彼女が消えた世界
「じゃあな、五十鈴。また放課後」
「うん、じゃあね」
昨日と変わらず五十鈴と共に家を出た俺は、大通りで五十鈴と別れ、一人高校へと歩を進めていた。周囲には同じ様な制服の人間がちらほらと見える。まだ始業まで四十分以上ある。今学校に向かっているのは、朝練がある運動部の生徒と、数人の物好きくらいだ。俺も、その物好きの中に換算されている。
そうは言っても、別に俺は好き好んでこんなに朝早くから学校に向かっているわけではない。いや、俺が早く学校に行きたくてここにいるわけではないと言うべきか。何故なら、五十鈴が委員会の仕事で朝早いため、一緒に出る事が半ば義務であり権利である俺も必然的に朝早くなるというわけだ。そして、俺は別に早起きが苦にならない。そんな要因が絡み合って、俺は現在校門を潜っているという訳だ。
教室に入って、俺は初めてさっきから頭の片隅に居座る違和感の正体を知った。
瀬上が、いない。
いつもなら、校門、下駄箱、教室、もしくはその前までのどこかで、瀬上と出会う。それは偶然だから、いつも場所はバラバラだ。けれど、俺がいつも来る時間に、瀬上が教室にいないと言う事はありえない。そう、ありえないのだ。
その理由を、俺は知っている。信憑性は、瀬上本人に尋ねたのだから言わずもがな。嘘にしては挙動が自然すぎた。あれで嘘だったら、将来は詐欺師確定だ。
閑話休題。瀬上の家は共働きで、両親ともがかなり早くに家を出て行くらしい。だから、それに合わせる形で瀬上も家を出るのが一番手間がかからない。その時間の前後に家を出ると、俺と同じ、もしくは少し早いくらいにここに着く。
とはいえ、何事にも例外は付き物。風邪を引いたのかもしれないし、何か特別な用事が出来たのかもしれない。もしかしたら、単に寝坊しただけかもしれない。瀬上一人がこの場にいないからといって、騒ぎ立てるほどのことでもないだろう。この程度のイレギュラーは、学校生活なら良くある事だ。一日に、どこかのクラスで一回は起きているほどの。
主のいない隣席から、人っ子一人いない教室へと目を向けて、朝日を反射する机に目を細めた。
それから十分ほど。数人が登校し、話し声が教室に充満する。その中を、まったく違う雰囲気を纏った女子生徒二名が横切った。
確か、名前は白石と林田。どちらも、瀬上と特に仲の良かった二人だ。暗く、重く沈んだ表情で鞄を置くと、周囲の目も気にせず俺の隣の席を見下ろした。その席は当然瀬上のもの、そして当の本人はまだ姿を見せていない。横から見上げた俺が、その目に浮かんでいる感情を悟るよりも早く、二人は何かに耐えるように唇を引き結ぶと――――――――胸に抱えていた花瓶を、机に置いた。
瞬間、意識がスパークする。花瓶に生けられた花が何なのかは分からないし、過剰な反応なのは分かっている。けれど、椅子を蹴る足を止められはしなかった。
「なッ!な、何の……冗談だッ……!」
睨みつける俺に向けられた二人の顔には、一様に、涙。
「あんた、冗談でうちらがこんなことすると思ってんの!?」
上擦った叫びを上げたのは、林田。即頭部で束ねた髪を振り乱して、俺の胸倉に飛びつく。
「有紗は、いないの!もうここには来ないし、二度と会えることもない!あんたの方こそ何の冗談よ!」
堰を切ったように溢れ出す感情の洪水が、林田の腕から捕まれた上着の襟を通して俺になだれ込む。それを抑えられなくて、俺の顔も無様に歪むのが分かった。
「どういう……ことだ……!」
「柊君、朝のニュース、見てないの?」
無言で首を振る。
「……今朝は早くて、見てる余裕が無かったからな。何があったんだ」
「そっか。スマホはある?」
今度は縦に。
「じゃあ、ニュースサイト見て。私に、そんなことを説明させないで」
耐え切れずに俯いた白石の肩を林田が抱いて、二人とも教室を出て行く。今しがた演じる事になった騒動に対する視線と、視界の端で揺れる花から目を背けたくて、俺も教室を飛び出した。
いつの間にか足を運んでいたのは、立ち入り禁止になっている屋上の扉の前。階段を上った先にある、物置と化した空間。そこで、言われた通りスマホでニュースサイトを開いた。
震える指で検索をかける。この近辺の住所を入力しただけで、それは一番上に出てきた。曰く。
〈日本のゾディアック、九人目の被害者〉
その名前は、半年ほど前から広まり始めたものだ。最初の被害者は二十代女性、次が四十代男性……というように、小学生から老人まで、見境無く殺害している、狂気の連続殺人鬼。一昔前にアメリカを騒がせた殺人鬼になぞらえて、そう呼ばれている。そして、今も捕まるどころか尻尾すら掴めていない。手がかりは、常に現場に落ちている被害者以外の血液。だが、容疑者の目処も立っていない状態では、DNA鑑定も意味を成さない。
と、ここまでが犯人の説明。問題は、その下だった。
〈昨日午後四時半頃、東京都第六区にて瀬上有紗さんが、何者かに背後から頚動脈を切断され殺害された。目撃者はおらず、現場には被害者のものと混じって他人の血液が残っていた。このことから警察はゾディアックの犯行と断定し……〉
その先へスクロールする気力も意思も消え失せていた。ただ、壁に背を預けてズルズルと座り込んで、リノリウムの床を見つめる。
瀬上の死。地名も、名前も、俺の知っている瀬上に間違いない。何故、瀬上が。あいつは何もしていない。ゾディアックとやらに狙われる筋合いなど無いはずだ。
そこで、昨日の記憶が蘇る。下校中に感じた、あの悪寒。もし、もしも、あれが五十鈴によるものじゃ無かったとしたら。五十鈴と同じ方向から同じ様に俺たち、いや、瀬上を観察していたゾディアックのものだったら?あの時点で瀬上は狙われていたことになる。
始まった邪推は止まらない。根拠の無い想像だけが、際限なく広がって俺の頭を埋め尽くしていく。
昨日、一緒に帰ろうと言い出したのは、この間のことを聞きたかったんじゃなく、この事を相談したかったから?それなら俺が言い出したせいでそのチャンスを潰したことになる。つまり、間接的とはいえ瀬上が死んだのは俺のせいだということだ。
後悔が、謝罪が、頭を過ぎっては消えていく。気づけたはずなんだ。俺が、あの時、変に水を向けたりしなければ。瀬上が口を開くまで待ってさえいれば。自分の直感を信じる自信がありさえすれば。
――――今更言っても詮無いことだ
泣きたいくらい悲しくて、泣きたいくらい悔しくて、泣きたいくらい怒っているはずなのに、思考も、心も、さっきの一言でいつも通りだった。




