偽善の晩餐会、崩れ去る仮面
ヴァレリウス侯爵邸の大広間は、まさに「光と富の結晶」だった。
「おお、皆様、ご覧ください。あの哀れな子供たちの姿を描いた絵画を。彼らは今日食べるパンすらなく、凍える夜を過ごしているのです!」
中央の雛壇で、純白の最高級シルクで作られた礼服を着たヴァレリウス侯爵が、大仰な身振りでハンカチを顔に当て、嘘泣きを披露していた。
その指には、孤児院の予算を横領して買ったであろう、大粒のダイヤモンドの指輪がいくつも輝いている。
「ああ、なんてお労しい……。ヴァレリウス侯爵閣下は、本当に慈悲深いお方だ」
「ええ、私も微力ながら、金貨百を寄付させていただきますわ」
集まった貴族たちもまた、本気で悲しんでいるわけではない。彼らにとって『慈善』とは、自身の名声を高め、優雅な自己満足に浸るための、ただの着飾ったアクセサリーに過ぎないのだ。それでも届けられるのなら構わない。しかし、寄付が子供たちに届くことは、今まで一度もなかった。
「皆様の温かいお心、必ずや子供たちに届けましょう! さあ、今宵は彼らの未来に祝杯を――」
ヴァレリウス侯爵が、極上のヴィンテージワインが注がれたグラスを高く掲げた、まさにその瞬間だった。
ドゴォォォォォォン!!!
広間の巨大なステンドグラスが、外からの凄まじい衝撃によって内側に爆発し、粉々に砕け散った。
「な、何事だぁ!?」
「きゃああああっ!」
色とりどりのガラス片が雨のように降り注ぎ、夜の冷たい風が広間に吹き込む。
悲鳴を上げて逃げ惑う貴族たち。その混乱の中、ステンドグラスが抜け落ちた巨大な窓枠に、静かに降り立つ三つの影があった。
ヒールの音が、大理石の床にコツン、と冷たく響く。
月光を背に受けて現れたのは、真紅の薔薇が這う漆黒のドレスを纏った少女。そして彼女の両脇には、地獄の番犬のごとく威圧感を放つ、二人の黒衣の男たち。
◈
私は、貴族たちが恐怖で道を空ける中を、まるで自身の王座に向かうかのように優雅に歩み進めた。そして、床に落ちた寄付金の申込書を、ヒールで容赦なく踏み躙った。
「……随分と、安っぽい三文芝居ね。観客が泣くどころか、反吐が出るわ」
私の氷のような声が、静まり返った広間に凛烈と響き渡る。
「き、貴様……! 何者だ! ここを神聖なるヴァレリウス侯爵邸の慈善晩餐会と知っての狼藉か!」
警備の騎士が剣を抜いて叫ぶが、私の左側に立つラインハルトが、冷徹な一瞥を向けただけで、騎士は呼吸を忘れ、恐怖でその場にへたり込んだ。
ヴァレリウス侯爵は、私の顔を凝視し……そして、私の胸元に輝く『双頭の鷲の勲章』を見た瞬間、持っていたワイングラスを床に取り落とした。
パリン、と甲高い音が鳴り、真紅のワインが血のように床に広がる。
「そ、その勲章……そしてその御顔……。ま、まさか……エレオノーラ、第一皇女殿下……!?」
その名が響いた瞬間、広間の空気が完全に凍りついた。
次の瞬間、貴族たちは一斉に、我先にと床に這いつくばり、ガタガタと震え始めた。皇帝不在の帝国において、絶対的な生殺与奪の権を握る『査察皇女』。彼らにとって、それは死神そのものだ。
ヴァレリウス侯爵もまた、顔面を土気色に変えながら、雛壇から転げ落ちるようにして平伏した。
「こ、これはエレオノーラ殿下……! な、なぜ、このような夜更けに……。事前の御触れがあれば、もっと相応しいお迎えを――」
「黙りなさい!」
私は一言で彼の言葉を切り捨て、ギルバートから受け取った『裏台帳』と『人身売買の契約書』を、彼の目前に叩きつけた。
「用件など、貴方自身が一番よく分かっているでしょう、ヴァレリウス侯爵。……あなたの査察、および断罪よ」
◈
「さ、査察……!? はは、殿下、何かの間違いでございます! 私はこのように、帝国の未来を担う子供たちのために、身を粉にして寄付を集めております故――」
「子供たちの未来?」
私は冷酷に鼻で笑った。
「ヴァレリウス侯爵。あなたの罪状をここに列挙します。
一、帝国慈善委員会を通じた、国家保護金五十億ルテの横領、および不正蓄財。
二、孤児院への意図的な資金遮断による、施設の計画的破壊。
三、そして最大の罪――保護下にある孤児数百名を、隣国の鉱山や実験場へ売却した国家反逆罪ならびに人身売買罪。
貴方の言う『慈善』とは、子供たちを物として売り飛ばし、その血を啜ってワインを飲むことかしら?」
私の声は、広間の隅々にまで響き渡り、貴族たちの顔色をさらに青ざめさせた。
「証拠はすべて揃っているわ。貴方の隠し金庫も、闇商人との密会記録も、すべて押さえさせてもらった。……言い逃れできるかしら?」
絶体絶命の窮地。
ヴァレリウス侯爵は、ガタガタと震えながら、床に散らばった人身売買の契約書を見つめていた。ここで罪を認めれば、待っているのは全財産の没収と、一族郎党の公開処刑。
ヴァレリウス侯爵は、急に顔を上げると、狂ったように高笑いを始めた。その顔は恐怖と怒りで歪み、額には青筋が浮かんでいる。
「……ハ、ハハハハ! 証拠だと!? そんな紙切れ、どこぞのゴロツキが書いた偽造に決まっておるわ! 皆の者、騙されるな! 落ち着いてあの女の顔を見るのだ!」
侯爵は立ち上がり、私を指差して絶叫した。
「皇帝陛下が遠征中で不在の今、エレオノーラ殿下が賊の如き侵入で夜会に、たった二人の供を連れて踏み込んで来るはずがない! あの女は、我がヴァレリウス家の清廉なる名声を妬んだ、反逆者が仕向けた【偽物】だ!!」
広間の貴族たちが、再びざわつき始める。
「偽物……?」「まさか……しかし、確かに護衛が少なすぎる……」
ヴァレリウス侯爵は、己の邸宅に隠れ潜ませていた、重武装の傭兵団に向かって叫んだ。
「出会え! 出会え!! 我が家が誇る『銀狼傭兵団』の精鋭どもよ! この皇女の皮を被った不届きな賊を、今すぐ八つ裂きにしろ! あの生意気な首を刎ねた者には、金貨一万枚くれてやる!!」
その言葉に応じて、広間の隠し扉から、完全武装した屈強な傭兵たちが、総勢百名あまり、怒涛のように雪崩れ込んできた。会場の貴族たちは我先にと悲鳴を上げながら逃げていった。
先頭に立つのは、昼間、孤児院で絵本を踏みにじったあの男――ゼコスだ。
「ギャハハハ! 皇女の偽物か! 随分と上等な女じゃねえか、俺の斧で真っ二つにしてやる!」
ゼコスが巨大な戦斧を振り上げ、百名の傭兵たちが一斉に私へと殺到してくる。
怒号と殺意が広間を埋め尽くす。
だが、私は髪の毛一本すら揺らさず、ただ、深い深い哀れみの視線を彼らに向けた。
「……本当に、貴方たちは救いようがない」
私は小さくため息をつき、背後の二人に静かに命じた。
「ラインハルト、ギルバート。……子供たちの魂を汚した不浄の者たちを、一匹残らず成敗しなさい」
「――御意」
最強の二人が、解き放たれた。
◈
次の瞬間、華やかな大広間は、まさに「絶望の屠殺場」へと変貌した。
「殿下の御前であるぞ。這いつくばれ、蛆虫ども」
ラインハルトが、一歩前に出る。
彼は腰の大剣を、ゆっくりと、しかし尋常ではない速度で引き抜いた。
凄まじい金属音が響いたかと思うと、彼の放った一閃から生み出された『剣圧』だけで、最前列にいた十数名の重武装の傭兵たちが、分厚い鋼の鎧ごと真っ二つに両断され、血の霧となって吹き飛んだ。
「な、なんだと……!? 鎧ごと、斬られた……!?」
ゼコスが足を止め、恐怖に目を見開く。
だが、ラインハルトの猛威は止まらない。彼が一歩踏み込むたびに床の大理石が砕け散り、大剣が振られるたびに、十人単位の傭兵が命を刈り取られていく。それはもはや戦闘ではなく、ただの『作業』だった。
「おっと、僕の獲物も残しておいてくださいよ。……さあ、醜い豚の皆さん、僕と死の舞踏を踊りましょうか」
ギルバートは、まるで重力を無視したかのような軽やかな跳躍で、傭兵たちの群れの中央へ降り立った。
彼の両手に握られた二振りの短剣は、残像すら見えない速度で空を切り裂く。
「あがっ!?」「め、目がぁぁっ!」
傭兵たちが剣を振るう隙すら与えず、ギルバートは笑みを浮かべたまま、彼らの視神経を突き刺し、手首の腱を切り、喉笛を正確に掻き切っていく。彼の通った後には、もはや人とは呼べない肉の塊だけが残されていった。
「ひ、ひいいいっ! バケモンだ! 逃げろ、逃げ――」
ゼコスが背を向けて逃げ出そうとした瞬間。
ギルバートの投げた短剣が、ゼコスの太ももを正確に貫いた。
「ぎゃあああああ!!」
無様に転倒するゼコス。そこへ、ラインハルトが静かに歩み寄り、その巨大な軍靴で、ゼコスの顔面を情け容赦なく踏み砕いた。
昼間、アンナの大切な絵本を踏みにじった、まさにその足への、完璧な意趣返しだった。
百名いたはずの精鋭傭兵団は、数分と経たないうちに、ただの一人も立っている者はいなくなった。
死体と血の海。だが、私の真紅と漆黒のドレスには、返り血の一滴すら飛んでいない。
ラインハルトとギルバートは、息一つ乱さずに私の前に跪き、血振るいをした。
「ば、馬鹿な……。我が家の精鋭が、たった二人に……!」
ヴァレリウス侯爵は、恐怖のあまり完全に発狂しそうになりながら、自身の尿で濡れた床を這いずって逃げようとしていた。
「これでも、私が偽物だと言い張るかしら? ヴァレリウス侯爵」
私は懐から、皇帝の国璽が押された『即決処刑執行書』を取り出し、彼の目の前に突きつけた。
「神聖ルテティア帝国査察皇女エレオノーラの国権に基づき、ヴァレリウス侯爵。汝の爵位を剥奪、全財産を没収。そして――」
「お、お待ちください! 命だけは! 私の財産をすべて差し出します! あの孤児院にも、莫大な寄付を――!」
「子供たちの未来を売った金など、一枚たりとも必要ないわ」
私はラインハルトに冷酷な視線を送った。
ラインハルトが静かに剣を振り上げる。
「その醜い命で、泥に塗れた子供たちの涙を購いなさい。……成敗」
冷徹な断罪の言葉と共に、銀光が走った。
偽善の仮面を被った帝国の癌が、また一つ、確実に排除された。
──
翌日。
よく晴れた青空の下、孤児院の前に、何台もの豪華な馬車が到着した。
ヴァレリウス侯爵の隠し資産から没収された資金は、即座に本来の持ち主である孤児院へと還元された。馬車からは、新鮮な肉や野菜、温かい羊毛の毛布、そしてたくさんの本やおもちゃが次々と運び込まれていく。
「わあ……! パンがいっぱい! お肉もある!」
「シスター、見て! これ、本物の本だよ!」
子供たちは歓声を上げ、中庭を走り回っていた。
シスター・クララは、信じられないというように涙を流し、何度も天に向かって祈りを捧げている。
「エラお姉ちゃん!」
私は、いつもの使い古された木綿のワンピース姿で、中庭のベンチに座っていた。
私を見つけたアンナが、満面の笑みで駆け寄ってくる。
「エラお姉ちゃんが言った通りになったよ! 悪い怪物はみんないなくなって、魔法使いさんがプレゼントをたくさんくれたの!」
「ふふ、そうね。魔法使いさんは、アンナたちがいい子にしていたから、見ていてくれたのよ」
私が優しく頭を撫でると、アンナは少し照れたように、背中に隠していた「ある物」を差し出した。
それは、昨日ゼコスに踏みにじられ、泥だらけになって破れていた『小鳥の絵本』だった。
だが、今のそれは、綺麗に泥が拭き取られ、破れたページは丁寧な糊付けと糸で、大切に、大切に修復されていた。
「これね、年長のお兄ちゃんたちが、協力して直してくれたの! まだちょっとシワシワだけど、ちゃんと読めるよ!」
アンナは満面の笑みで、その修復された宝物を私の膝に乗せた。
「……ええ。とっても綺麗に直っているわ。新しい本より、ずっとずっと素敵ね」
胸の奥が、温かいものでいっぱいになるのを感じた。
私は、皇女としての冷徹な仮面を完全に脱ぎ捨て、心からの、年相応の優しい笑顔を浮かべた。
「さあ、続きを読みましょうか。勇敢な小鳥さんが、大きな竜をやっつけるところからね」
「うんっ!」
宮殿での血に塗れた断罪も、命懸けの権力闘争も、この小さな陽だまりを守るためのもの。
お父様が帰るその日まで、私は何度でも、あの漆黒のドレスを纏って闇を斬り裂こう。
この子供たちの、純粋で温かい笑顔の宝物を、決して誰にも奪わせないために。
私の『査察皇女の断罪日常』は、これからもずっと続いていく。




