私も悩みますわ
牛鬼の咆哮が、戦場に響き渡った。
九条恭弥はゆっくりと白峰に近づき、いつもの胡散臭い笑顔で言った。
「その身に神を纏わせる式神使いの最大戦術やね。
牛鬼の場合は金剛の神、仁王の力って所や」
彼は御堂の方をチラリと見て、軽く首を傾げた。
「いつの間に使えるようになったん?」
御堂は少しバツが悪そうに、しかしはっきり答えた。
「ずっと前から使えましたわ……
でも、怖かったんですの……強すぎる力を持った牛鬼が制御出来なくなるのを……」
御堂は金剛牛鬼の背中を見つめ、静かに続けた。
「それでも、少しだけ信じてみようと思ったのです。
長い間、共に戦ったパートナーを」
彼女は深く息を吸い、声を張り上げた。
「スマートに行きますわよ、金剛牛鬼!」
御堂の声が響いた瞬間、金剛牛鬼が地を蹴った。
その速度は、以前の牛鬼とは比べ物にならないほど俊敏だった。
重厚な黄金の武者鎧を全身に纏っているにもかかわらず、動きは驚くほど軽やかで、力強い。
一歩踏み出すだけで地面が陥没し、次の瞬間にはすでに青龍の懐に迫っていた。
巨大な斧が黄金の軌跡を描きながら一閃される。
ドゴォォォンッ!!
強烈な一撃が青龍の胴体に叩き込まれ、蒼い鱗が砕け散り、衝撃波が周囲の空気を爆発的に押し広げた。
青龍が苦痛の咆哮を上げ、体勢を崩す。
白峰が即座に叫んだ。
「今です!」
彼女の気刃が青龍の翼を切り裂く。
凛も負けじと呪符を展開し、声を張り上げた。
「雷よ!」
鋭い金色の雷撃が鱗の隙間を狙って炸裂する。
御堂は少し離れた位置からその様子を静かに見つめ、静かな声で言った。
「もっと、攻めなさい。
牛鬼、あなたならできるわ」
金剛牛鬼は止まらない。
二撃目、三撃目と、斧の連撃が青龍を容赦なく襲う。
重いはずの鎧をものともせず、跳躍し、旋回し、時には空中で体を捻って角度を変えながら攻撃を叩き込む。
その動きはまさに「金剛」の名に相応しい、圧倒的かつ優美な破壊の舞だった。
白峰が息を弾ませながら叫ぶ。
「御堂さん! 牛鬼、すごい……!」
凛も興奮と驚きを隠せずに声を上げた。
「こんなに強いなんて……!
奏さん、すごいです!」
御堂は小さく微笑みながら、しかしはっきりと言った。
「まだよ。
もっと、思い切り攻めなさい」
青龍は堪えきれず、空高く逃げ出した。
しかし、金剛牛鬼はさらに高く飛び上がり、青龍の背後から斧を振り下ろす。
巨大な衝撃が青龍を叩き落とし、地面に激突させた。
追撃を入れる白峰と凛。
三者の攻撃は一切止まらない。
金剛牛鬼の斧が風を切り、黄金の軌跡を残しながら何度も青龍を打ち据え、白峰の気刃が的確に急所を狙い、凛の五行術が彩りを添えるように炸裂する。
戦場は黄金の光と蒼い雷、炎と土の柱が交錯する、壮絶な光の渦となった。
御堂は少し離れた位置からその様子を静かに見つめていた。
その瞳には、誇らしさと、少しの切なさが混じっている。
(……ようやく、あなたの本当の力を……見せられたわね)
金剛牛鬼の咆哮が、再び戦場に響き渡った。
やがて、白峰と凛は息を整えるため、一旦下がってきた。
白峰は少し息を荒げながらも、御堂に向かって明るく、しかしどこか安堵した声で言った。
「牛鬼、すごいです!
とっても強いです!」
それを聞いた御堂は、まるで長年胸に溜めていた憑き物が取れたように、柔らかく笑った。
その笑みは、これまで白峰が見たどんな表情よりも優しく、温かかった。
「妖怪はやっぱり妖怪ですわ」
一瞬の間を置いて、彼女は静かに、しかしはっきりと言葉を続けた。
声は穏やかだったが、その奥にはこれまでの葛藤と、ようやく手放した何かが混じっていた。
「何人もの罪のない人が妖怪に襲われるのを見ました。
同僚が散っていくのも見ました。
それでも、もし、あなたの言うことが本当なら……
私も一緒に悩みますわ。
悩んで悩んで悩んで、最後まで悩みます。
だって私は、あなたの先輩だから、澪ちゃん」
白峰の目が大きく見開かれた。
胸の奥が熱くなり、言葉が詰まる。
これまで御堂から感じていた、微妙な壁のようなもの——
優しさへの苛立ち、嫉妬めいた感情、認められない苛立ち——が、ゆっくりと溶けていくのを感じた。
白峰は唇を震わせながら、精一杯の笑顔で、力を込めて応えた。
「はい!」
その返事は、ただの肯定ではなかった。
これまでの全ての衝突と、すれ違いと、優しさのぶつかり合いを、ようやく受け止めたような、温かい響きがあった。
御堂もその笑みに釣られるように、力を込めて言った。
「スマートに行きますわよ!」
二人の視線が、初めて心の底から重なった瞬間だった。
これまでずっと、微妙にずれていた空気が、ようやく解消される。
御堂の胸の奥にあった硬い何かが、静かに崩れ落ちていく。
白峰の瞳にも、ほんの少しの涙が浮かんでいたが、彼女はそれを振り払うように明るく微笑んだ。
二人は言葉を交わさなくても、互いの想いが通じ合ったことを感じていた。
金剛牛鬼の攻撃が、絶え間なく青龍を襲う。
黄金の斧が風を切り裂き、強烈な連撃が青龍の巨体を何度も打ち据える。
反撃の隙を窺おうとする青龍だったが、その隙は白峰の素早い気刃によってことごとく潰される。
「いきます!」
白峰が叫びながら全力でサポートする。
凛も必死に呪符を展開し、五行の術を重ねて援護を続ける。
「雷よ! 火よ!」
しかし、長時間の戦いで凛の息が次第に荒くなり、手の震えが隠せなくなってきた。
額に汗が浮かび、呪符を握る指先が白くなる。
「はあ……はあ……」
凛は歯を食いしばりながらも、術を止めようとしない。
それでも動きは明らかに鈍くなり、雷撃の精度が落ち、炎の矢が青龍の鱗を掠める程度になっていた。
その瞬間、青龍が凛の疲労を見逃さず、鋭い風の爪を振り下ろした。
「凛ちゃん!」
白峰の声が響くが、距離が遠すぎる。
凛の顔が青ざめた。
その刹那——
「危ない危ない」
余裕たっぷりの関西弁が響き、大量の白蛇が雪崩のように飛び出した。
九条恭弥が、いつもの貼り付けた笑顔で軽く手を振る。
白蛇の群れが青龍の爪を絡め取り、凛への攻撃を寸前で阻んだ。
凛は地面に膝をつきながら、ほっと息を吐いた。
「班長……ありがとうございます」
九条は肩をすくめ、楽しげに言った。
「可愛い後輩がやられるの見過ごすわけにはいかんやろ」
その言葉に、白峰は思わず小さく笑った。
溜まっていたフラストレーションが、少しずつ晴れていくような爽快感が胸に広がる。
御堂は静かに微笑みながら、金剛牛鬼に命じた。
「とどめを」
金剛牛鬼が大きく跳躍し、黄金の斧を高く掲げた。
全身に神格を纏ったその姿は、まるで戦神のようだった。
斧が振り下ろされる。
ドゴォォォォンッ!!!
渾身の一撃が青龍の頭部に直撃し、蒼い巨体が大きくよろめいた。
青龍は力なく地に伏し、そのまま動かなくなった。
戦場に、静けさが訪れた。
白峰は息を荒げながらも、顔に大きな笑みを浮かべた。
凛も地面に座り込んだまま、疲れと達成感が入り混じった表情で空を見上げる。
御堂は金剛牛鬼の姿を見つめ、静かに、しかし確かに微笑んだ。
九条は遠くからその様子を眺め、いつもの胡散臭い笑顔で小さく呟いた。
「ええ感じやないか」
戦いの余韻が、ゆっくりと戦場に広がっていく。
沖縄の空は、まだ少しだけざわついていた。




