八月の陽気
雪華の体が淡い光に包まれた。
光が優しく収まると、そこにはいつもの派手なコートを羽織った長身の美女、雪華の姿があった。
荒々しく吹いていた吹雪も、徐々にその勢いを失っていった。
風の唸りが静かに遠ざかり、空に雲の隙間が見え始め、夏の柔らかな陽光が雪の上に淡く差し込む。
激しい戦いの余韻が、まだ雪の上に薄く残る中、境内の空気はようやく穏やかさを取り戻し始めていた。
白峰は安堵のあまり、その場に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……」
全身の力が抜け、雪の上に膝をついたまま、荒い息が止まらない。
肩や腕の傷がじんわりと痛み、戦いの緊張がゆっくりと解けていくのを感じながらも、涙が自然と溢れてきた。
雪華が素早く駆け寄り、白峰の体を優しく受け止めた。
「大丈夫? 白峰ちゃん」
いつものオネエ口調に戻った雪華の声が、白峰の耳に優しく響いた。
その声には、激闘をくぐり抜けた安堵と、白峰を心配する温かさが溢れていた。
白峰は弱々しく微笑みながら、緊張の糸がようやく解けたような、ちょっと気の抜けた感じで尋ねた。
「あの姿……何だったんですか?」
雪華は室長を囲んでいた氷壁を解除しながら、静かに答えた。
「私はね、雪女の本霊から分離した、一番最初の分霊なの。
昔、晴明が本霊を封印する際に、分霊として生み出されたのよ」
白峰は目を丸くして、掠れた声で繰り返した。
「え……分霊……?」
雪華は優しく微笑みながら続けた。
「白虎は昔、京都の西を守る聖獣として封印されていたんだけど……江戸幕府が誕生した頃に北海道に移されたの。
それ以来、この地を守りながら、本霊や妹たちを見守ってきたわ」
白峰は雪の上に座り込んだまま、呆然と呟いた。
「……雪華さんが、そんな……
ずっと、この土地を守ってたんですね……」
きみどりが雪の上に座り込み、手遊びをしながら意地悪そうな口ぶりで言った。
「でも、もうその必要は無いよね。
だって全部せっかになったもん」
きみどりは地面に指で雪の絵を描きながら、まるで退屈な授業を聞いている子供のように、頰を少し膨らませて足をぶらぶらさせていた。
その無邪気で可愛らしい仕草に、戦いの余韻が残る中でも、ふっと柔らかい空気が流れた。
雪華はその言葉を聞き、自分の内に本霊や妹たちの存在を感じ、目を細めた。
(……確かに……自分が雪女の本霊になってしまったみたいね……)
安堵と、ほんの少しの寂しさ、そしてこれから自分がどうなるのかという複雑な感情が、雪華の胸の中で静かに渦を巻いていた。
白峰が驚いた顔で雪華を見ると、雪華はすぐにいつもの軽い口調に戻って笑った。
「でも、雪華ちゃんだから大丈夫ヨォ!
心配しないでね~」
白峰は思わず小さく笑ってしまった。
「雪華さん……本当に、ありがとうございました」
きみどりは地面に指で雪の絵を描きながら、飽きた様子でぽつりと言った。
「もういい? きみどり、飽きたよ……」
しかし、言葉とは裏腹に、きみどりは白峰の顔をチラチラと見上げ、名残惜しそうに雪の上で少し体を揺らした。
白峰ともう少し一緒にいたい気持ちと、子供らしい飽きっぽさがせめぎ合い、可愛らしく頰を膨らませて迷っている様子が伝わってくる。
「……でも、おねえちゃんともっと遊びたい……」
小さな声で呟いた後、きみどりはふわりと光の粒子になり、白峰の体の中に優しく溶け込むように帰っていった。
白峰は胸の奥に温かい感覚が広がるのを感じ、そっと微笑んだ。
そんなやり取りをしていると、北海道の黒子班が到着した。
雪の上を慌ただしく動き回る黒子たちの足音と指示の声が、静かになり始めた境内に響き渡る。
「負傷者の確認を急げ!」「医療班はこちらへ!」「封印の残滓を回収しろ!」
彼らは迅速に傷ついた者たちを担架に乗せ、残った雪女の痕跡を調べ、儀式の跡を封じ込めようと動き始めた。
夏の陽光が少しずつ強くなり、雪が溶け始める中、現場は一気に活気づいた。
白峰は雪の上に座り込んだまま、その様子をぼんやりと見つめていた。
すると、一人の黒子が駆け寄ってきて、息を整えながら報告した。
「黒崎さんと相良さんは命に別状ありません。
黒崎さんは肩の傷が深いですが、すぐに治療を始めます。
室長さんも意識を取り戻しました。ただ……安静が必要です」
その言葉を聞いた瞬間、白峰の胸に大きな安堵が広がった。
緊張で強張っていた肩から力が抜け、雪の上に両手をついたまま、ふっと息を吐いた。
「……よかった……
本当に、みんな無事で……」
白峰は空を見上げ、夏の青空が少しずつ広がっていくのを感じながら、心の中で繰り返した。
(……みんな、無事でよかった……)
雪華はそんな白峰の横に腰を下ろし、優しく微笑んだ。
「今日はお疲れ様、白峰ちゃん。
札幌に帰ったらたーんと美味しい物をご馳走するワァ!」
その言葉は、いつもの明るいオネエ口調だったが、声の端に疲れと安堵が優しく混じっていた。
吹雪が完全に止み、夏の陽光が優しく一行を照らしていた。
激しい戦いの余韻が、まだ雪の上に薄く残っている。
溶け始めた雪が水音を立てて流れ、木々の枝から雪の塊がぽたりと落ちる音が、静かな境内に響く。
白峰は雪の上に座り込んだまま、ゆっくりと深呼吸をした。
体中の傷がじんわりと疼き、疲労が骨の髄まで染み込んでいるのを感じながらも、胸の奥に温かい安堵が広がっていく。
周囲では北海道の黒子班が慌ただしく動き、後処理を進めていた。
担架を運ぶ音、指示を飛ばす声、雪を掻き分ける音——それらが現実に戻ってきたことを静かに教えてくれる。
白峰は空を見上げ、夏の青空が少しずつ広がっていくのを見つめた。
(……みんな、無事でよかった……
本当に……戦い終わったんだ……)
雪華は白峰の横に腰を下ろしたまま、優しく肩に手を置いた。
その手は温かく、戦いの冷たさを少しずつ溶かしてくれるようだった。
吹雪が完全に止んだ富良野の空は、穏やかな夏の陽光に満ち、激闘の記憶を優しく包み込んでいた。
数日後——
札幌の北海道支部は、いつもより少し賑やかだった。
白峰澪と御堂奏は、支部の資料整理を手伝っていた。
黒崎と室長は先の戦いで深手を負い、東京へ帰れる状況ではなくなっていた。
さらに、分霊が大量に消えた影響で北海道各地の調整業務が逼迫し、人手が足りなくなったため、二人がそのまま残ってサポートすることになったのだ。
白峰は書類をまとめながら、ふと柔らかい微笑みを浮かべた。
「ねえ、御堂さん……あの後、雪華さんに連れて行ってもらったすすきの、覚えてます?」
御堂も書類から顔を上げ、くすっと上品に笑った。
「ええ、忘れられませんわ。
あんなに賑やかで、美味しくて……私たちの知らない世界でしたもの。
あのジンギスカン、癖になりそうですわね」
二人は顔を見合わせて、思わず小さく笑い合った。
戦いの疲れが残る中でも、その笑顔は自然で温かかった。
そこへ、派手なヒールの音と共に雪華が戻ってきた。
「ただいま~! みんな、お疲れ様!
あたしも手伝うわヨォ~!」
雪華が明るく声を上げ、両手を広げて入ってきた瞬間、支部内に女三人の楽しそうな笑い声が響き渡った。
雪華の派手な笑い声、白峰の柔らかい笑い声、御堂の上品で控えめな笑い声——三つの音色が重なり合い、狭い部屋を明るく満たしていく。
雪華は目を細めてにっこり笑い、扇子をパチンと開いた。
「ねえ、みんな! ランチにでも行かないかしらぁ〜!?
今日はあたしのオススメの店があるのよ~!
新鮮な海鮮丼に、濃厚なスープカレー、もちろんジンギスカンも外せないわヨォ!」
白峰は書類を置いて、くすくすと笑いながら答えた。
「雪華さん、元気いっぱいですね……
私、まだちょっと疲れてるのに、誘われたら行きたくなっちゃいます」
御堂も優雅に髪を耳にかける仕草をしながら、微笑んだ。
「ふふっ、私も賛成ですわ。
少しぐらい羽を伸ばしてもいい頃ですもの」
雪華は二人の返事を聞いて、嬉しそうに手を叩いた。
「やったわ~! 3人よれば姦しい、ってやつね!
今日はあたしが全部おごるから、遠慮なく食べてね~!」
三人の笑い声が、再び支部内に明るく広がった。
激しい戦いの傷跡がまだ残る中でも、彼女たちの笑顔は自然で、温かく、まるで夏の陽光のように部屋を照らしていた。
一方——
舞台は一変し、薄暗く湿った地下の部屋の中。
重い空気が淀み、壁に灯るわずかな蝋燭の炎だけが、長い影を不規則に揺らしていた。
そこには芦屋影人をはじめ、妖栄会の幹部と思しき面々が、黒いローブを纏って鎮座していた。
誰もが口を閉ざし、息を潜めるような沈黙が部屋を支配している。
1人の男が、低く、擦れた声で呟いた。
「……北は取られたか」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気がさらに重くなった。
芦屋影人は影に深く沈んだ顔のまま、ゆっくりと口元を歪めた。
その笑みは、暗闇の中で浮かび上がる白い歯だけが不気味に光り、まるで闇そのものが笑っているかのようだった。
「取られたのは想定外ですが……四神の解放ができた事は重畳。
次の一手を打ちましょう」
その不気味で冷たい声が、部屋の中に静かに、ねっとりと響き渡った。
声の余韻が消えないうちに、芦屋の影がわずかに蠢いたように見えた。
幹部たちの間に、微かな緊張と期待が走る。
蝋燭の炎が一瞬、青白く揺らめき、部屋全体がより深い闇に沈んだ。
芦屋影人はゆっくりと指を組むと、影の中で低く、愉しげに笑った。
「ふふ……楽しみはこれからですよ」




