涙の理由
光の揺らぎが一瞬強くなり、影が不自然に蠢いた。
そこには、燃える様な赤色の髪をした逞しい青年が、涅槃のようにゆったりと転がっていた。
白峰は青年の姿を呆然と見つめた。
青年はゆっくりと体を起こし、燃えるような紅い髪を振り乱しながら、愉快そうに笑った。
「カカカッ、迷うてるな人の子よ」
その声は低く、しかし力強く、白峰の胸の奥まで響いた。
白峰は何となく、この青年が妖怪だとわかった。
青年は白峰の視線に気づいたのか、気づかないのか、愉快そうに続けた。
「懐かしい匂いを辿って来たら、珍しい事もあるものよ。
よもや、人の子の夢の中とはな」
そう言いながら、青年の視線は白峰からゆっくりと横のきみどりに移った。
その瞳に、懐かしさと懐古の色が浮かび、まるで遠い昔の友人に再会したような、穏やかで深い感慨が滲んだ。
青年は一人で小さく笑い、独り言のように呟いた。
「ほう……懐かしい顔だな……」
白峰は置いてけぼりにされたような感覚に陥り、青年ときみどりの間に視線を往復させた。
会話の流れから完全に取り残されたような、奇妙な疎外感があった。
白峰はきみどりに小声で尋ねた。
「きみどり、知ってる人?」
きみどりは興味なさそうに首を振った。
小さな手を白峰の服の裾に絡めながら、ぼんやりとした声で答える。
「しらなーい」
その返答に、青年はますます愉快そうに笑った。
「カカカッ、なるほど、分霊か。
濃い匂いなので本人かと思ったわい」
一人で納得し、豪快に笑う青年に、白峰は痺れを切らして聞いた。
「あの……どなたでしょうか?」
白峰は戸惑いながら尋ねた。
青年は少しだけ目を細め、答えた。
「誰かなど重要か?
主は自分が何者か答えられるのか?」
抽象的すぎる質問に、白峰は混乱して答えに詰まった。
頭の中がぐるぐると回り、適切な言葉が見つからない。
妖怪? 夢? それとも……?
「私は……白峰澪です。
妖封士をやっています」
その答えに、青年は不満そうに鼻を鳴らした。
「それは主の名よ。そこにどんな意味がある?」
さらに抽象的な問いを投げかけられ、白峰はますます困惑した。
心臓の鼓動が速くなり、視線をさまよわせ、言葉を探す手が無意識にきみどりの着物の裾を握りしめていた。
何を答えればいいのか、青年が何を求めているのか、全く理解できない。
ただ、青年の視線が自分を試しているような気がして、胸がざわついた。
そんな白峰の困惑した様子を見て、青年は満足そうに目を細め、愉快げに笑った。
まるで面白い玩具を見つけた子供のように、楽しげに次の質問を続けた。
「大事なのは、今、主の前にワシが居て、主の横には童がおる。
それだけじゃないかい?」
白峰は意味がわからず、流されるように答えた。
「……そう、なんですか……?」
青年は満足そうに頷き、顎でこちらを指した。
「主は悩んでおり、この暇なジジイはその悩みを聞く準備が出来ておる。
それだけで充分だろ?
ほれ、悩みを言え」
白峰は少し迷った後、ポツリと漏らした。
自分を「ジジイ」と呼ぶ青年を不思議に思いながらも、その存在感に逆らえないような、圧倒的な雰囲気に押され、言葉が自然と口から零れ落ちた。
「私のせいで……女の子を傷つけてしまいました」
その言葉を口にした瞬間、堰を切ったように感情が溢れ出した。
「私のせいで、先輩を怒らせてしまいました……
妖怪達が苦しんでいたんです……
私はどうすれば良かったんですか……?」
それは縋るような、か細い声だった。
白峰の胸に、これまで誰にも話せなかった葛藤が、次々と溢れ出していく。
妖怪たちの苦しむ声が、戦場で自分を襲ってきた敵の声が、耳の奥で反芻される。
彼らは負のエネルギーによって無理やり操られ、意思に反して戦わされていた。
その痛々しい叫び、助けを求めるような響き……。
白峰はそれを無視できず、つい前に出てしまった。
でも、その結果、凛を傷つけてしまった。
「私は……みんなを守りたいんです……
御堂さんも、凛ちゃんも……
妖怪さんたちも……苦しんでいるから、楽にしてあげたい……
でも、それが正しいのか、どうすればいいのか……わからないんです……」
青年は静かに聞き終えた後、短く問う。
「妖は好きか?」
白峰は少し迷ってから答えた。
「わからないです……
妖怪は怖いです……
戦うのも、怪我だって……
でも、苦しんでいるから……聞こえるから……
御堂さんも凛ちゃんも、守りたいんです……」
その答えに、青年は満足そうに笑った。
「カカカッ、大いに悩め人の子よ。
その悩みは正しい悩みで、主だけの物だ。
悩んで悩んで悩み抜いて、それでも悩むようなら頼れば良い。
主にはきっと、頼れる仲間が居るだろ?」
そう言い、きみどりの方に顎を指した。
きみどりはそれに気づいて、楽しそうに答えた。
「きみどりはおねえちゃんの味方だよ!
ずっとずーっと味方だよ!」
すると、きみどりは少しだけ体を離し、にこにこと笑いながら続けた。
「でもね、きみどりだけじゃないよ!
おねえちゃんのこと、みーんな大好きだよ!」
その言葉を聞いた瞬間、白峰の脳裏に、これまで出会ってきた人たちの顔が次々と浮かんだ。
黒崎さんのぶっきらぼうな優しさ。
室長の厳しさの中に隠れた温かさ。
御堂さんのいつも守ってくれる存在感。
藤堂さんの穏やかな支え。
安倍さんの飄々とした笑顔。
そして、凛ちゃんのまっすぐな頑張り屋な姿……
その瞬間、白峰の胸の奥に溜め込まれていた全ての感情が、一気に決壊した。
涙が止まらなくなった。
最初は静かに頰を伝うだけだった涙が、次第に大粒になり、堰を切ったように溢れ出した。
肩が震え、息が詰まり、嗚咽が漏れる。
今まで誰にも言えなかった葛藤が、涙となって次々と外へ流れ出していく。
妖怪たちの苦しむ声。
御堂を傷つけてしまった後悔。
凛を危険に晒してしまった罪悪感。
自分が本当に正しいことをしているのかという迷い。
守りたいのに守りきれない無力感。
戦わなければならない現実と、優しさを貫きたい想いの狭間で、ずっと一人で抱え込んできた痛み……
全てが、きみどりの温かい言葉をきっかけに、涙となって溢れ出していた。
白峰は両手で顔を覆い、声を殺して泣いた。
涙が指の間から零れ落ち、夢の空間の光の中に溶けていく。
きみどりはそんな白峰の頭を優しく撫でて宥めた。
しばらくして涙が落ち着いた頃、白峰はもう一度青年に尋ねた。
「ありがとうございました……
お名前、聞いても良いですか?」
青年はカカカッと笑いながら答えた。
「ワシは蒼嵐。
主らがシーサーと呼ぶ存在よ」
そう言い、辺りが優しい明かりに包まれた。
きみどりが可愛く告げる。
「もう朝だね」
遠くなる意識の中、最後に青年の声が聞こえて来た。
「大いに悩め、人の子よ!」
目覚めると、横には可愛らしい寝息を立てる凛の姿があった。




