きみどり色の夢
特対室に戻った夜、白峰は自分のデスクで巡回報告書を作成していた。
先日の買い物で御堂から貰ったヘアピンを、そっとデスクの端に置く。
淡いピンクの花びらが、蛍光灯の光を柔らかく反射していた。
(……御堂さん、ありがとう)
報告書の文字を打ち込みながら、白峰はふと目をこすった。
配属以来、ほとんど休みなく続いた日々に、ようやく訪れたオフの疲れが一気に押し寄せてくる。
「……ん……ちょっとだけ、休憩……」
白峰は腕を組んでデスクに突っ伏した。
そのまま、意識がゆっくりと落ちていく。
──夢の中。
そこは、柔らかな黄緑色の光が満ちる、穏やかで不思議な空間だった。
まるで森の奥深くに隠された、秘密の庭園のような場所。
足元には柔らかい苔のような感触が広がり、空気はほのかに甘く、どこか懐かしい草の香りが漂っている。
淡い黄緑色の光の粒子が、ゆっくりと舞いながら周囲を優しく包み込んでいた。
白峰がゆっくりと目を開けると、すぐ目の前に小さな女の子が立っていた。
黄緑色の着物を着た、元気そうな少女。
小さな花の髪飾りを付け、大きな瞳がきらきらと輝いている。
「きみどり……!」
白峰が声を上げると、きみどりはぱっと笑顔になって駆け寄ってきた。
「おねえちゃん! 会いたかったよ!」
きみどりは白峰の腰にぎゅっと抱きついてきた。
夢の中なのに、その体温や柔らかい感触が、はっきりと伝わってくる。
白峰は思わず微笑みながら、きみどりの頭を優しく撫でた。
「私も……会いたかった。
あのあと、急にいなくなっちゃったから……心配してたよ」
きみどりは白峰の胸に顔を埋めたまま、くすくすと笑った。
「きみどりはずっと一緒にいるよ?
おねえちゃんが寝てる時とか、疲れてる時とか……
でも、ちゃんと姿は見せられないの」
白峰はその言葉を聞きながら、静かに確信した。
(……やっぱり、きみどりは私の体に憑いている妖怪なんだ……)
以前の自分なら、この事実に恐怖を覚え、距離を置こうとしたかもしれない。
妖怪という存在そのものが、ただ怖いだけのものだった頃の白峰なら。
でも今は違った。
紅葉の気高さと優しさ、紫の穏やかな微笑み、夢の遊郭で一緒に過ごした時間、そして激しい戦いの最中でも白峰を守り、励まし続けてくれたきみどりの存在——。
白峰はきみどりの小さな背中を優しく抱きしめながら、穏やかな声で答えた。
「そうなんだ……」
白峰は微笑みながら、きみどりの頭を優しく撫でた。
小さな頭を、まるで大切な宝物のように丁寧に、ゆっくりと撫で続ける。
その手つきはとても優しく、以前の自分が妖怪を前にしたら絶対にできなかったような、温かさに満ちていた。
白峰はきみどりを少し離して、じっとその顔を見つめた。
「きみどり……あの時、ありがとう。
あなたがいてくれたから、私、ちゃんと踏み出せたよ」
きみどりは照れくさそうに頰を膨らませながらも、嬉しそうに目を細めた。
「えへへ……おねえちゃん、強くなったね。
でも、まだまだだよ? きみどり、もっともっと頑張ってほしいもん!」
白峰は小さく笑った。
「うん……頑張る。
怖いのも、まだあるけど……きみどりがいてくれるなら、大丈夫かなって思う」
きみどりは白峰の手をぎゅっと握って、元気いっぱいに頷いた。
「うん! きみどり、いつもおねえちゃんの近くにいるから!」
二人は夢の中で、しばらく手をつないで並んで歩いた。
二人は夢の中で、しばらく手をつないで並んで歩いた。
言葉は少なくても、温かい安心感が胸いっぱいに広がっていく。
きみどりがふと顔を上げて、元気よく話し始めた。
「ねえ、おねえちゃん! 黒崎のお兄ちゃん、相変わらず怖い顔してるけど、実は優しいよね?
この前、こっそりお菓子置いてってくれたの、きみどり知ってるよ!」
白峰はくすっと笑って頷いた。
「うん、黒崎さん、照れ屋さんだもんね」
「それから、御堂のお姉ちゃん! いつもかっこいいよね。
きみどりも大きくなったら、ああいうかっこいいお姉さんになりたい!」
白峰は少し驚いてから、優しく微笑んだ。
「ふふっ、御堂さんみたいにかっこよく決まるかな……
きみどりなら、きっと似合うと思うよ」
きみどりは目を輝かせながら、次々と話題を変えた。
「紅葉様も、紫さんも、すごく優しかったよね。
おだんご、美味しかった……
またみんなで食べたいな」
白峰はきみどりの小さな手を優しく握りしめながら、静かに微笑んでいた。
そんな取り留めのない、日常のような会話が、夢の中でとても愛おしく感じられた。
やがて、きみどりが少し寂しそうに微笑んだ。
「……もう、起きる時間だよ。おねえちゃん」
「え……もう?」
「うん。でも、また会おうね。
おねえちゃんが疲れたら、きみどり、呼んであげるから」
白峰はきみどりの手を優しく握り返した。
「ありがとう、きみどり。
またね」
きみどりの姿が、ふわりと黄緑色の光に溶けていく。
白峰はゆっくりと目を覚ました。
デスクの上に突っ伏したまま、頰が少し湿っていることに気づいた。
慌てて手を当ててみると、うっすらと涙の跡があった。
「……夢、だったんだ」
白峰はそっとデスクの端に置いたヘアピンに触れた。
淡いピンクの花びらが、静かに光を反射している。
(……きみどり、ありがとう。
私、もっと頑張ってみるね)
報告書の続きを打ち込みながら、白峰の指は少しだけ軽くなっていた。
胸の奥に残る温かな感触が、夜の特対室を優しく照らしているようだった。
数日後。
特対室の地下オフィスは、いつものように薄暗く淀んだ空気が流れていた。
白峰がデスクで資料を整理していると、安倍零がふと近づいてきて、丸いサングラス越しに白峰の髪を覗き込んだ。
「おや、ミオちゃん。
そのヘアピン、可愛いね。最近買ったの?」
白峰は少し照れながら、髪にそっと触れた。
「あ……はい。
実はこの前のお休みの日に、御堂さんとショッピングに行ったときにもらったんです」
すると、すぐ隣の席から御堂奏が優雅に胸を張った。
「ふふっ、そうなのよ。
私が選んであげたの。澪ちゃんにぴったりだと思って」
御堂はどこか自慢げに微笑みながら、軽く髪を払う仕草をした。
安倍零は面白そうに目を細めた。
「へえ、カナデちゃんが選んだんだ。
センスいいじゃないか」
そのやり取りを聞いていた黒崎が、コーヒーをすすりながらぼそりと余計な一言を挟んだ。
「……珍しく藤堂が失敗したな日だな」
藤堂がデスクの向こうから慌てて反応した。
「黒崎さん!
あれはただ……計算外だっただけで……!」
室長の相楽剛は奥の席から顔も上げずに、低い声で一喝した。
「お前ら、働け」
オフィスに一瞬の静寂が落ちた。
白峰は思わず小さく笑ってしまった。
胸の奥がくすぐったくて、つい頰が緩む。
(……本当に、賑やかな人たちだな)
ヘアピンをそっと指で触れながら、白峰は心の中で静かに思った。
少しずつ、この場所が「自分の居場所」になりつつあるような気がした。
怖かったはずの特対室が、今は少しだけ温かく感じられる。




