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弱いんやから

九条恭弥は、薄暗い森の中で再封印の儀式が順調に進む様子を、いつもの貼り付けたような不自然極まりない笑顔で眺めていた。

淡い青白い光を放つ封印の札が、黒子たちの静かな呪文に呼応してゆらゆらと輝く様子を、九条は腕を軽く組み、悠然と見守っていた。

彼の背中は、まるでこの森そのものが自分の庭であるかのように落ち着き払っている。


その時、背後に近づく気配を感じ、九条は軽く、しかしわざとらしい明るさで声をかけた。

「ご苦労さん、鈴木くん」

「……佐藤です、恭弥さん。そろそろ覚えてください」

振り返ると、佐藤健太が淡々とした顔で立っていた。

九条は大げさに肩をすくめ、目が全く笑っていない薄ら笑いを浮かべた。

「側近の名前、忘れるわけないやろ。なあ、田中くん」

間髪入れずに佐藤が返す。

「佐藤です」

九条は小さく喉を鳴らして笑った。

その笑い声は軽やかで、佐藤も慣れた様子で小さく肩を落とす。

二人の間には、長い付き合いならではの、言葉にしない信頼のようなものが流れていた。

「で、どないしたん?」

佐藤は表情を変えずに報告した。

「各地つつがなく進行中との連絡がありました。日が上りきる頃には終わるかと」

「そか。ほな、引き続きよろしゅう」


九条が言い切る直前——

空気が、急に重くなった。

まるで森全体が息を呑んだかのように、湿った空気が一瞬で粘り気を帯び、木々の葉が不自然に静まり返った。

地面から這い上がるような冷たい霊気が、肌を刺す。

黒子たちの表情が一瞬で強張り、呪文を唱えていた声がわずかに震えた。

しかし九条だけは、貼り付けた笑顔を微塵も崩さなかった。

ただ、瞳の奥に鋭く冷たい光が宿り、まるでこの異常を「ようやく面白い玩具が来た」とでも言うように細められる。

彼はゆっくりと息を吐き、悠然としたまま佐藤に指示を出した。

「黒子達、下がらしぃ。足手纏いになる」

「了解です」

佐藤は即座に動き、黒子たちを下がらせる。

九条はゆったりと前を向き、貼り付けた笑顔のまま小さく息を吐いた。

その背中は、まるで嵐の只中に立つ大樹のように動じない。


森の闇が、ねっとりと蠢いた。

ゴゴゴ……という低い地鳴りと共に、木々の間から無数の影が一斉に飛び出してきた。

腐ったような生臭い異臭を纏った妖怪の群れ。

ねばつく黒い体液を滴らせ、関節が不自然に曲がったまま這いずる者。

血走った目が複数並んだ顔、裂けた口から零れる黄色い涎、ところどころ皮膚が剥がれ落ちて赤黒い肉が覗く姿。

中には人間のシルエットを歪に模した者もおり、首が異様に長く伸び、腕が地面を掻き毟りながら迫ってくる。

その群れは、まるで闇そのものが溶け出したように粘着質に蠢き、得体の知れない怨念と飢えをまとってじわじわと押し寄せてきた。

それらを率いるのは、怪しげな装束に身を包んだ妖栄会の面々——

仮面の下から覗く目は、狂おしい期待と狂気に濁っている。

しかし九条は、ただ一歩も引かず、笑顔のままその禍々しい波を真正面から見据えていた。

その背中は、圧倒的な強者の余裕そのもの。

胡散臭い笑顔の奥に、底知れぬ力と冷静さが静かに燃えている。


九条は貼り付けた笑顔のまま、ゆったりと、まるで旧友にでも話しかけるような調子で言った。

「妖栄会の皆さん、ようお越しになったわぁ。

たんともてなすんで、楽しんで行きぃや〜?」

その言葉を合図に、九条配下の妖封士たちが一斉に動き出した。

九条自身はまだ動かず、指先で呪符を軽く弄びながら戦いの始まりを愉しむように目を細めていた。


妖怪の咆哮が森の奥深くまで木霊し、ねばつく黒い体液を撒き散らしながら、歪に蠢く影が次々と妖封士たちに襲いかかる。

血走った複数の目がぎょろりと光り、裂けた口から零れる黄色い涎が地面を腐食させるような音を立てる。

妖栄会の刺客たちは仮面の下から狂気じみた笑いを漏らし、魔封じの玉を握りしめて式神を操り、容赦なく術を浴びせてくる。

「くっ……!」

一人の妖封士が白蛇の攻撃をかわしきれず、肩を深く抉られた。

隣では別の者が妖怪の長い腕に絡みつかれて動きを封じられ、必死に呪符を握りしめながら後退を余儀なくされている。

黒子班の者たちは結界を張り直そうとするが、霊的濃度の高さに耐えきれず、額に汗を浮かべ、息を荒げている。

戦況は明らかに劣勢だった。

悲鳴と苦痛のうめきがあちこちから上がり、森は血と怨念の匂いで充満していく。

その様子を、九条恭弥は少し離れた位置から、面白くなさそうに鼻を鳴らしながら眺めていた。

「はぁ、しょうもな……」

貼り付けた笑顔は相変わらず崩れないが、瞳の奥には明らかな退屈の色が浮かんでいる。

彼にとっては、この程度の戦いは「遊ぶ」にも値しない。

部下が傷つき、苦戦している光景を、まるで予定調和のつまらない芝居でも見ているかのように、軽く肩をすくめた。

ただ、その視線の端には、部下たちを危険に晒したくないという、かすかな苛立ちと気遣いが混じっていた。

佐藤が九条の傍に戻ってきた。

「各地の黒子からの情報です。こちらと同じ状況で、戦況は劣勢とのことです」

九条はもう一度、深く鼻を鳴らした。

「はぁ……」

その声には、明らかに「つまらない」という感情が滲み出ていた。

彼はゆっくりと前線へと歩き出した。

その足取りは軽やかで、まるでこの戦場など最初から自分の庭であるかのように、一切の焦りが見えない。


その時、一人の妖封士が不意を突かれた。

背後から伸びた妖怪の長い腕が、ねばつく黒い体液を滴らせながら彼の首に絡みつき、地面に引きずり倒した。

妖怪の裂けた口が大きく開き、黄色い涎を垂らしながら牙を剥き出し、獲物の喉元に迫る。

部下の目が恐怖に見開かれ、声にならない悲鳴が喉の奥で詰まった——完全に絶体絶命の状況だった。

刹那、九条恭弥が動いた。

まるで最初からその瞬間を予測していたかのように、瞬時に割り込み、呪符を軽く掲げる。

次の瞬間、巨大な白蛇が虚空から現れ、妖怪の首を一瞬で咥え込んだ。

ゴクリ、という不気味な音と共に、妖怪の巨体が白蛇の腹の中に飲み込まれていく。

九条の動きは一切の無駄がなく、表情も貼り付けた笑顔のまま変わらない。

事も無げに、まるで落ち葉を払う程度の動作だった。

倒れ込んだ部下を一瞥し、九条は前線にいる者たちに向かって言った。

「後は僕がやるから、君らは下がっとき」

まだ地面にへたり込んだままの部下が、震える声で言った。

「しかし、班長一人では……」

九条は困ったように眉を下げ、まるで子供を諭すような柔らかい表情を浮かべた。

「危ないから下がっとき言うたんや。

君ら、弱いんやから」

その言葉は、からかうような軽さの中に気遣いが込められていたが、部下たちにはただの冷たい突き放しに聞こえたらしい。

妖封士たちは顔を青ざめさせ、怯えたように肩をすくめながら素早く後退を始めた。

九条の胡散臭い笑顔と、容赦のない言葉に、恐怖と困惑が混じった視線が一瞬だけ向けられる。

誰もが「班長は本気で俺たちを見捨てる気だ」と感じ、足早に距離を取っていった。


それを見届けた九条は、満足そうに目を細め、再び呪符を掲げた。

「ほな、片付けよか」

その瞬間——

周囲の空間が一気に歪んだ。

地面から、木々の間から、森の闇そのものから、大小無数の白蛇が雪崩のように湧き上がった。

巨大なものは体長十数メートルを超え、鱗が月光を鈍く反射しながらぬめりと蠢く。

小さなものは腕ほどの太さで、まるで無数の矢のように飛び交う。

すべてが純白の体躯に赤い瞳を輝かせ、牙を剥き出して獲物を求めて蠢動する。

妖怪の群れが最初に飲み込まれた。

ねばつく黒い体液を撒き散らしていた異形の怪物が、白蛇の巨体に巻き付かれ、骨が軋む音を立てながら締め上げられる。

裂けた口から悲鳴のような咆哮が漏れた瞬間、別の白蛇が頭部を丸呑みし、ゴクリという重い音と共に姿を消した。

複数に取り囲まれた妖怪は、次々と白い顎の中に引きずり込まれ、ねっとりと溶けるような音を残して消えていく。

妖栄会の刺客たちも、容赦なく襲われた。

仮面を被った男が慌てて魔封じの玉を掲げたが、白蛇の尾が横薙ぎに振るわれ、玉ごと体を吹き飛ばされる。

もう一人は呪文を唱えようとした瞬間、細い白蛇が数匹まとわりつき、首と両腕を絡め取って地面に引き倒した。

「ぐあっ……!」

悲鳴が上がる間もなく、巨大な白蛇の口が大きく開き、男の体を頭から丸吞みにした。

仮面が地面に落ち、転がる。

他の者たちも次々と白い波に飲み込まれ、抵抗する間すら与えられず、森の奥へと引きずり込まれていく。

戦闘は、あっという間に終焉を迎えた。

九条恭弥はただ立っているだけで、圧倒的な力の差を見せつけた。

白蛇の群れが蠢く中、彼の貼り付けた笑顔は微塵も崩れず、むしろどこか満足げに目を細めている。

妖栄会の者たちは、成すすべなく——文字通り「飲み込まれ」て倒れていった。


九条はふと、封印の祠の方に目をやった。

そこに立っていたのは——一層怪しげな男、芦屋影人だった。

九条恭弥は薄ら笑いを浮かべたまま、ゆっくりと首を傾げた。

その笑顔は相変わらず完璧に貼り付けられ、目尻の皺まで計算し尽くされた明るいものだったが、瞳の奥は一切笑っていない。

まるで「面白い玩具を見つけた」とでも言いたげな、からかい好きの胡散臭さが全身から滲み出ている。

「芦屋影人……やんな?」

一方、芦屋影人は不気味に口の端を吊り上げ、低くくぐもった笑い声を漏らした。

その笑いは底から這い上がってくるような湿った響きで、仮面のような顔の影が不自然に深く落ちている。

九条の明るい胡散臭さが「表面的に馴れ馴れしい」なら、芦屋のそれは「底知れぬ闇を孕んだ」暗い胡散臭さだった。

二人の視線が交錯した瞬間、森の空気がさらに重く淀むような、ベクトルの全く違う不気味さがぶつかり合った。

芦屋はゆっくりと首を傾け、粘つくような声で答えた。

「あの九条恭弥殿がご存知だったとは、光栄の限りですね……ふふっ」

九条は笑顔のまま、片方の眉を軽く上げた。

芦屋は暗い顔の下から覗く目だけを細め、唇の端をさらに吊り上げる。

表情を変えないまま、二人は互いを見つめ合った。

明るく胡散臭い笑顔と、暗く底知れない笑い声。

表と裏、陽性と陰性——正反対の「胡散臭さ」が、祠の前で静かに、しかし激しく火花を散らしていた。


表情を変えないまま、二人は互いを見つめ合った。

九条恭弥の貼り付けた笑顔は、相変わらず明るく馴れ馴れしい。

口角は上がったまま、目尻の皺まで完璧に固定され、まるで旧知の仲にでも話しかけるような軽やかさだ。

しかしその瞳の奥は、一切の感情を読み取らせない冷たい計算の色を湛えている。

対する芦屋影人は、仮面のように影の落ちた顔で、低くくぐもった笑いを漏らしていた。

その笑いは湿った井戸の底から這い上がってくるような、不快で粘つく響きを帯び、暗く淀んだ気配をまとっている。

二人の胡散臭さは正反対のベクトルを持ちながら、互いに引けを取らない密度で祠の前でぶつかり合っていた。

九条が短く、軽い調子で言った。

「ここは終いや。他行ったらどう?」

芦屋は静かに、ゆっくりと首を振った。

その動き一つ一つに、わざとらしい芝居がかった気味の悪さが滲む。

「いえいえ、終わるにはまだ早いですよ。それに、ここが最後なのですから」

言い終わると同時に、芦屋は懐から例の玉を取り出した。

怪しげな紫黒い光が、玉の表面をねっとりと這うように輝き始めた。

その光は見る者に吐き気を催すような、腐った怨念の色を帯びている。

瞬間——

怪しげな光が爆発的に広がり、封印の札がぼろぼろに崩れ落ちた。

墨で書かれた呪文が一瞬で色褪せ、紙は湿った灰のように粉々になって風に舞う。

祠の奥から禍々しい黒紫の光が噴き出し、地面を震わせながら天へと昇っていった。

その光柱はまるで傷口から溢れ出す膿のように粘り気があり、周囲の木々をねじ曲げ、葉を一瞬で枯らしていく。

それとほぼ同時に、遠く四方から同じ禍々しい光の柱が四本、夜空を突き刺すように立ち上った。

森全体が共鳴するかのように低く唸り、霊的濃度が一気に跳ね上がる。

九条は小さく舌打ちした。

「……封印、解かれたんか」

そう言い、踵を返そうとする九条の背中に、芦屋が粘つく声をかけた。

「おやおや、戦わないのですか?」

九条は振り返らず、背中を向けたまま短く答えた。

「お互い、ここに用は無いやろ」

芦屋は満足そうに、くすくすと喉の奥で笑った。

「ええ、ええ、そうでしょうとも……」

その言葉を最後に、芦屋影人の姿は怪しげな光の中に溶けるように薄れ、完全に消え去った。

残されたのは、祠から溢れ続ける禍々しい光と、九条の貼り付けた笑顔だけだった。


佐藤が駆け寄ってきた。

「どちらへ向かわれるのですか?」

九条は本陣のある方角を見ながら、ゆったりとした足取りで歩き出した。

「本陣や。君らは他の封印場所に行き。助けが必要やろ」

少し歩いた後、九条は独り言のように小さく呟いた。

「……やっぱ置いといて正解やったわ」

その視線の先には、遠く本陣の方角があった。

「任せたで、奏ちゃん」

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