死の匂い
祠から完全に姿を現した百目鬼は、低い唸り声を上げながら一歩を踏み出した。
その瞬間、空に浮かぶ無数の目が一斉に光を増した。
淡く輝いていた眼球が、突然、ぎらぎらと強い白光を帯び始める。
一つ一つの瞳が、まるで焦点を合わせるように明るさを増し、暗い夜の帳の中で不気味に浮かび上がった。
「来るぞ!」
黒崎が叫んだ直後——
複数の目が不規則に動き、突然白い光を放ちながら迫ってくる。
ドン! ドン! ドン!
小さくも鋭い爆発が連続して発生した。
一つ一つの威力は単体では軽いやけど程度で済むはずだった。
しかし、角度もタイミングも完全にばらばらで、予測が極めて難しい。
爆風が地面を抉り、木の幹に無数の小さな穴を穿ち、土砂と木片が飛び散る。
白峰は思わず身を抱え、激しく震えていた。
初めて感じる明確な死の匂い——硝煙と焼けた土と、微かに混じる血の臭い。
(……怖い……)
頭の中が真っ白になる。
無数の目が、一斉に光を増した瞬間、
それらが一気に牙を剥いた。
ドン! ドン! ドン!
鋭い爆発音が連続して響き、地面が抉れ、熱い衝撃波が体を襲う。
視界が白く染まり、耳がキーンと鳴る。
息が詰まり、胸の奥が締め付けられる。
(……来てる……
何か……来てる……
見られてる……
全部の目が……私を……
体の中まで……)
肌が粟立ち、鳥肌が全身を駆け巡る。
原始的で、どうしようもない恐怖だけが白峰を支配していた。
逃げたい。
今すぐ逃げたい。
でも、体が言うことを聞かない。
膝が折れそうになり、蹲り込むのがやっとだった。
初めて感じる明確な死の匂い。
硝煙と焼けた土と、微かに混じる血の臭い。
脳では「逃げなければ」とはっきりと理解しているのに、それを体に伝える回路が完全に麻痺していた。
足が動かない。息が詰まる。指先一つ満足に動かせない。
黒崎は晋介25号を構えたまま、百目鬼の本体に向かって叫んだ。
「くそっ、本体は肉弾戦がメインだ!
目玉の攻撃は数と角度が厄介すぎる……!
白峰、なるべく本体から離れろ——!」
その言葉の途中で、百目鬼の巨躯が猛烈な突進を仕掛けてきた。
重い足音と共に振り下ろされる鋭い爪が、黒崎の目前に迫る。
「チッ……! この化け物……!」
黒崎は横に跳んでかわしたが、晋介25号を連射する。
しかし、簡易退魔銃の出力では、百目鬼の剛毛と厚い筋肉にほとんど弾かれ、掠り傷すら与えられない。
本体への攻撃は明らかに効果が薄く、黒崎の表情が苛立ちと焦りで歪んだ。
「ちくしょう……晋介じゃ歯が立たねえ!
このままじゃジリ貧だぞ……!」
その隙を突くように、空の無数の目が再び白峰の方へも攻撃を向けた。
ドン! ドン! ドン!
三発の爆発が白峰のすぐ近くで炸裂した。
地面が抉れ、土砂が顔に飛び、熱い衝撃波が体を襲う。
「きゃあっ……!」
白峰は悲鳴を上げ、その場に蹲り込んだ。
耳がキーンと鳴り、視界が一瞬白く染まる。
体が小刻みに震え、吐き気がこみ上げてくる。
藤堂が即座に動いた。
本来は隠蔽調整班——戦闘は不得手な彼が、結界を維持したまま白峰の前に飛び出した。
守りの呪符を展開しながら、必死の形相で叫ぶ。
「白峰さん、伏せて!」
その声は普段の穏やかさを完全に失い、明らかに焦っていた。
額に汗が浮かび、息が荒く、眼鏡の奥の瞳が強く揺れている。
藤堂は白峰の肩を強く掴み、自分の体で庇うように覆い被さる姿勢を取った。
「大丈夫ですか!? 怪我は……!
ここは僕が持ちますから、絶対に動かないでください!」
藤堂の声は震えていた。
戦闘は不得手だとわかっているはずなのに、白峰を守るために自ら前に出ている。
その決意と焦りが、普段の丁寧な物腰を崩して、必死の形相として表れていた。
空の無数の目が、再び不規則に光を放ち始めた。
百目鬼の巨躯はさらに前進し、黒崎に向かって太い腕を振り下ろす。
重く鈍い風切り音と共に、岩のような拳が黒崎の頭上を襲う。
黒崎は晋介25号を連射しながら後退するが、簡易退魔銃の威力では決定打にならない。
弾丸は剛毛と厚い筋肉に弾かれ、火花を散らすだけでほとんど傷を負わせられない。
黒崎の動きが徐々に後ろに押され、表情に苛立ちと焦りが混じり始めた。
「くそ……この化け物、晋介じゃまるで効かねえ……!」
ドン! ドン! ドン!
目からの攻撃が再び降り注ぐ。
今度は藤堂の結界に直撃し、紫色の光が激しく揺らぎ、ひびのような亀裂が走った。
「くっ……!」
藤堂の顔が苦痛に歪んだ。
額から汗が滴り落ち、息が荒く、肩が小刻みに震えている。
本来は戦闘が不得手な彼が、結界を維持しながら白峰を守るだけで精一杯の様子だった。
結界の光が一瞬弱まり、紫色が薄れるたび、藤堂の顔色も悪くなる。
白峰は蹲ったまま、ただ体を小さくするしかできなかった。
(……みんな、苦しそう……
藤堂さんの手が震えてる……
黒崎さんも、後ろに押されてる……
私、ただここにいるだけで……足手まとい……?)
空の無数の目が、再び光を増した。
今度はより不規則に、容赦なく光の粒を吐き出し続ける。
爆発音が連続し、結界の紫光が激しく明滅する。
地面は抉れ、木々が折れ、境内は戦場と化していく。
黒崎は歯を食いしばりながら後退を続け、藤堂は白峰を庇いながら結界を必死に維持する。
しかし、百目鬼の巨躯はゆっくりと、だが確実に距離を詰めてきていた。
白峰は蹲ったまま、ただ震えることしかできなかった。
(……怖い……
これが……本物の戦い……?
みんなが必死に動いてるのに……私はただ蹲ってるだけ……
死ぬ……本当に死ぬかもしれない……
私、何もできない……みんなの邪魔にしかなってない……
助けて……誰か……もう嫌だ……)
祠の奥から這い出た百の目を持つ怪物は、その存在感と無数の目からの攻撃だけで、三人を圧倒し続けていた。
黒崎は後退を余儀なくされ、藤堂は結界を維持するだけで精一杯。
紫色の光が激しく明滅し、いつ崩れてもおかしくない状況だった。
白峰は自分の無力さを痛いほど思い知らされた。
この戦いに、自分はただの足手まといでしかない。
死の気配が、冷たく、容赦なく、すぐそばまで迫っている。




