適正配置
「澪ちゃん……やったっけ……?
なんや、優しい目ぇしとるねぇ……
つい虐めたくなってまうわぁ」
開いているかどうかわからなかった男の目は、カッと開き、蛇のように鋭く冷たい眼光で白峰を捉えた。
その瞬間、白峰の中で何かがはっきりとした敵意に変わった。
普段は誰に対しても優しく、争いを好まない彼女が、初めて明確に相手を睨みつけた。
「……ふざけないでください」
白峰の声は低く、しかしはっきりとした怒りを帯びていた。
怯えは確かにあったが、それが御堂への侮辱に対する怒りに完全に上書きされていた。
自分が慕う先輩を馬鹿にされたことに対する、純粋で強い反発が、彼女の瞳に燃えていた。
「おお、怖。
ちょっとした冗談やんか」
九条はそう言い、目の前の白峰の横をヒョイと避けて、まるで何事もなかったかのように歩き出した。
その背中は完全に白峰の敵意を無視した、軽やかなものだった。
白峰はまだ九条の背中を鋭く睨みつけながら、唇を固く結んでいた。
その横で、御堂は小さくため息をつき、凛は肩を縮めてオロオロと視線を泳がせ、藤堂は気まずそうに眼鏡を直す。
重い沈黙を伴った一行は、九条の後に続いて歩き出した。
「ここや」
九条に案内され辿り着いたのは、広々とした会議室だった。
九条に案内され辿り着いたのは、広々とした会議室だった。
そこにはすでに100名を超える人員が、整然と座って待機していた。
一行が入室した瞬間、会場内の視線が一斉にこちらへ集まった。
特に白峰に向けられる好奇の視線が多かった。何十もの目が、興味深げに、探るように、ときには驚きを帯びて彼女をじっと見つめている。
(すごい新人って……こういう事……?)
白峰は背中に視線を感じながら、飛行機の中で読んだ資料の内容を思い出した。
黒子班75名、妖封士32名による大規模討伐任務——その全容が、ここに集まっているのだと、すぐに理解した。
「凛ちゃんは東京の方達と後ろの方に座っとき」
そう伝え、九条は講演台へと向かう。
用意された最後尾の座席に座る一同。
白峰はぷりぷりと頰を大きく膨らませ、九条のセリフをわざとらしく誇張した関西弁で真似た。
「何が『暇してたんやぁ』ですか!
これから大事な会議なのに、暇なわけないじゃないですか!
絶対悪口言いに来ただけです!」
その様子に、御堂がクスクスと小さく笑った。
白峰はさらに声を尖らせ、頰を赤くしながら続ける。
「私は本当に怒っているんです! 笑わないでください!」
御堂はそんな白峰を見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。
自分のためにここまで真っ直ぐに怒ってくれる優しさに、深い感謝が湧き上がる。
それと同時に、子犬が一生懸命に吠えているような可愛らしい威嚇ぶりに、思わず笑みがこぼれてしまった。
御堂の目には、怒っているはずの白峰が、ひどく愛らしく映っていた。
程なくして作戦会議が始まった。
公務員らしい、非常に粛々とした進行だった。
司会進行役の黒子が淡々と議事を読み上げ、九条が時折補足を入れる。
数分単位のタイムスケジュール、分岐した想定パターンと対処法、詳細な配置図の説明……。
会場内はほとんど咳払いすら聞こえないほど静まり返り、ただ資料をめくる音と、プロジェクターの微かな作動音だけが響いていた。
しかし、そこには一切、凛の名前も東京班の名前も出てこなかった。
会議が終わりを迎える頃、思い出したかのように九条は東京班の方を見て言った。
「そうそう、東京班の方々は本陣で待機や。
凛ちゃんも一緒に居って、東京の方々たちの話し相手でもしとってな」
その言葉が出た瞬間、御堂と凛がほぼ同時に立ち上がった。
「待ってください!」
御堂の声は普段の優雅さを保ちつつ、強い不満をはっきりと含んでいた。
「それでは私たちの参加意義がありませんわ!
わざわざ東京から呼ばれたというのに、後方で待機だけというのは到底納得できません!」
隣では凛が小さな体を精一杯伸ばし、目を大きく見開いて声を張り上げた。
「班長! 私も戦えます!
幼少の頃からずっと精進してきました!
初陣だからって後ろに下がるなんて……絶対に嫌です!
どうか前線に配置してください!」
二人の声が重なり、会議室の後方から一気に熱を帯びた抗議が響いた。
白峰は内心、少しだけホッとしていた。
(よかった……
凛ちゃんが、危険な最前線に行かなくて済むかもしれない……)
初めてできた年下の後輩である凛を、守ってあげたいという姉心のような想いが、白峰の中で強く芽生えていた。
しかし同時に、自分の力量の低さと経験の浅さを痛いほど自覚していた。
自分がまだまともに戦える自信がないのに、凛を危険な場所に連れて行くことなど、とてもできない——
そんな葛藤が、彼女の胸に複雑な安堵を生んでいた。
優しさから来る安堵と、「自分もちゃんと戦わなくては」という小さな覚悟が、白峰の中で静かに混じり合っていた。
抗議をどうでも良さそうな顔で聞いていた九条は、二人が言い終わると、まるで聞き分けのない子供のわがままを聞かされた大人のような、困ったような——しかしどこか楽しげな笑みを浮かべて言った。
「もう終わり?
変わることは無いで。
適正配置ってやつや」
その言葉は穏やかだったが、一切の交渉の余地がないことをはっきりと突きつける響きだった。
取りつく島がないことを悟った御堂と凛は、唇を固く結び、悔しさをにじませながらも渋々席に着いた。
苦虫を噛み潰したような表情で、御堂は静かに息を吐き、凛は小さな拳を膝の上でぎゅっと握りしめていた。
作戦会議はそこで終了した。
特対室の地下オフィスは、いつもの薄暗い照明の下で静かだった。
安倍零がフラッと戻ってきたのは、ちょうど夕暮れ時だった。
部屋を見回した彼は、すぐに違和感に気づいた。
白峰も御堂も藤堂も、姿が見えない。
「ん? みんなどこ行ったの?」
安倍は気軽に黒崎に尋ねた。
黒崎は自席でコーヒーをすすりながら、ぶっきらぼうに答えた。
「本部に招集されて、沖縄に行った」
安倍は一瞬目を丸くした後、すぐにいつもの飄々とした笑みを浮かべた。
「えー、また僕だけ仲間はずれかぁ~。
ひどいなぁ、みんなでこっそり沖縄旅行とか、ずるいよー」
その戯けた言い方に、黒崎はコーヒーカップを持つ手をピタリと止め、苛立った目で安倍を睨んだ。
「……アンタがいつもフラフラしてるから呼ばれないんだよ」
室長が奥の席から、補足するように低い声で付け加えた。
「九条が頭でシーサーの討伐に当たるそうだ」
安倍零は一瞬、表情を止めた。
「……恭弥くんかぁ」
彼は丸いサングラス越しに、どこか遠い目をした。
「悪い子じゃ無いんだけどねぇ……
カナデちゃんと相性最悪だけど、大丈夫かな?」
そう呟いた後、安倍はいつもの飄々とした笑みを浮かべながら、自分の席に腰を下ろした。
黒崎はコーヒーを一口すすってから、ぼそりと吐き捨てるように言った。
「……あの人のことを気に入ってるのはアンタくらいだよ」
安倍はくすくすと笑いながら肩をすくめた。
「そういえば黒崎ちゃんも昔、彼に色々言われてたね。
まあ、頑張ってくれるといいけど」
少し間を置いて、彼は黒崎の方を向いて、のんびりと言った。
「ミオちゃん、紅芋タルト買って来てくれるかな?」
黒崎はコーヒーカップを置く手も止めずに、即答した。
「知るかよ」
安倍はくすくすと笑いながら肩をすくめた。
オフィスに、いつものような、どこか気怠い空気が戻ってきた。




