妖怪は妖怪です
朝の陽光が本陣の簡易テントに差し込む頃、白峰たちは藤堂が見つけてきた地元の弁当屋のお弁当を囲んでいた。
白峰は箸を動かしながら、時折ぼんやりと外を見ていた。
御堂はいつもの優雅な仕草で弁当をつついているが、どこか無言で箸が止まりがちだ。
凛は元気よく食べながら、時々白峰の顔をチラチラと心配そうに見上げていた。
藤堂だけが少し離れたところで通信機をチェックしていたが、突然その電話が鳴った。
藤堂の表情が一瞬で硬くなるのを見て、白峰と御堂の箸がピタリと止まった。
「……はい、了解です」
短い通話を終えた藤堂の顔は明らかに青ざめていた。
白峰が不安げに身を乗り出した。
「藤堂さん……どうしたんですか?」
藤堂が答える前に、再び電話が鳴った。
今度は二度、三度と立て続けに着信が入る。
藤堂は一つずつ丁寧に応答し、メモを取りながら顔をしかめていった。
全ての連絡が終わった頃、藤堂は重い口を開いた。
「……各地の封印場所で、妖栄会の襲撃が確認されました。
戦況は……かなり厳しいようです。九条班も苦戦しているとの報告が……」
白峰は思わず身を乗り出した。
「行かなきゃ……! 私たちも——」
「待ってください、澪さん!」
凛が素早く白峰の腕を掴んだ。
「命令は待機です。私たちにできるのは、ここで本陣を守ることだけ……」
年下の凛に制止され、白峰はハッとして動きを止めた。
(……また、勝手に……)
彼女は自分の衝動性を自覚し、肩を落とした。
「ごめん……凛ちゃん」
その時、御堂の視線が少し遠くなった。
——北でも大層活躍したんやって?——
九条の、あの胡散臭い笑顔で言われた言葉が、ふと脳裏に蘇った。
あの軽い関西弁の裏に隠された、まるで試すような視線。
自分に何ができるのか、と問われたあの瞬間が、胸の奥に重くのしかかる。
(……私に出来る事……ですか……)
御堂は箸を握る手に、知らず知らずのうちに力を込めていた。
指先が白くなり、竹の箸が小さく軋む。
昨夜、白峰の頰を叩いた自分の手が、まだ疼くように感じられた。
胸の奥で、プライドと後悔が激しく絡み合う。
九条の言葉が、まるで自分の無力さを突きつけるように繰り返し響く。
箸を持つ手が微かに震え、弁当の具に箸先が触れたまま止まっていた。
御堂は唇を強く結び、表情だけは平静を保とうと努めたが、瞳の奥には拭いきれない葛藤の影が落ちていた。
彼女はまだ、何も言わなかった。
ただ、静かに箸を置き、視線を自分の手元に落とした。
突然——
本陣の中央が、鈍い紫色の光に包まれた。
最初はかすかな輝きだった。
しかし次の瞬間、光は爆発的に膨れ上がり、地面を低く震わせながら周囲の空気を重く圧し潰す。
朝の柔らかな陽光が一瞬で掻き消され、テントの中が紫の残光に染まる。
土の匂いと、湿った草の香りが強くなり、風が不自然に止まった。
「っ……!?」
白峰、御堂、凛の三人がほぼ同時にテントを飛び出した。
藤堂も通信機を握ったまま後を追う。
本陣の広場中央——
そこに、巨大な光の柱がゆっくりと収束していく。
紫の輝きが螺旋を描きながら薄れ、代わりに金色の粒子が舞い上がった。
朝の光が再び差し込み、その粒子一つ一つが宝石のようにきらめきながら、巨大な影を形作っていく。
やがて、光が完全に収まったとき——
そこにいたのは、威厳に満ちた黄金の獅子だった。
金色の体毛は朝陽を浴びて神々しく輝き、一本一本が金属のように硬質で、しかし生き生きと風にそよいでいた。
肩から背中にかけては炎のような鬣が燃え上がり、尾の先端は優美に弧を描いている。
その四肢は大地を踏みしめるほど逞しく、爪は鋭く、しかし決して無闇に牙を剥かない威厳に満ちた佇まい。
赤く輝く瞳は、ただの獣のそれではなく、悠久の時を生きてきた賢者のような深さと、どこか優しさを湛えていた。
シーサー。
その存在感だけで、周囲の空気が神聖なものに変わる。
地面に落ちる影は長く、黄金の光を反射して本陣全体を淡く照らしていた。
鳥の声が遠くで止み、風さえもその前に跪くかのように静かになる。
藤堂が息を飲んで呟いた。
「……シーサー……」
白峰も同時に、か細く、しかし確かに響く声で言った。
「蒼嵐さん……!」
その瞬間、御堂の表情が一変した。
彼女は即座に立ち上がり、呪符を強く握りしめた。
「牛鬼、来なさい!」
地面が大きく揺れ、漆黒の巨躯が召喚された。
牛鬼は咆哮を上げ、シーサーに向かって突進の構えを取る。
しかし、白峰が慌てて叫んだ。
「待って! 蒼嵐さんは、シーサーは悪い妖怪じゃないです!
一度、話し合いを——!」
言い終わる前に、御堂が鋭く被せた。
「状況がわからないの!
今は悠長なことを言ってる場合ではありません!」
その声は、ただの苛立ちを超えていた。
御堂の瞳に、激しい自己嫌悪と怒りが爆発的に浮かび上がる。
白峰の優しさを「甘い」と切り捨て、頰を叩いた昨日の自分。
すべてが一気に胸の奥で爆発した。
「でも——!」
白峰がさらに言い返そうとした瞬間、御堂の声が感情を抑えきれずに響いた。
「妖怪は妖怪です!
いい加減、現実を見なさい!」
その言葉は、白峰に向けられたものというより、自分自身を強く叩きつけるような響きを帯びていた。
御堂の声がわずかに震え、拳を握る手が白くなるほど力を込めている。
御堂の胸の奥で、昨夜からの葛藤が煮えたぎるように渦巻いていた。
その瞳には、怒りと同時に、痛々しいほどの自己嫌悪が浮かんでいる。
戦いの緊張の中で、彼女の苛立ちはもはや白峰だけに向けられたものではなく、
自分自身への激しい怒りへと変わっていた。
その瞬間、凛がシーサーの動きを察知し、叫んだ。
「2人とも、来ますよ!」
シーサーが低く唸り、ゆっくりと動き始めた。
戦いの幕は、御堂の内側で爆発した苛立ちと、白峰の決意がぶつかり合う形で、切なく上がった。




