夏の雪祭り
富良野に近づくにつれ、吹雪は目に見えて強さを増していった。
夏のはずの緑深い景色が、まるで誰かに塗りつぶされるように白一色に変わっていく。
ラベンダー畑の残骸が雪に埋もれ、木々の葉は凍りつき、道の両側はすでに膝丈を超える雪の壁ができ始めていた。
ワイパーがフル稼働で必死に雪を払っても、フロントガラスはすぐに厚い雪の膜で覆われ、視界が一瞬ごとに悪化する。
外の風が車体を叩く音が、まるで獣の爪が金属を引っ掻くように不気味に響いていた。
白峰は窓の外を見つめ、思わず息を飲んだ。
(……夏なのに……こんなに……)
胸の奥で、仙台の紅葉との戦いの記憶がよぎり、不安がじわじわと広がっていく。
白峰は窓の外を見て、不安そうに言った。
「こんなに雪が降ったら……住民の方々、大丈夫でしょうか?」
運転席の黒子が、冷静に答えた。
「避難はすでに完了していますので、ご安心ください。
この地域の住民は、異常気象への対応訓練も行き届いています」
それでも白峰の表情は晴れなかった。
後部座席から黒崎がぼそりと漏らした。
「……八月に雪女の分霊が大量に動き出すなんて、前代未聞だな」
御堂が優雅に腕を組み、静かに言った。
「仙台の件とは規模が違うようですわね……」
室長は腕を組んだまま、低く唸った。
「安倍の奴がいねぇ今、こっちだけでどうにかするしかねぇ……」
雪華は助手席で扇子を広げ、明るく言った。
「まあまあ、みんなそんなに深刻な顔しないの~!
あたしがいるんだから、なんとかなるわヨォ♪」
白峰は少しだけ笑おうとしたが、車が大きく揺れた瞬間、笑顔が凍りついた。
「雪……ますます強くなってます……」
黒崎が舌打ちした。
「チッ……このペースじゃ車はもう限界だ。
いつ止まるかわからねぇぞ」
御堂が静かに、しかし鋭く息を吐いた。
「そろそろ覚悟を決めた方が良さそうですわね……」
室長が短く、低く指示を出した。
「雪華。状況はどうだ?」
雪華は窓の外を鋭く覗き込み、扇子をパチンと勢いよく閉じた。
「もうすぐ限界ね~!
みんな、車から降りる準備してて! 今すぐよ!」
その言葉が終わらないうちに——
車体が大きく横滑りした。
ガガガッ……!
タイヤが雪に取られ、車が制御を失う。
車内が激しく揺れ、金属の軋む音が響き渡った。
白峰の体がシートに叩きつけられ、息が一瞬止まる。
黒崎が即座に叫んだ。
「降りろ! 今だ!」
御堂が鋭く声を上げた。
「白峰さん、早く!」
室長が低い、切迫した声で命じた。
「飛び出せ!」
黒子が急ブレーキをかけながら叫んだ。
「今です!」
白峰は慌ててシートベルトを外し、手が震えながらドアに伸ばした。
「う……っ!」
ほぼ同時に、黒崎がドアを蹴り開け、御堂が白峰の腕を強く掴んで引きずるようにして外へ。
室長も低く唸りながら自らドアを押し開け、雪の中へ飛び出した。
全員が雪の上に転がるように降りた直後——
ガチッ、という凍てつく激しい音が響き、車全体が一瞬で厚い氷の膜に覆われた。
クスクス……と、悪戯っぽい女の笑い声が吹雪の中に響いた。
「ふふっ……見つかっちゃった?」
人影がゆっくりと近づいてくる。
その姿が徐々に変化していく。
美しい女性のシルエットが、ねっとりと溶けるように歪み——
現れたのは、巨大な白い蛇だった。
長く太い胴体に、雪のように白い鱗。
しかしその目は、明らかに人間のものだった。
室長は冷静に、しかし低く言った。
「なるほど……女の暗喩、って事かい」
雪華は扇子を広げ、いつものオネエ口調をさらに強くして答えた。
「まあ~! そういうのもいるのでしょうねぇ~。
雪女のイメージって、ほんとに千差万別だわヨォ!」
その言葉を合図にしたかのように、周囲の吹雪の中から、次々と人影が現れ始めた。
一匹、また一匹と——
それぞれが、異形の姿へと変貌していく。
白い蛇は雪の結晶のように輝く鱗を持ち、巨大な雪狼は純白の毛並みを風に靡かせ、氷の翼を持つ女は透明な翼を広げて雪片を舞わせ、半透明の氷の骸骨は骨の隙間から青白い光を漏らしながらゆっくりと浮かび上がる。
雪女の分霊たちが、次々と本性を現し始めた。
吹雪の中で、その姿は恐ろしくも美しかった。
純白の雪が宝石のように輝き、氷の翼が光を屈折させて虹色の光の粒を散らし、雪狼の毛並みは月光を浴びたように幻想的に揺れる。
まるで冬の妖精が舞うような、息をのむほどの美しさがあった。
しかし、その美しさの奥底に潜むのは、底冷えするような恐怖だった。
白峰の息が凍りついた。
(……これが……雪女……)
優しい雪のイメージとはまるで違う、冷たく、禍々しく、獲物を狙うような気配が吹雪とともに迫ってくる。
仙台の紅葉や紫とはまた違う種類の「美しさと恐怖」が、そこにあった。
雪の結晶がキラキラと舞う中、異形の影たちがゆっくりと輪郭を濃くしていく。
甘く冷たい風が白峰の頰を切り、吐く息がすぐに白く凍りつく。
美しく輝く雪の中で、獲物を捕らえるための冷たい視線が、次々と白峰たちに向けられていた。
白峰は思わず後ずさり、声が震えた。
「……うそ……こんなにたくさん……
どうして……突然……」
混乱と恐怖で頭が真っ白になり、指先が冷たく痺れる。
仙台の戦いの記憶がフラッシュバックし、胸が激しく締め付けられた。
雪華は扇子をパチンと勢いよく閉じ、にやりと笑った。
「さあ、始まるわよ~。
あたしたちの、夏の雪祭り♪」
その言葉と同時に、吹雪が一気に激しさを増していく。




