私がやります
紫に対峙する白峰の前に、安倍零が軽く笑いながら立っていた。
「手伝おうか?」
その言葉に、白峰は一瞬、刀の柄を握る手に力を込めた。
胸の奥で、まだ迷いが渦巻いている。
本当に戦って良いのか。
本当に、彼女たちを傷つけて良いのか。
昨夜の温かい記憶が、頭の中で何度も蘇る。
白峰は唇を軽く噛み、震える息を吐き出した。
「……私が、やります」
声は静かだったが、少し震えていた。
迷いを完全に振り切れたわけではない。
それでも、白峰は自分の意志でそう言った。
頭の中に、きみどりの声が響いた。
『来るよ』
突如、紫の脚が白峰に向かって猛烈に襲い掛かった。
鋭く尖った脚の先端が風を切り裂き、容赦ない速度で白峰の肩口を狙う。
その一撃には、明確な殺意が宿っていた。
白峰は真田丸8式を構え、その攻撃を受け止めた。
ガァァンッ!
刀身と紫の脚が激しくぶつかり、火花が散った。
刀などろくに扱ったことのない白峰だったが、体が自然に動いていた。
まるで真田丸8式が白峰の意志を補うように、勝手に反応しているかのようだった。
それでも、手の震えは止まらない。
刀身が紫の脚とぶつかるたび、心臓が激しく鳴り、息が荒くなった。
指が滑りそうになるのを必死に堪えながら、白峰は歯を食いしばった。
距離が近づくにつれ、紫や他の蜘蛛たちの苦しむ声が、鮮明に聞こえてくる。
痛みと葛藤に満ちた甲高い鳴き声。
戦いたくないのに戦わされている、無念と苦痛の響き。
白峰の胸が締め付けられた。
(……紫さん……みんな……)
それでも、白峰は静かに、けれど力強く、しかし声が少し上ずりながら言った。
「すぐ……楽にしてあげる……」
白峰は目を細め、真田丸8式に意識を集中した。
気を込めた一撃が紫に届いた。
ズンッ!
刀身が紫の体を捉えた瞬間、外傷はほとんどなかった。
しかし、白峰の「妖怪たちを思う優しい気」が刃を優しく包み込み、負のエネルギーのみを両断した。
紫の体が一瞬、大きく震えた。
負のオーラが切り裂かれ、苦しげに纏わりついていた黒い霧が、霧散するように薄れていく。
安倍零が少し離れた位置で、軽くぼやいた。
「物理法則、無視してるねぇ……」
白峰は刀を構えたまま、息を荒げながらも、ゆっくりと前へ進んだ。
まだ震えは残っている。
刀の扱いもぎこちない。
それでも、白峰の瞳には、迷いと優しさと、決して引かない覚悟が混じり合っていた。
白峰はどんどん巨大な紅葉へと近づいていく。
それを見た黒崎と御堂が慌てて叫んだ。
「危険だ、引け!」
御堂は特に声を荒げ、顔を青ざめさせながら必死に叫んだ。
「澪ちゃん! 危ないわ! 近づきすぎですのよ! お願いだから戻って!」
しかし白峰は止まらない。
子蜘蛛たちが次々と襲い掛かってくる。
白峰は真田丸8式で受け止め、薙ぎ払おうとするが、刀の扱いが未熟な分、完全に防ぎきれない。
鋭い脚が白峰の肩や腕、太ももを切り裂き、赤い血が飛び散った。
「……っ……!」
痛みに顔を歪めながらも、白峰は足を止めることなく前へ進む。
体に刻まれる傷は浅くはない。
それでも、白峰にとって一番痛いのは、外傷ではなかった。
心に負う傷の方が、遥かに深く、重かった。
倒れる子蜘蛛の苦しげな鳴き声。
紫色の複眼が痛みと葛藤で揺れる姿。
紅葉の巨体が負のオーラに蝕まれ、痙攣するように震える様子……
(……ごめん……
本当に、ごめんね……
みんな、戦いたくないのに……
私が、傷つけてる……)
優しかった記憶と、今、自分が与えている痛みが激しくぶつかり合い、白峰の心を抉る。
足が震え、膝がガクガクと鳴る。
それでも、白峰は歯を食いしばり、足を無理矢理前に踏み出した。
一歩、また一歩。
体に出来る傷以上に、心に負う傷が大きく、痛い。
それでも白峰は進む。
助けたい。
苦しんでいる彼女たちを、楽にしてあげたい。
その想いだけを胸に、震える足で戦場を進んでいく。
襲い来る子蜘蛛たちを一薙ぎに伏せるその姿は、どこか悲しげで、迷いを抱えたままだった。
再度、白峰は自分に言い聞かせるように、震える声で言葉を紡いだ。
「私が……やります……」
御堂が声を荒げたが、その中には強い心配と優しさが混じっていた。
「無茶だわ! 澪ちゃん……!
お願いだから、無理しないで……!」
黒崎は一瞬、安倍の方を一瞥し、短く叫んだ。
「道を作るぞ。あんたも手伝え!」
安倍零は小さく微笑みながら、飄々と答えた。
「はいはい、了解だよ〜」
そう言いながら、彼は軽く手を上げ、五行の術を即座に展開した。
周囲の子蜘蛛たちが一瞬、動きを止められたように体を硬直させ、白峰の行く道が一瞬で確保される。
安倍の術は華やかで、まるで遊びのように見えたが、その効果は確かだった。
白峰は紅葉の巨大な姿を真正面から見据え、ゆっくりと真田丸8式を構え直した。
胸の奥で、昨夜の温かい記憶と、今の苦しむ姿が激しく交錯する。
まだ完全に迷いが消えたわけではない。
それでも、白峰は前に進むことを選んだ。
(……紅葉さん、紫さん……
ごめんね……
本当に、ごめん……
でも、みんなを苦しませたくない……
少しでも、楽にしてあげたい……)
その想いを刃に乗せ、白峰は一歩、また一歩と、紅葉へと近づいていった。




