をお借りして、アドレスを調べてみたら、不思議な名前で登録されているではないか。だから、少し話してみたくなったというわけさ〉
「それで、用件はそれだけか」
〈まったく、せっかちな子は損をするんだよ?……まあいいさ。二、三質問があってね。まず一つ。このジャック君というのは、君の本名なのかい?〉
「いや、あだ名だ」
〈へぇ、その由来は?〉
「子供の頃に刃物を振り回してたからな。切り裂きジャックから取ったらしい」
俺は何故世間を震撼させる連続殺人鬼を相手にあだ名の由来なんか話しているのだろうか。そして、ゾディアックの意図も読めない。
そして、当のゾディアックといえば、声を上げて笑っていた。
〈はははっ!そうか、ジャック・ザ・リッパーのジャックかい。私の名も伝説の殺人鬼から、君の名もそう。これを奇縁といわず何というのかな?〉
「偶然、だろうな」
〈はは、現実味を帯びた答えだね。ますます気に入ったよ。そうだ、実際に会ってみないかい?何なら、君が愛する白髪の少女を連れてきてもいい。理から外れた異能を持つ者同士、交友を深めようじゃないか〉
「……異能、だと?」
〈そう、異能だよ。君も取り込んだのだろう?あの球体を〉
俺の体を電撃が走った。ゾディアックも、球体保有者だ。これは、何が何でもオフィスに行く必要が出来てしまったな。
「ああ。そうだ」
〈そうか、なら話が早い。そうだな、明後日の土曜日、午後九時。九区倉庫地区の東にある噴水広場で待っているよ。それじゃあ、いい悪夢を〉
何の前触れも無く通話が終了し、返事を返そうと口を開いたときにはもう不通音が鳴り出していた。
「……何だったんだ……?」
「怜、何してるの?」
五十鈴が俺の姿を上から下まで見回す。それはそうだろう。家に帰ることもなく、鞄を背負ったままここまできたため、俺は制服のままだ。そして、高校から中学まで、歩いて三十分はかかる。
「ちょっと、急ぎでオフィスに向かわなきゃならなくなった。来れるか?」
「うん。大丈夫」
「じゃあ、行こう」
俺たちの会話を不審げな眼で見ている生徒たちの前を悠々と横切って、オフィスの側を通る路線のバス停へ、歩を進めた。
「あ、怜クンと五十鈴ちゃんじゃん。どしたの?もしかしてボクに会いに来た?」
オフィスに入ると、出迎えたのは杏さん一人だった。
「いや、目下は課長か春子さんに」
「えー、春子さんが目当てかー。怜クンがそういう趣味だとは知らなかったな。残念」
「何をどう誤解したんだよ……お前もだ」
杏さんから目を背けて、俺の左腕にしがみついて不機嫌そうな視線を放つ五十鈴を宥める。そんな顔で見なくても、俺がそんな趣味じゃない事くらい分かるだろうに。
気を取り直して、本題に入る。もしかしたら一刻を争う事態かもしれないのだから。
「それで、二人はいつ帰ってくるか分かるか?」
「うーんと、四時くらいに協次郎君の検査に行ったから……後十分くらいで帰ってくると思うよ。急ぐなら連絡できるけど」
「そうだな。一応伝えてくれ。『ゾディアックの件で話がある』と」
その一言で表情が引き締まるのは、杏さんもやはり警察組織の一員と言う事か。
肌身離さず持ち歩いているらしい耳栓を両耳に入れ、目を瞑る。おそらく、春子さんか課長と交信中なのだろう。
杏さんが耳栓を外したのは、五十鈴と俺でお茶を淹れ終わった後だった。とはいえ、簡易キッチンの横に設置された冷蔵庫に入っていた麦茶なのだが。
「杏ちゃんも、どうぞ」
そして、水面下で交渉が進められた挙句、五十鈴の呼び方は「杏ちゃん」で落ち着いたらしい。その合間で聞こえてきた呼称は忘却の彼方へ。
それぞれ麦茶の入ったコップを自分の前に置き、ソファに腰を沈める。五十鈴は、いつも通り俺の横―――――と思いきや、膝に座ってきた。それも、顔を見合わせるように。
「おおー、大胆―」
杏さんの冷やかしもどこ吹く風、俺を腕ごと抱きすくめた五十鈴は、肩に額をグリグリと擦りつける。そういえば、今日はまだやってなかったな。
俺と、五十鈴。互いが互いの体温を認識し、自分の傍に相手がいることを意識に刷り込む。それにより、安心感を生む行為。原始的、本能的な不安を抑え込むための生命維持活動と言ってもいい。そうしなければ、俺たちは壊れてしまうから。
とりあえず、離れる素振りを見せない五十鈴はそのままにして、その向こう、どう反応していいか分からないとばかりに頬を引き攣らせている杏さんに目を向けた。
「杏さん、それで、課長たちは何て?」
「……ん?あ、うん。えっとね、今から戻るって言ってたから、後二十分くらい待ってってさ。それから……」
そこで杏さんは表情を引き締め、背もたれから身を乗り出す。そのただならない様子に自然と背筋が伸び、五十鈴の背に回した腕にも力が入る。
「……冷蔵庫に入ってるケーキ、食べててもいいって」
「……はい?」
課長を含む四人が戻ってきたのは、俺たちがケーキを食べ終わり、使った食器を片付け終わったときだった。
「あ、お帰りー」
「ただいま、杏、ちゃんと二人の面倒見てた?」
「ボクはそこまで子供じゃないし、二人だってそうだよ。面倒見る必要なんかないじゃん」
「それで、柊。ゾディアックについての話は何だ」
春子さんと杏さんの会話を尻目に、単刀直入な物言いで課長が俺に話しかける。その声に、俺は言葉での返答をせず、携帯を取り出した。
「昨日、九人目の被害者が出て、携帯が盗られましたよね」
「ああ。現在捜索中だ」
「それ、俺のクラスメイトなんですよ。そして、盗られた携帯には俺の電話番号も入っていた」
俺の告白に、杏さんと春子さんの表情が硬くなる。藤波さんは俺の視界にいないし、課長は表情の変化とは無縁のようだ。
「それで、さっきゾディアックから俺に電話がかかってきました」
続く俺の言葉に、全員の表情が驚愕に染まる事となった。
「ゾディアックから、連絡があった?」
課長の呟きに頷いてから、俺は携帯の録音を再生した。内容は、先程ゾディアックと交わした会話そのままだ。
会話の再生が終了したとき、残ったのは沈黙だった。
そして、それを率先して破ったのは、藤波さんだ。
「それで?課長。行くんですか?」
「それ以外に手がかりは無い。ゾディアックもまた球体保有者だと言うのなら、一般の警官を行かせるわけにも行かないだろう」
「ま、一対六だから、簡単とまでは行かなくても難しくはないんじゃないですか」
「油断大敵だと思うけど?」
「それもそうだが、この六人相手にどうするもこうするもないだろ」
「呼び寄せるってことは、それ相応の自信、もしくは準備があるってことだろ。それを考えもせずに難しくないとは、短絡過ぎるって言ってるんだよ」
「あーもう、」
「はいそこまでー。永汰、何ムキになってんのさ。怜クンも、もう少し抑えて」
杏さんの制止が入ってもなお睨み合う俺たちに何を言うでもなく、課長が話を再開する。
「二日後の午後八時、ここに集合だ。杉下を覗く六人で指定された地点に向かい、そこでゾディアックを捕縛する。遅れるなよ」
「了解」
「はい」
「ええ。分かりました」
「りょーかい」
「はいよ」
思い思いの返事を受けて、課長が小さく頷く。それぞれも、気の抜けた返事とは裏腹に、引き締まった表情をしていた。
「クラスメイト、死んじゃったの?」
五十鈴がそんなことを言い出したのは、引き締まった空気が薄れかけた頃だった。緩み始めていた空気が、違う意味で張り詰める。
「ああ。お前も知ってるよ。瀬上だ」
「……瀬上さんが……そっか。大丈夫?」
「ん?ああ、大丈夫だ」
春子さんが顔を顰めたのが、視界の端に見える。何かあったのだろうか。
「でも、仲良かったよね?」
「ああ、確かにな。だから、悲しくないって言ったら嘘だし、辛くないのも悔しくないのも怒ってないのも嘘だよ。けど、今ここで俺が怒鳴り散らしても何にもならないだろ。だから、明後日、ゾディアックと会ったときにそれをぶつけてやる」
藤波さんも、杏さんも、課長も、黙り込んでいる金子さえも、どこか不思議そうに眉を顰めている。何でだ?
少しして、その理由に思い当たる。確かに、俺の価値観はどこか違うのだろう。普通、仲の良かったクラスメイトが殺されたら、取り乱して大騒ぎするか、茫然自失となるか。仇を見据えてもなお落ち着いている俺は、どこか不気味に見えているのだろう。




