鉄を貪る男爵の終焉
帝都ルテティアの極東に位置する『職人街』は、一歩足を踏み入れるだけで、地響きのような金属音と、肺を焦がすような熱気が押し寄せてくる場所だ。
カン、カン、カン、と規則正しく響く槌の音。四方に飛び散る火花。ここは、帝国のインフラや兵士たちの武器を支える、無骨で実直な男たちの縄張りだった。
「ほらよ、エラ! 頼んでた特製の焼き入れ用油だ。お前みたいな細い腕で、よくこんな重い樽を運べたもんだな」
「ふふ、これくらい平気ですよ、ガイルさん。私、見かけによらず力持ちなんです」
私は、煤で少し汚れた麻のシャツの袖をまくり上げ、大きな木樽を軽々と地面に下ろした。
今の私は、下町の定食屋『ふくろうの寝床』の紹介で、この職人街にある一軒の古びた鍛冶屋『鉄の拳亭』へ配達の手伝いに来ている「物売りの娘エラ」だ。
店主のガイルさんは、赤銅色の肌に、丸太のような太い腕を持った大柄な老人だ。顔中を覆う白髭の隙間から、職人特有の鋭くも温かい眼光が覗いている。
「まったく、最近の若い娘はひ弱なのが多いってのに、お前は感心な奴だ。どれ、汗を拭きな」
ガイルさんは、ゴワゴワとした大きな手で、私の頭をごしごしと乱暴に拭いた。
高級な絹のハンカチではなく、使い古された木綿の布。けれど、そこから伝わる体温は、冷徹な宮廷の誰よりも温かかった。
「ありがとうございます。ガイルさんの打つ剣は、本当に綺麗ですね。素人の私が見ても、一本の芯が通っているのが分かります」
私が壁に掛けられた一本の長剣を見上げて言うと、ガイルさんは「ほう」と感心したように目を細め、それから照れくさそうに鼻を鳴らした。
「目の付け所がいいじゃねえか。これはな、派手な宝石や金の装飾に守られた貴族の玩具じゃねえ。戦場で戦う兵士が、己の命を預けるための『本物』だ。俺はな、お国のために命を張ってる兵隊さんたちに、絶対に折れねえ剣を届けたい。それだけを考えて、この五十年、槌を振るってきたんだ」
「……折れない剣。素敵な信念ですね」
私は心から微笑んだ。
ガイルさんの言う「戦場の兵士」の中には、当然、我が父である皇帝や、その配下の将兵たちも含まれている。彼らが前線で戦えるのは、こうした名もなき職人たちの誠実な仕事があるからこそなのだ。
宮殿にいる高慢な貴族たちは、彼らを「学のない平民」と見下すが、本当に帝国を支えているのはどちらか、一目瞭然だった。
皇女としての重責を忘れ、ただの「エラ」として彼らの無骨な優しさに触れるこの時間は、私にとって何よりも愛おしい。
しかし、そんな職人の誇りに満ちた空間に、冷酷な現実が割り込んできた。
「おい、頑固ジジイ。そろそろ良い返状を聞かせてもらおうか」
突如、店の入り口の戸が乱暴に蹴り開けられた。
入ってきたのは、仕立ての良い絹の服を着ているが、どこか品性の欠ける男。その後ろには、鉄パイプや棍棒を手にした、見るからに質の悪い破落戸どもが十数人も控えている。
男の名は、この職人街の流通を牛耳る『鉄鋼ギルド』の幹部、代弁人のルノー。そしてその背後にいるのは、この地域を支配する「クランツ男爵」の私兵たちだった。
ガイルさんは槌を握り締め、男を鋭く睨みつけた。
「ルノー、何度も言わせるな。俺はギルドの専属にはならねえ。お前らの指示通りに、鉄の含有量を減らした『なまくら』を大量生産するつもりはねえんだよ。そんな真似をしてみろ、戦場の兵士たちが死ぬ!」
ルノーは、退屈そうに爪をいじりながら、鼻で笑った。
「相変わらず話の通じないジジイだ。兵士が死のうが生きようが、我々の知ったことか。大事なのは、限られた鉄資源からどれだけの『利益』を生み出すかだ。クランツ男爵閣下のご命令だ。今月中にギルドへの加入と、技術の全面開示、そして利益の八割を上納しろ。さもなければ……」
ルノーが顎で指示を出すと、後ろのゴロツキたちが一歩前に出た。
店の棚に並んでいた、職人たちが丹精込めて作った包丁や農具が、乱暴に床へ叩き落とされ、踏みつけられる。
「やめろ……! 俺の道具になんて真似を!」
ガイルさんが叫ぶが、ルノーの私兵の一人が、容赦なくガイルさんの胸元を蹴り飛ばした。
ドサリ、と巨体が床に倒れる。寄る年波には勝てず、ガイルさんは苦痛に顔を歪めた。
「おじいちゃん!」
私は咄嗟にガイルさんに駆け寄り、その体を抱き起こした。
「ほう、そこの小娘は中々可愛いじゃないか」
ルノーが下卑た笑みを浮かべ、私に近づいてくる。
「ジジイ、この娘の命が惜しければ、大人しく契約書に血判を捺すんだな。男爵閣下は、逆らう平民を合法的に『消す』手段など、いくらでもお持ちなのだからな」
ガイルさんは悔しさに歯を食いしばり、血の滲む唇を震わせた。
「エラ……逃げろ、お前は関係ねえ……」
私はガイルさんの背中をそっと撫でながら、ゆっくりと立ち上がった。
私の前髪が影を作り、その表情を隠す。だが、私の内側で燃え盛る怒りは、すでに限界を突破していた。
(――クランツ男爵。鉄鋼の流通を独占し、前線の兵器の質を落としてまで私腹を肥やすか。お前たちのその強欲が、どれだけの命を危機に晒しているか、その身に教えてあげるわ)
「おい、聞いてるのか小娘?」
ルノーが私の肩に手を伸ばそうとした瞬間。
私は、一切の感情を排した、氷のように冷たい視線を彼に向けた。
「……触らないで。汚らわしい」
その一言の重圧に、ルノーは思わず息を呑み、一歩後ずさりした。ただの物売りの娘が出せるはずのない、絶対的な王者の威気。
「ち、チッ……! おい、行くぞ。明日だ、明日までに返事をしなければ、この店ごと灰にしてやるからな!」
ルノーたちは捨て台詞を残し、逃げるように去っていった。
私は倒れた道具を拾い集めながら、心の中で完全に『査察皇女』の冷徹さを取り戻していた。
夜。帝宮の最奥、厚い帳に守られたエレオノーラの私室。
月光だけが差し込む静寂の部屋で、私は純白のシルクの寝着を纏い、豪華な長椅子に身を横たえていた。
「殿下、お呼びにより参上いたしました」
影の中から、足音もなく二人の影護官が現れる。
一人は、漆黒の夜を体現したかのような寡黙なる剣士、ラインハルト。
もう一人は、蜂蜜色の髪を揺らし、常に獲物を狙う蜘蛛のような微笑を絶やさない暗殺の天才、ギルバート。
「二人とも、待っていたわ。職人街の『鉄鋼ギルド』、そしてクランツ男爵について、調べはついたかしら?」
私は上体を起こし、傍らのテーブルに置かれたクリスタルグラスの水を一口含んだ。
ギルバートが、音もなく一枚の羊皮紙を差し出す。
「はい、殿下。実に見事な腐敗っぷりです。クランツ男爵は、帝都周辺の鉄鉱山の採掘権を不当に独占。さらに、職人街のギルドを脅迫・買収し、粗悪な鉄で作った武具を、正規の価格で帝国軍へ納入していました。その差額、実に年間数億ルテ。すべて男爵の懐に入っています」
「……帝国軍への武具を、粗悪品に?」
私の声が、室内の気温を数度下げた。
ラインハルトの身体から、物理的な殺気が陽炎のように立ち上る。彼の手は、すでに腰の長剣の柄にかかっていた。
「左様です。前線からの報告によれば、ここ数ヶ月、北方の異民族との戦いで『剣が根元から折れた』『盾が簡単に砕けた』という理由での兵士の死亡率が、平時の三倍に跳ね上がっているとのこと。現場の将軍たちは、異民族の武器が強化されたのだと思い込んでいますが……原因は、身内にありました」
ギルバートの言葉は、淡々としていたが、それゆえに酷く残酷だった。
「お父様や、国を守るために命をかけている兵士たちを、後ろから刺すような真似を……」
私は激しい怒りで、持っていたグラスを握りつぶしそうになった。
私の母、前皇后が存命だった頃は、内政の査察が厳格に行われていたため、このような露骨な反逆行為はあり得なかった。だが、母が亡くなり、父が遠征に出てからの数年で、彼らはここまで大胆に帝国を蝕んでいたのだ。
「クランツ男爵は、今夜、ギルドの幹部や、裏で繋がっている闇商人たちを自身の邸宅に集め、新たな粗悪武具の流通ルートを確立するための『祝勝会』を開く予定です」
ギルバートが追撃するように言った。
「そう。舞台は整っているわけね」
私は立ち上がり、壁に掛けられた漆黒のドレスを手に取った。
夜の闇を溶かし込んだような最高級のシルク。胸元には、皇帝から全権を委任された証である『双頭の鷲』の金勲章。
「ラインハルト、ギルバート。今夜の夜会へ乗り込むわ。帝国の動脈を食い荒らす寄生虫どもを、一匹残らず叩き潰すわよ」
「御意。我が剣のすべてを以て、殿下の敵を討ち果たします」
ラインハルトが深く一礼する。
「お任せを。ネズミ一匹、あの館から逃がしはしませんよ」
ギルバートが、昏い歓喜に瞳を濡らして微笑んだ。
私の美貌に、冷酷な査察皇女の仮面が張り付く。
悪党どもよ、美味しいお酒を飲めるのも、今のうちだけよ。
クランツ男爵の邸宅は、職人街とは対極にある、富と権力を誇示するような大豪邸だった。
大広間には、贅沢な毛皮を纏った貴族や、肥え太った商人たちが集まり、高級な葡萄酒を浴びるように飲んでいた。
「ガハハハ! ルノー、あの頑固ジジイの店はどうなった?」
中央の豪華な椅子に座る、髭面の横幅の広い男――クランツ男爵が、下品な声を張り上げた。
「はっ、クランツ男爵閣下。明日の朝までに首を縦に振らねば、店ごと消すよう手配しております。これで職人街の鍛冶屋は、すべて我がギルドの傘下。帝国軍への納品分は、さらに鉄を減らして利益を上げられますな!」
幹部のルノーが、揉み手をしながら報告する。
「素晴らしい! 皇帝の戦馬鹿め、前線で我々の作った『なまくら』を掴まされているとも知らずにな! 兵士が何人死のうが、我々の金貨が増えればそれで良いのだ!」
男爵の言葉に、周囲の闇商人たちも「流石は男爵閣下!」と手を叩いて爆笑した。
その傲慢な笑い声に、冷や水を浴びせるような『音』が響いた。
――ドォン!!!
頑丈なオーク材の扉が、凄まじい衝撃と共に粉々に粉砕され、大広間に木片が降り注いだ。
「な、何だ!?」
「何事が起きた!?」
悲鳴と混乱が広がる中、硝煙の向こうから、ゆっくりと歩みを進めてくる影があった。
規則正しい、鋭いヒールの音。
現れたのは、夜の闇を纏ったかのような漆黒のドレスに身を包んだ、絶世の美女。
その胸元で鈍く光る金色の双頭の鷲の勲章を見た瞬間、大広間の空気が、凍りついたように静まり返った。
「……な、あの勲章は、まさか……!」
商人たちの一人がガタガタと震え出す。
その後ろには、威圧感だけで周囲の人間を圧殺しそうな、二人の黒衣の男――ラインハルトとギルバートが控えている。
私は、扇を優雅に広げ、口元を隠しながら冷たい視線を男爵へと向けた。
「ずいぶんと楽しそうな宴ね、クランツ男爵。私も混ぜていただこうかしら?」
「え、エレオノーラ第一皇女殿下……!?」
男爵の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
いくら遠征中で皇帝が不在とはいえ、その直系であり、皇位継承権を持つ皇女の存在は、彼らにとって絶対的な恐怖だ。
大広間にいた貴族や商人たちが、慌ててその場に平伏し、床に額を擦り付ける。
クランツ男爵もまた、その巨体を震わせながら椅子から転げ落ち、私の足元へ這いつくばった。
「こ、これは、エレオノーラ殿下! 畏れ多くも我が館へ足をお運びいただけるとは……! 一体、どのような御用件でございましょうか?」
平伏しながらも、男爵の頭の中では「証拠はすべて隠滅してある、バレるはずがない」という浅薄な計算が働いているのが、手に取るように分かった。
私は彼を見下ろし、扇をパチンと閉じた。
「用件? 決まっているでしょう。……神聖ルテティア帝国査察皇女の名において、汝の罪を数えに来たのよ」
「さ、査察……? はは、何かの冗談でございましょう。私は常に帝国のため、軍のために良質な武具を納めております」
「まだ白々しい嘘をつくのね」
私は、ギルバートに目配せをした。
ギルバートは懐から、クランツ男爵の隠し金庫から盗み出した『本物の帳簿』と、帝国軍への粗悪品納入、そして戦場での兵士の死亡データの照合書類を、男爵の目の前にバラ撒いた。
「なっ……!? なぜ、これがここに……!?」
男爵は目を見開いた。それは、彼が決して他人に見せない、自身の破滅に直結する絶対的な証拠だった。
「クランツ男爵。汝の罪状を列挙する。
一、職人街における、不当な脅迫、暴行、および市場の独占。
二、帝国軍への納品武具の意図的な品質低下。これによる国家防衛力の著しい毀損。
三、上記に伴う、前線の帝国兵士数百名の死亡に対する、間接的殺人罪および国家反逆罪」
私の凛烈たる声が、大広間に響き渡る。
平伏していた商人や貴族たちは、その罪状のあまりの重さに絶望し、男爵からじりじりと離れ始めた。国家反逆罪。関わった者すべてが、死罪か奴隷落ちとなる最悪の罪だ。
「証拠はすべて揃っているわ。言い訳は聞かない。……大人しく縛に就きなさい」
完全に退路を断たれたクランツ男爵。
彼の顔は、恐怖から次第に赤黒い怒りへと変色していった。額に太い青筋を浮かべ、ハァハァと狂ったような息を吐きながら、彼は床から立ち上がった。
ここで大人しく捕まれば、待っているのはギロチンか、あるいはそれ以上の惨刑だ。ならば、ここでやるべきことは、悪党が最後に選ぶ、いつもの、お決まりの悪足掻きしかなかった。
「……ふ、ふふ、ハハハハハ! 騙されるな! 皆の者、騙されるな!!」
男爵は狂ったように笑い声を上げ、私を指差した。
「エレオノーラ皇女殿下が、このような夜更けに、僅かな供だけを連れて、このような場所に来られるはずがない! 皇帝陛下が遠征中で不在なのを良いことに、我がクランツ家を陥れ、財産を奪おうとする不届きな曲者、偽物だ! あの勲章も、ドレスも、すべて精巧に作られた偽物だ!!」
大広間の貴族や商人たちが、再びざわつく。
「偽物……?」「確かに、皇女殿下の護衛にしては少なすぎる……」
男爵は、館の壁際に控えていた自身の私兵や、金で雇った凄腕の傭兵たちに向かって絶叫した。
「出会え! 出会え!! 我が館の精鋭どもよ! この皇女の皮を被った偽物どもを、一匹残らず斬り捨てい! 賊を討ち取った者には、金貨千枚と、ギルドの全権をやるぞ!!」
その言葉に応じて、大広間の二階の回廊や、隠し扉から、完全武装した男たちが次々と現れた。その数、およそ八十名。誰もがギラギラとした欲望の目を剥き、剣や斧を構えて私へと殺到してくる。
「殿下の名を騙る不届き者め! 死ねぇ!」
突撃してくる男たちの怒号と地響き。
だが、私は一歩も動かない。髪の毛一本すら揺らさず、ただ深い哀れみの目を男爵へと向けた。
「本当に……悪党という生き物は、学習しないのね。追い詰められると、皆一様に同じセリフを吐く。……退屈だわ」
私は小さくため息をつき、背後の二人に静かに命じた。
「ラインハルト、ギルバート。……不浄の者を、片付けなさい」
「「――御意」」
二人の影護官の声が重なり、大広間の空気が完全に「戦場」へと切り替わった。
次の瞬間、大広間は、人間の理解を超えた圧倒的な屠殺場へと変貌した。
「ふん」
短く呼気を出したラインハルトが、一歩前に踏み出す。
彼の腰から放たれた抜刀の一撃は、もはや凡人の目では「光の線」にしか見えなかった。
キィィィン――と、鼓膜を劈くような高音が響いたかと思うと、最前列にいた私兵たちの頑丈な大剣や斧が、一斉に紙切れのように真っ二つに両断された。
それだけではない。ラインハルトが凄まじい脚力で踏み込むたび、発生する衝撃波と剣気だけで、十数名の私兵が血を吐いて壁へと叩きつけられ、骨を砕かれて昏倒していく。
彼が振るうのは、剣の形をした天災、あるいは絶対的な破壊そのものだった。
一切の無駄がない、洗練され尽くした武の極致。
「おっと、僕の分のオモチャも残しておいてくださいよ、ラインハルトさん」
ギルバートは、まるで夜の舞踏会でワルツでも踊るかのような、軽やかで優雅なステップで敵の密集地帯へと飛び込んでいった。
彼の両手には、いつの間にか、月光を吸い込んで黒く光る細身の短剣が握られている。
私兵たちが剣を振り下ろすよりも遥かに早く、ギルバートはその懐へと滑り込み、手首の腱を正確に切り裂き、膝の皿を粉砕していく。
「あがっ!?」「ひ、ひいい! 目が、目がぁ!」
悲鳴が上がるが、ギルバートは楽しげに微笑んだまま、一切の手加減なく、機械的な正確さで敵を「無力化」していく。彼の動いた軌跡には、ただ血の飛沫と、武器を落として悶絶する男たちの山が築かれていく。
八十名いたはずの男爵の精鋭は、五分と経たないうちに、全員が床に転がり、呻き声を上げる肉の塊と化していた。
私の漆黒のドレスには、返り血の一滴すら届かない。ラインハルトとギルバートは、息一つ乱さず、私の前に再び整列し、静かに跪いた。
「ば、馬鹿な……我が家の精鋭が、たった二人、いや、数人に……!? 貴様ら、一体何者だ……!」
クランツ男爵は、完全に腰を抜かして床にへたり込み、自身の流した失禁の海の中でガチガチと震えていた。
私は、無様に這いつくばる彼の前へとゆっくり歩み寄り、冷たく、静かに告げた。
「これでも、私が偽物だと言い張るかしら? クランツ男爵。……もっとも、貴方の言い分など、もう私の法廷には届かないけれど」
私は、懐から皇帝の直筆サインと国璽が押された『即決処刑執行書』を取り出し、彼の顔面に投げつけた。
「神聖ルテティア帝国査察皇女エレオノーラの国権に基づき、クランツ男爵、汝の爵位を剥奪、財産を没収。そして、前線の兵士たちの命を奪った罪により――」
私はラインハルトに視線を送った。
ラインハルトが静かに剣を抜き、男爵の首筋に冷たい刃を添える。
「ひっ、ひいいい! 助けてくれ! 悪かった! 金なら、今まで溜め込んだ金ならいくらでも出す! 命だけは、命だけは助けてくれぇぇ!」
「その命、戦場で散っていった我が帝国の兵士たちへの、せめてもの供物としなさい。……執行」
「御意」
冷徹な断罪の言葉と共に、銀光が走った。
帝国の動脈を蝕んでいた巨大なシロアリが、また一つ、確実に切除された瞬間だった。残された闇商人や貴族たちは、恐怖のあまり失神するか、あるいはただただ私を『絶対的な死神』として見上げ、深く頭を垂れていた。
翌朝。
東の空から、清々しい太陽の光が帝都を照らし、職人街にも朝が訪れた。
鍛冶屋『鉄の拳亭』には、いつもの活気が戻っていた。
クランツ男爵が国家反逆罪で処刑され、鉄鋼ギルドの不当な独占や脅迫がすべて無効化されたという報せは、早朝のうちに職人街全体に広まっていたのだ。
「おい、聞いたか! あの悪徳男爵が、査察皇女殿下に直々に成敗されたらしいぞ!」
「ああ! これで俺たちも、誇りを持って本物の道具を打てる!」
職人たちは朝からエールを掲げ、お祭り騒ぎだった。
私は、店の一角で、いつもの煤けた麻のシャツ姿に戻り、道具の整理を手伝いながら、その光景を眺めていた。
「おい、エラ。これを持っていきな」
ガイルさんが、不器用な顔のまま、一本の小さな短剣を私に差し出してきた。
それは、粗末な護身用のものではなかった。地金の美しさ、鍛え上げられた刃の輝き。一目で、ガイルさんが全精力を注いで打った「折れない剣」の系譜だと分かった。
「え……? ガイルさん、これは?」
「お前みたいな無茶な荷運びをする娘には、護身用の業物が必要だろ。俺の最高の自信作だ。お前にやるよ」
ガイルさんは、ゴワゴワとした大きな手で、私の頭を優しく、包み込むように撫でた。
「……ありがとうございます、ガイルさん。一生、大切にしますね」
私は短剣を受け取り、胸に抱きしめながら、ふふ、と、皇女としての威厳など微塵もない、一人の少女としての温かい笑みを浮かべた。
宮殿での血塗られた戦いも、夜闇での断罪も、すべてはこの職人たちの「誇り」と、前線で戦う兵士たちの「命」を守るためのもの。
お父様が帰るその日まで、私はこの帝国の光と影を背負い、戦い続ける。この、無骨で温かい職人たちの日常を、守り抜くために。




