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ルブラン薬事ギルド本部の大理石でできた大広間は、狂乱と欲望に沸き返っていた。
「いやあ、ゴズギルド長! 今期の『聖水』の売り上げは、過去最高を記録しましたな! 平民どもめ、死に物狂いで家財を売り払って、我々の泥水を買い求めておるわ!」
「ははは、ルブラン子爵閣下のおかげですよ! 臨時総会でのあの法令さえあれば、我々は合法的に、平民という名の羊から、最後の一滴まで毛を刈り取ることができる!」
きらびやかなシャンデリアの下、ふくよかな体躯を揺らしながら、ルブラン子爵とギルド長ゴズが、金杯を掲げて笑い合っていた。周囲の貴族や御用商人たちも、そのおこぼれに預かろうと、お追従の笑みを張り付かせている。
「皇帝が戦場で泥をすすっている間に、我々はここで、神をも凌ぐ富を築くのだ!」
ルブラン子爵が、高らかに杯を掲げた、その瞬間――。
ズゥゥゥン!!!
大広間の、厚さ数インチはある堅牢な防音扉が、まるで紙切れのように内側へと爆発し、吹き飛んだ。
「な、何事だ!?」
「テロリストか!?」
悲鳴と怒号が飛び交う中、硝煙を切り裂いて、ゆっくりと歩を進めてくる影があった。
ヒールの音が、静まり返った広間に冷酷に響く。
現れたのは、漆黒のドレスを身に纏い、神々しいまでの美しさと、背筋が凍るような威厳を放つ少女。
そしてその左右には、死神の如き威圧感を放つ二人の黒衣の男。
「何者だ、貴様らは! ここをルブラン薬事ギルドの本部と知っての狼藉か!」
警備の私兵騎士たちが一斉に剣を抜き、私を取り囲もうとする。だが、私の左側に立つラインハルトが、その冷たい鋼の瞳を一瞥させただけで、最前列の騎士たちはその圧倒的なプレッシャーに息を詰まらせ、一歩も動けなくなった。
「随分と、下品な言葉遣いをする犬ね」
私は、冷徹極まりない声を響かせ、ルブラン子爵を見据えた。
そのあまりにも高貴な容姿と、胸元に輝く『双頭の鷲』の勲章。ルブラン子爵の脳裏に、かつて一度だけ宮廷の遠くから拝謁したことのある、あの御方の姿が重なった。
「お、お前は……まさか、エレオノーラ第一皇女殿下……!?」
その名が口にされた瞬間、広間を埋め尽くしていた貴族たちの顔から、一斉に血の気が引いた。
「ひっ……皇女殿下!?」
「なぜ、このような場所に……!」
貴族たちは、まるでドミノが倒れるように、次々とその場に平伏し、額を床に擦り付けた。
ルブラン子爵もまた、冷や汗を滝のように流しながら、巨体を震わせて床に膝をついた。
「こ、これは、エレオノーラ殿下……! 事前の連絡もなく、このようなむさ苦しいギルド本部へお越しいただけるとは、私どもにとって無上の光栄……。しかし、一体どのような御用でございましょうか?」
平伏しながらも、ルブラン子爵の目は、必死に保身の計算を巡らせていた。
私は彼の前まで歩みを進め、その汚らわしい頭部を冷たく見下ろした。
「用件? 決まっているでしょう。ルブラン子爵、およびギルド長ゴズ。……汝らの査察、および断罪よ」
「さ、査察……!? はは、殿下、何かの間違いでございましょう! 私は常に、帝都の衛生と、平民たちの健康のために身を粉にして――」
「黙りなさい、不浄の者が」
私は、ギルバートから受け取った書類の束を、ルブラン子爵の顔面に投げつけた。
バラバラと散らばった紙片。そこには、彼らが平民を依存させていた『夢幻草』の調合レシピ、公金五千万ルテの横領を示す隠し口座の記録、そして、違法に採取させた薬草の密売ルートが、寸分の狂いもなく記されていた。
「なっ……! これ、これは、どうして……!」
ギルド長ゴズが、腰を抜かしてその紙片を見つめた。
それは、ギルドの最深部、魔法の鍵で封印された金庫に眠っていたはずの、門外不出の極秘文書だったからだ。
「ルブラン子爵。汝の罪状を列挙する。
一、偽薬『聖水』の製造、および平民への毒物(夢幻草)の強制投与。
二、皇帝陛下より賜った、疫病対策支援金五千万ルテの私的横領。
三、帝都衛生管理令を悪用した、医療の不当独占および平民への暴行。
――人の命を貪り、私腹を肥やしたその罪。もはや、万死をもってしても償いきれないわね」
私の凛烈たる声が、広間の天井を震わせる。
平伏していた貴族たちは、そのあまりの罪状の重さに、巻き添えを食うまいと、ルブラン子爵から這いずるようにして距離を置き始めた。
追い詰められたルブラン子爵。
彼の顔は、恐怖から狂暴な怒りへと、瞬時に変色していった。彼はガタガタと立ち上がり、醜い顔を歪めて叫んだ。
「……お、おのれ、小娘が! 騙されるな、皆の者! 落ち着いてあの女の顔を見るがいい!」
ルブランは、狂ったように私を指差した。いつもの、お決まりの悪あがきだ。
「エレオノーラ皇女殿下が、このような薄汚れたギルド本部に、たった二人の供だけで来られるはずがない! あの女は、我がルブラン家と薬事ギルドの富を妬んだ、不届きな『偽物』だ! 偽物の皇女を騙り、我々貴族を恐喝しようとする大逆の徒だ!!」
ルブランの言葉に、彼が金で雇った私兵の元傭兵たち、約六十名が、一斉にギラギラとした目を光らせて剣を抜いた。
「そうだ! 殺せ! 殺してしまえば、皇女を騙った賊を討ち取った英雄になれる!
出会え! この偽物どもを、一匹残らず切り刻んでしまえ!!」
ルブランの絶叫とともに、六十名の荒くれ者たちが、咆哮を上げて私へと殺到してきた。
だが、私は一歩も動かない。ただ、小さく、憐れみの溜め息をつくだけだ。
「本当に、救いようのない馬鹿ね。……ラインハルト、ギルバート。不浄の泥水を、すべて片付けなさい」
「――御意」
その瞬間、ラインハルトの巨体が動いた。
「ハァッ!!」
裂帛の気合とともに、ラインハルトは剣を抜くことすらなく、鞘に収まったままの大剣を一閃させた。
それだけで、凄まじい大気の壁――『真空波』が発生した。
ドガァァン!!! と、大気を引き裂く爆音とともに、突撃してきた最前列の私兵二十名あまりが、木の葉のように吹き飛び、広間の大理石の柱へと叩きつけられて骨を砕かれた。
「ひっ、化け物……!?」
後続の私兵たちが恐怖に足を止める。だが、彼らに慈悲を与える者など、ここにはいない。
「お次は、僕の番ですね」
ギルバートが、妖艶な笑みを浮かべながら、影のように敵の群れへと滑り込んだ。
彼の両手に握られた細身の短剣が、月の光を反射して美しくきらめく。
シュ、シュ、シュ、と、風を切る音が響くたび、私兵たちの手首の腱が切られ、膝の皿が正確に撃ち抜かれていく。
「ぎゃあああっ!」
「お、俺の手が、動かない……!」
ギルバートは、まるで残酷な舞踏を踊るかのように、一歩進むたびに一人、また一人と敵を沈めていく。
ラインハルトの圧倒的な破壊力と、ギルバートの精密機械のような暗殺技術。
わずか二分。
大広間には、立つ者は一人としていなくなり、ただ、手足を抱えて床を転げ回る私兵たちの、無様な呻き声だけが響き渡っていた。
「ば、馬鹿な……我がギルドが誇る、最強の護衛たちが、たった二人に……!?」
ギルド長ゴズが、恐怖で失禁し、這いつくばったまま後退りしようとする。
だが、その背後に、私の漆黒のドレスが静かに影を落とした。
「これで、私が偽物だと言い張るかしら?」
私は冷たく微笑み、懐から国璽の押された『即決処刑執行書』を取り出し、彼らの目の前に突きつけた。
「神聖ルテティア帝国査察皇女エレオノーラの国権に基づき、ルブラン子爵、およびゴズ。汝らの爵位と財産をすべて剥奪。そして――その命をもって、民の命を弄んだ罪の贖いとしなさい」
「ひ、ひいいい! 助けて! 助けてくれえええ!」
「ラインハルト。……執行しなさい」
「御意」
ラインハルトが、静かに剣を抜いた。
極上の鋼が、美しい月光を反射してきらめき、そして、一瞬にして悪党どもの首を刈り取った。
帝国の闇を照らす、冷徹なる断罪の刃。それは、今夜も確実に、不浄の魂を地獄へと送り届けて見せた。
章五:夜明けの光と、小さな奇跡
翌朝。
下町のボロアパートの一室。
ニーナは、恐ろしいほどの高熱にうなされ、小さな息を荒く吐き出していた。
テオは、その枕元で、もう涙も枯れ果てた目で、妹の小さな手を握り締めていた。
「ニーナ……ごめんね。お兄ちゃん、お薬を採ってきたのに、守れなかった……。神様、お願いです、ニーナを助けてください……」
テオが、絶望に押しつぶされ、枕に顔を伏せて泣き崩れた、その時。
コン、コン、と、部屋のボロい扉が、静かにノックされた。
「……え?」
テオが顔を上げると、扉が開き、そこに入ってきたのは、粗末な麻のワンピースを着た、いつもの私――「エラ」だった。
そして私の後ろには、仕立ての良い白衣を着た、いかにも高貴な身なりの医師(ギルバートが手配した、皇室お抱えの信頼できる本物の名医だ)が控えていた。
「エラ、お姉ちゃん……?」
「約束通り、本物の、一番よく効くお薬を持ってきたわよ、テオ」
私が微笑むと、医師が静かに一歩前に出て、テオの肩を優しく叩いた。
「少年よ、もう安心しなさい。昨夜、悪徳なルブラン薬事ギルドは、エレオノーラ皇女殿下によって完全に解体された。これは、皇室医療局が平民のために無償で配布している、本物の『青葉草の特効薬』だ」
医師は、手際よく、澄んだ緑色の美しい液体をニーナの口元へと運んだ。
それを一口、二口と飲み下すと――驚くべきことに、わずか数分で、ニーナの荒かった呼吸が、みるみるうちに穏やかなものへと変わっていった。
額に浮かんでいた大量の脂汗が引き、その頬に、健康的な赤みが戻ってくる。
「……ん、……お兄ちゃん?」
ニーナが、ゆっくりと、その愛らしい瞳を開いた。
「ニーナ……! ニーナ!!」
テオは、妹の体に抱きつき、今度は喜びの涙を溢れさせた。
ニーナもまた、「お兄ちゃん、もう痛くないよ」と、弱々しくも、温かい笑顔を返した。
私は、その微笑ましい光景を、部屋の隅から静かに見守っていた。
胸の奥に、昨夜の血生臭い戦いをすべて忘れさせてくれるような、どこまでも温かい、柔らかな光が満ちていく。
「エラお姉ちゃん……本当に、本当にありがとう!」
テオが私のもとへと駆け寄り、私のワンピースの裾をギュッと握り締めた。
その小さな、けれど温かい手のひらに、私はもう一度、そっと触れた。
「よかったわね、テオ。貴方が一生懸命、ニーナちゃんを想い続けたから、奇跡が起きたのよ」
私はふふ、と、皇女としての威厳など微塵もない、一人の少女としての、世界で一番優しい笑みを浮かべた。
「エラお姉ちゃん。僕、大きくなったら、エレオノーラ皇女殿下みたいに、悪い奴をやっつける、強い影護官になるんだ! そして、エラお姉ちゃんを守ってあげる!」
「あら、それはとっても心強いわね。楽しみに待っているわ」
私は彼の頭を何度も、温かく撫で回した。
まさか、自分が守ろうとしているその「お姉ちゃん」こそが、そのエレオノーラ皇女本人であるとは、テオは一生知り得ないだろう。
けれど、それでいい。
宮殿での凍えるような戦いも、血に塗れた断罪の日常も。
すべては、この下町の、小さな兄妹の温かい笑顔を守るためのもの。
この帝国が、内側から完全に癒えるその日まで、私は何度でも、その漆黒の刃を振るい続ける。




