彩な想い
戦いの余韻が、まだ沖縄の空に残っていた。
青龍の巨体がゆっくりと地に伏せ、蒼い鱗が淡い光を放ちながら静かに溶けていく。
風が止み、吹き荒れていた嵐のような気配が、まるで夢だったかのように薄れていった。
白峰澪は膝に手をつき、荒い息を繰り返していた。
真田丸8式の柄を握る手が、まだ小さく震えている。
隣では凛が地面に座り込み、肩で息をしながらも、なんとか笑顔を作ろうとしていた。
「……終わった、んですよね?」
白峰の声はかすれていた。
凛が小さく頷く。
「うん……終わったよ、澪さん」
少し離れた場所で、金剛牛鬼がゆっくりと膝をついた。
黄金の武者鎧が、強い陽光を受けて鈍く輝いている。
その巨体は傷だらけで、ところどころ黒く焦げ、深い裂傷が走っていた。
それでも、牛鬼は倒れ込まず、ただ静かにそこに佇んでいた。
御堂奏は牛鬼のすぐそばに立っていた。
彼女の表情は複雑だった。
安堵と、罪悪感と、そしてこれまで感じたことのない温かい感情が、混ざり合っている。
「……ありがとう、牛鬼」
御堂は小さな声で、そう呟いた。
牛鬼は答えない。ただ、ゆっくりと首を傾げ、御堂の方を向いた。
その異形の顔からは、何の感情も読み取れない。
それでも、御堂にはわかった。
この式神が、自分を守るためにどれだけ傷つき、どれだけ戦ってくれたのか。
その時——
青龍の巨体が、淡い光に包まれ始めた。
蒼い鱗が溶けるように輝き、巨大な姿が徐々に縮んでいく。
やがて、光が収まると、そこに立っていたのは、燃えるような紅い髪をした逞しい青年だった。
蒼嵐。
彼はよろめきながらも、白峰の方へゆっくりと歩み寄ってきた。
戦いの傷がまだ残る体を、まるで何事もなかったかのように動かしている。
白峰は思わず息を飲んだ。
「……蒼嵐さん」
蒼嵐は白峰の目の前で立ち止まり、いつもの愉快そうな笑みを浮かべた。
少し息が荒い。それでも、声は変わらず軽やかだった。
「悩みは晴れたか、人の子よ?」
白峰は一瞬、言葉に詰まった。
戦いの疲れと、胸の奥に残る様々な感情が渦を巻いている。
彼女はゆっくりと首を横に振り、けれどはっきりとした声で答えた。
「……全然です。
でも、決めました。
私は悩み続けます。
この先何回も迷うと思うし、何回も失敗すると思います。
悩んで、悩んで、悩んで……
ダメでも良いんです。
私には、みんながいるから!」
その言葉を言い切った瞬間、白峰の胸の奥が、すっと軽くなった。
まるで長い間抱えていた重い荷物を、ようやく下ろせたような感覚だった。
蒼嵐はカカカッと豪快に笑った。
紅い髪が陽光に揺れる。
「大いに悩め、人の子よ。
その悩みがいつか、何よりも彩な想いとなるだろうさ」
彼は白峰の横に視線を移し、きみどりの気配を感じ取ったように小さく頷いた。
それから、もう一度白峰を見て、満足そうに微笑んだ。
「よもや、こんなところで再び会うとはな。
……また会おう、人の子」
蒼嵐の姿が、再び淡い光に包まれ、ゆっくりと消えていく。
白峰は彼の背中に向かって、静かに頭を下げた。
「……ありがとうございました、蒼嵐さん」
御堂がゆっくりと振り返り、白峰と目を合わせた。
二人の視線が、静かに交わる。
「……澪ちゃん」
御堂の声は、いつもより少し低かった。
白峰は慌てて背筋を伸ばした。
「は、はい……」
御堂は一瞬、言葉を探すように唇を噛んだ。
それから、静かに、けれどはっきりと告げた。
「私は……間違っていたのかもしれません。
妖怪は妖怪だ、と決めつけてきたこと。
あなたを、責めてしまったこと……」
白峰は慌てて首を横に振った。
「いえ……私の方こそ、考えが甘かったです。
御堂さんが怒るのも当然で……」
御堂は小さく微笑んだ。
その笑みは、どこか疲れていて、でもとても優しかった。
「いいえ。
あなたが今、彼に言った言葉……
『私は悩み続けます』って。
あの言葉が、胸に刺さりました。
正しい答えなんて、簡単には見つからない。
だからこそ、悩み続けること。
それが……今の私にできることなのかもしれません」
白峰の目が少し潤んだ。
彼女はゆっくりと頷いた。
「……はい。
私も、まだ全然わかりません。
でも、決めたんです!
自分が思う正解を選ぼうって……
その先が間違いでも、戻れば良いんだって……
きっと戻った先には御堂さんが居て、黒崎さんも居て、みんなが待っててくれるんだって!」
御堂は静かに微笑み、そっと白峰の肩に手を置いた。
「ええ……私は、私達はいつでも貴女を見守ります、澪ちゃん」
二人の間に、静かで温かい空気が流れた。
凛が少し離れたところから、その様子を見て、ほっとしたように微笑んだ。
そこへ、九条がゆっくりと歩み寄ってきた。
彼はいつもの胡散臭い笑顔のまま、軽く手を挙げた。
「ええ感じやないか。
まあ、奏ちゃんもようやく本気を出せたみたいやし、
今回はこれで良しとしとこか」
白峰は思わず笑ってしまった。
九条の言葉は相変わらず軽い。でも、その軽さの裏に、確かに仲間を思う気持ちがあるように感じられた。
すると九条は、にやりと笑って付け加えた。
「適正配置やったやろ?」
そのおどけた言い方に、白峰は一瞬ぽかんとしてから、思わず吹き出した。
凛もくすくすと笑い、御堂まで小さく肩を震わせた。
(……九条さんって、ただのいい人なんじゃないかな……)
白峰は心の中でそっとそう思った。
はそれ以上何も言わず、ただ薄く笑ったまま、青龍が消えていった方角に視線を向けた。
空が、ようやく晴れ始めた。
沖縄の強い陽光が、戦いの跡を優しく照らし出す。
白峰は深く息を吸い、胸いっぱいにその光を吸い込んだ。
(……まだ、わからないことだらけだ。
でも、大丈夫。
私は悩み続けていいんだ。
みんながいるから)
きみどりの気配が、ふわりと胸の奥で微笑んだ気がした。
戦いは終わった。
でも、白峰の悩みは、これからも続いていく。
それでいい。
それが、今の彼女の答えだった。
後始末が一段落した頃、九条恭弥がいつもの貼り付けた笑顔で声を上げた。
「よし、みんなお疲れさん。
今日は打ち上げといきましょか。
沖縄やし、ゴーヤチャンプルーでも食べて、英気を養わな!」
討伐班の面々が疲れ切った顔で少しずつ集まってくる。
白峰、御堂、凛の三人は、まだ戦いの熱が冷めやらぬまま、ぼんやりとその様子を見つめていた。
白峰はそっと息を吐いた。
「……本当に、終わったんだ……」
御堂は静かに頷き、凛は小さく微笑んだ。
三人の間に、静かで温かい疲労感が広がっていく。
その時——
藤堂が慌ただしい足取りで駆け寄ってきた。
彼の顔は青ざめ、息が上がっている。
手に持ったスマホの画面に、簡潔で不穏な文字が浮かんでいた。
【急ぎ、東京に戻られたし】
内閣官房特異事象対策調整室 京都本部
白峰と御堂の表情が、同時に強張った。
凛も息を飲む。
沖縄の青い空の下で、
新たな嵐の予感が、静かに動き始めていた。




