ぼーっとする才能ー考え続けなくても大丈夫だったー
「ぼーっとしている時間」は無駄な時間だと思っていました。
何かを考えていないといけない。
前へ進まなければいけない。
そんなふうに思っていた頃がありました。
けれど、
気づけば、
何も考えない時間が少しずつ増えていきました。
このお話は、
そんな日々の中で見つけた、小さな気づきの記録です。
気づけば、
一日に何度もぼーっとしている。
空を見ているとき。
歩いているとき。
ご飯を食べているとき。
人の話を聞いているとき。
何かをしているとき。
ふと静かな時間が訪れる。
頭の中には、
何もない。
次に何をしよう。
どうしたらうまくいくのだろう。
そんな考えもない。
ただ、
ぼーっとしている。
昔のわたしなら、
そんな自分を心配していたと思う。
考えなくて大丈夫だろうか。
ぼけてしまうのではないだろうか。
もっとしっかりしなければ。
そう思っていた。
けれど、
今は違う。
ぼーっとしていても、
困ることがないのだ。
やることはやっている。
人との約束も覚えている。
必要な時には動いている。
むしろ、
昔より、
自然に動けている気がする。
不思議だった。
何も考えていないのに、
なぜだろう。
思い返してみる。
昔のわたしは、
考えることで生きていた。
どうするか。
どう見られるか。
どうしたら正解なのか。
頭の中はいつも忙しかった。
けれど、
今は、
悩みを探しても見つからない。
何かを考えようとしても、
その状態にならない。
頭の中は静かのままだ。
そういえば、
四年ほど前から不思議に感じていたことがある。
ふと何かが頭に浮かぶ。
けれど、
次の瞬間には消えている。
「あれ?」
と思う。
思い出そうとしても出てこない。
長い間、
それをただ不思議に思っていた。
その出来事を改めて見つめてみた。
すると、
少し違う景色が見えてきた。
思い出せなかったことも、
必要な時になると、
別の形で目の前に現れていた。
人の言葉として。
目の前の景色として。
ふと目に入った文字として。
何気ない出来事として。
そのことに気づいてから、
消えていくものを追いかけなくなった。
本当に必要なものは、
必要な時に戻ってくる。
しかも、
思っていない形で。
だから今は、
消えていくものに逆らわなくなった。
すると、
不思議なことに、
心はますます静かになっていった。
何かを考えながら人の話を聞くのではなく、
ただ聞いている。
何かを考えながら景色を見るのではなく、
ただ見ている。
何かを考えながら生きるのではなく、
ただ、生きている。
それだけだった。
昔は、
考え続けることで大人になることだと思っていた。
けれど、
今は、
子どもの頃のわたしは、
もっとぼーっとしていた。
空を眺めていた。
虫を追いかけていた。
風を感じていた。
そこに理由はなかった。
ただ夢中だった。
ただ生きていた。
もしかしたら、
わたしは、何か新しいものを、
手に入れたいのではないのかもしれない。
忘れていた感覚を、
思い出しているだけなのかもしれない。
今日も気づけば、
ぼーっとしている。
浮かんでは消えていく。
昔のわたしは、
それを追いかけていた。
けれど、
今は、
消えていくものを追いかけなくなった。
本当に必要なものは、
何度でも戻ってくることを知ったからだ。
空を見上げる。
雲が流れている。
ただ、
それを眺めている。
それだけで、
どこか満たされている自分がいた。
「ぼーっとする」という言葉には、
どこか良くない印象があるかもしれません。
けれど、
何も考えていない時間だからこそ
見えてくるものもあるのだと、
私は、少しずつ感じるようになりました。
この物語が、
あなたにとって立ち止まるきっかけや、
空を見上げる時間につながったなら、
とてもうれしいです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。




