良い街中華がありますよ
藤堂の運転する黒いワゴン車は、六本木の地下駐車場を出て、昼前の首都高速をあきる野方面へと走り出していた。
助手席の白峰澪はシートベルトをきっちり締め、膝の上に置かれた資料を両手で握りしめている。
後部座席では黒崎がシートに深く沈み、すぐにいびきをかいていた。
運転席の藤堂 司はハンドルを握りながら、穏やかな声で話し始めた。
「白峰さん、移動中に説明しますね。
今回の目的地はあきる野市にある古い神社周辺です。
あの神社は昔、百目鬼を封じていたと言い伝えられている場所なんです。」
「……どうめき……ですか……?」
白峰は戸惑いを隠せない小さな声で、しかし先輩への敬意を忘れずに丁寧に聞き返した。
藤堂はミラー越しに優しく微笑みながら、丁寧に続けた。
「百目鬼は古典的な妖怪で、文字通り100個の目を持つと言われています。」
白峰は少し肩の力を抜き、ほっとしたような表情を浮かべた。
「百個目があるって確かに怖いですけど……
それくらいなら大丈夫そう、かな……?」
藤堂は小さく苦笑しながら、穏やかだが真剣なトーンで続けた。
「そう思われるのもわかりますが……実はネームド、つまり名前のつけられた妖怪は特別に危険視されています。
妖怪のほとんどは顕現してから間もなく陰陽師、昔の妖封士ですね、に退治されていましたので名前が付くことは稀なんです。
名前が付くということは……つまり、陰陽師に退治されずに一般人にまで広く認知されるほど猛威を振るった妖怪だということです。」
その言葉を聞いた瞬間、白峰の顔からさっきの緩んだ表情が一瞬で消え、再び緊張が走った。
(……名前が付くって、そんなにヤバいの……?
百目鬼って目がいっぱいあるだけじゃないの……?)
藤堂は構わず、しかし少し声を落として続けた。
「古典妖怪のほとんどは、伝承レベルの記録しか残っていないんです。
それには理由があって、明治維新の際に陰陽師から妖封士への移行が行われた際、多くの記録や技術が『迷信』として消失してしまったんです。
なので百目鬼も目が100個あるだけの妖怪、という可能性は限りなく低いです。」
藤堂はそこで一度言葉を切り、横目に白峰の反応を確認するように視線を移した。
「ぬりかべという妖怪はご存知でしょうか?
10年くらい前に、ぬりかべの分霊の封印が解かれた際には全国から妖封士が集められ討伐にあたりましたが、死傷者併せて15人という大被害が出ています。
あれはただの壁の妖怪と言われるものですが……分霊、つまりコピーですらそれだけの被害です。」
後部座席から黒崎のいびきが規則正しく響いている中、車内は一瞬、重い沈黙が落ちた。
白峰は資料を握る手に少し力を込め、唇を軽く噛んだ。
(……ぬりかべで15人……?
壁の妖怪じゃないの……?
百目鬼も……ヤバいんじゃない……?
しかも配属初日にいきなり外回りって……
新入社員が任務とか、普通にブラック企業じゃない……?
就活のとき「安定した公務員生活」って思ってたのに……)
藤堂は一般道に入った頃、安心させるように声を少し柔らかくして続けた。
「だからこそ封印が弱くなっていないか定期的に巡回し、必要なら再封印を施すのが私たちの重要な任務の一つです。
今回の百目鬼も、長年封印されていたものが少し緩んでいる可能性があるので、今日の調査は大事なんですよ。
いきなり討伐しろなんて無茶な任務ではありませんから、安心してください。」
藤堂が説明を終える頃、車は一般道の信号で停車した。
そのタイミングで、後部座席からガサッと音がした。
「……ん……もう着いたか?」
黒崎が目をこすりながらゆっくりと体を起こした。
まだ眠そうな顔で、前方をぼんやり見ながらぼそっと言った。
「藤堂、昼飯どうする? そろそろ昼だろ?」
一瞬の静寂の後、藤堂は苦笑いを浮かべながら答えた。
「今ちょうど説明が終わったところですよ。
あきる野に良い街中華があるんです。
おすすめは『特製天津飯』ですね。
ふわふわの卵と甘酸っぱいあんがかかったやつで、ボリュームもあって疲れた体にちょうどいいんですよ。
私も前回行ったときにハマってしまって……」
今までの緊張感が嘘のように軽い藤堂の返答に、白峰は思わず助手席で小さく肩を落とした。
(……この人たち、本当に妖怪退治のプロなんですか……?
ぬりかべで15人死傷した話の直後に特製天津飯って……
しかも配属初日に外回り任務って、普通にブラックだよ……
私はただの新入りなのに……
もう少し優しい導入があってもいいのに……)
白峰は膝の上の資料をぎゅっと握りしめながら、ため息を飲み込んだ。




