優しい雪女、ね
戦いの余韻がまだ残る吹雪の中、現地の黒子が一行を急かした。
「皆さん、早く! 安全なベースキャンプへ案内します!
このままでは体力が持たない!」
疲弊した面々は黒子の案内で、富良野の外れにある小さな山小屋のようなベースキャンプへと移動した。
中に入ると、ようやく暖を取ることができたが、誰もが息を荒げ、肩を落としていた。
室長が壁に寄りかかりながら短く言った。
「……状況を整理するぞ」
簡易テーブルを囲み、作戦会議が始まった。
支部の黒子が地図を広げながら説明した。
「目的地は富良野の外れにある、古い神社です。
そこに雪女の本霊が祀られています。
道中の雪女は可能な限り倒しながら進みます」
黒崎が地図を睨みながら、低くぼそりとつぶやいた。
「……まだ距離があるな」
御堂が優雅に腕を組み、静かにため息をついた。
「消耗は避けたいですが、そうもいきませんわね……」
白峰は少し迷いながら、しかし真剣な顔で口を開いた。
「……あの、優しい雪女さんもいるかもしれません!
みんなが暴走しているわけじゃないと思うんです……」
彼女の脳裏に、紅葉の優しい微笑み、むらさきの気品ある仕草、きみどりの無邪気な笑顔が浮かんだ。
御堂が静かに、しかし強い口調で優しくも厳しく静止した。
「澪ちゃん……あなたの優しさはとても素晴らしいと思いますわ。
でも、今の状況で妖怪を信頼しようとする姿勢自体が、危ういですのよ。
妖怪は妖怪ですわ。
たとえ優しい面を見せたとしても、彼らは根本的に人間とは違う存在よ」
白峰は思わず反論しようと口を開きかけた。
「でも、紅葉さんや紫さんは本当に……」
その瞬間、黒崎が低く、しかし鋭く静止した。
「甘いこと言うんじゃねえ。
先の戦闘で油断して、俺に庇われてるのをもう忘れたか?
妖怪を信じたい気持ちはわかるが、今はそんな余裕はねえぞ」
白峰は言葉を詰まらせ、唇を強く噛んだ。
胸の奥で、後悔と葛藤が再び渦を巻いた。
その言葉を聞いた雪華が、扇子を軽く広げたまま、ぽつりと呟いた。
「……優しい雪女、ね……」
雪華の声はいつもの派手さとは違い、少しだけ柔らかく、どこか遠い響きを帯びていた。
白峰の優しさに触れた瞬間、雪華の胸の奥に小さな波紋が広がった。
(……なんだか、懐かしい……)
雪華はすぐにいつもの明るい調子に戻り、扇子をパチンと閉じて、わざと明るく声を弾ませながら言った。
「まあ、確かに一部の本霊から分離した本物はともかく……
多くの雪女の分霊は負のエネルギーに充てられて暴走してるだけでしょうね~」
彼女の声は、さっきまでの重い空気を無理やり明るく塗り替えるような、軽やかなトーンだった。
「何故そう思う?」
雪華は肩をすくめた。
「言ったでしょ。多くの雪女は人がそう願った結果生まれたの。
一部の本物はともかく、その他大勢が本霊を目指す理由なんてないもの。
……そっちでの出来事は聞いてるわ。今回もおそらく人為的な物でしょうね」
その言葉を聞いた白峰の顔が、辛そうに歪んだ。
戦う必要のない妖怪と戦わなければならないこと。
きっと多くの雪女が苦しんでいるだろうという想像。
胸が締め付けられるような感覚が、白峰を襲った。
頭の中に、仙台での記憶が鮮やかにフラッシュバックする。
紅葉の巨大な体が負のオーラに蝕まれ、苦痛に歪みながらも戦わされている姿。
紫の紫色の複眼が痛みと葛藤で激しく揺れ、自分の意志に逆らって脚を動かそうとする、ぎこちない動き。
「あの時、彼女たちは本当に戦いたくなかった……
自分の意思じゃないのに、強制されて……苦しそうに……」
白峰の指が、無意識に強く握りしめられた。
(……また、同じことが……?
雪女たちも、紅葉さんや紫さんと同じように……苦しんでいるのかもしれない……)
御堂が静かに、しかしはっきりと言った。
「……妖栄会、ですわね」
その名を聞いた瞬間、部屋の空気がピンと張りつめた。
黒崎の表情が一瞬で険しくなり、室長の目がわずかに細まる。
黒崎が低く、吐き捨てるように言った。
「妖怪との共存を目指すとか息巻いてる、イカれた連中か……」
室長は腕を組んだまま、落ち着いた、しかし重い声で言った。
「その可能性は考えていた。本部もその線で調査を進めていると言っていたが……
こんな所まで手が伸びていたとはな」
雪華も扇子を閉じ、少し真剣な顔で続けた。
「ふふっ……妖栄会ねぇ。
あたしも名前だけは聞いたことがあるわ。
厄介な連中らしいじゃない」
状況が飲み込めない白峰に、現地の黒子が静かに説明した。
「妖栄会は、表向きは妖怪の保護や共存を掲げていますが……
実態は不明ですが、妖怪を使役し私利私欲の為に利用しているという話も聞きます……」
白峰は拳を強く握りしめた。
(……妖怪を、道具のように……
紅葉さんや紫さん、きみどりみたいに……心があるのに……
優しかったのに、苦しめられて……)
彼女の胸に、珍しく強い怒りが湧き上がった。
仙台で感じた温かい記憶と、今の冷たい現実が激しくぶつかり合い、心が痛む。
白峰は静かに、しかしはっきりと言った。
「……わかりました。
行きましょう。本霊が祀られている神社へ」
室長が短く頷いた。
「よし。出発だ」
ベースキャンプのドアを開けると、外はまだ激しい吹雪が続いていた。
しかし、白峰の目は、もう少しだけ強く輝いていた。




