森の都仙台!
仙台郊外の森に囲まれた古い神社近くに到着した頃には、すでに陽が傾き始めていた。
車を降りた白峰は、周囲の木々が密集した景色を見回し、目を輝かせてぽつりと呟いた。
「わあ……こんなに木が立派!
流石は森の都、仙台ですね!」
その瞬間、隣にいた御堂奏が呆れたようなため息をついた。
「杜違いですわ、白峰さん」
御堂は優雅に髪を軽く払いながら、淡々と、しかしどこか優しい口調で続けた。
「仙台は『杜の都』と呼ばれるんですの。森の都ではありませんわよ。
杜とは、神社や神聖な空間を指す言葉で、人手によって大切に管理・保護されている、格調高い森のような場所を言うんですの。
まあ、初めて来た人には混同しやすいかもしれませんけどね」
白峰は慌てて自分の言葉を訂正しようとして、顔を真っ赤にした。
「す、すみません……! つい、木がいっぱいだから森って……」
御堂はくすりと小さく微笑み、優雅に言った。
「いいんですのよ、澪ちゃん。
無知は恥ではありませんわ。
初めての土地で緊張しているのでしょう?
少しずつ覚えていけば大丈夫ですわ」
その言葉は上品で自信に満ちていて、まるで「私は知っている側よ」というエリートらしい余裕が自然に滲み出ていた。
同時に、白峰に対する思いやりも感じられ、彼女の胸の奥をほんのり温かくした。
白峰は申し訳なさそうに頭を下げながらも、御堂の優しいフォローにほっと胸をなでおろした。
「……はい、ありがとうございます……」
「アホくせぇ……」
黒崎がぼそりと吐き捨てた瞬間、安倍零は最後部からゆっくりと車を降りてきて、にやりと笑みを浮かべた。
「まあまあ、可愛いじゃないか。ミオちゃん。
黒崎ちゃんの反応も相変わらず最高だねぇ」
黒崎は露骨に顔をしかめ、助手席から降りながら低い声で返した。
「……アンタが来るたびに面倒事が増えるんだよ。
フラフラしてる暇があったら、京都で大人しくしてろ」
安倍零はサングラスを軽く押し上げ、楽しげに肩をすくめた。
「寂しいこと言うねぇ。
せっかく久しぶりに会えたのに、助手席まで逃げるなんて。
もっと仲良くしようよ、黒崎ちゃん」
黒崎は「チッ」と舌打ちし、腕を組みながら吐き捨てた。
「……アンタと仲良くするくらいなら、百目鬼とハグした方がマシだ」
そのやり取りを聞いていた藤堂が、車をロックしながら苦笑いを浮かべて割って入った。
「黒崎さん、安倍さん……
そろそろ任務の準備を始めましょうか。
ここで長く立ち話していると、日が暮れてしまいますよ」
安倍零はくすくすと笑いながら軽く手を挙げ、藤堂の言葉を受け流すように言った。
「わかったわかった、司くん。
じゃあ、さっさと封印確認に行こうか」
黒崎はまだ不機嫌そうな顔のまま、ぼそりと呟いた。
「……ったく、面倒くせえ」
白峰は少し離れたところでそのやり取りを聞きながら、内心で小さく縮こまった。
(……この人たち、仲良いのか悪いのか……よくわからない……)
現地の黒子班のメンバーがすでに待機しており、藤堂が素早く調整役として動き始めた。
藤堂は待機している黒子班のメンバーに向かって迅速な声で指示を出した。
「状況は予想以上に進行しています。
再封印用の人員を最低三人、式神も合わせて急ぎで準備してください。
優先順位は最高レベルです。到着後すぐに展開できるようにお願いします」
黒子班のメンバーは即座に頷き、各自連絡や準備を始め始めた。
白峰はまだ少し顔を赤らめたまま、皆の後ろについて歩き出した。
(……杜の都、か……勉強不足だった……)
一行は境内へと進み、藤堂が中心となって封印札の状態を確認し始めた。
黒崎は周囲を鋭く見回しながら、低い声で言った。
「……霊的濃度が上がってるな。
準備しとけよ、油断するな」
御堂は静かに呪符を手に取り、結界の準備を整えながら、珍しく驚きを隠せない声で応じた。
「ええ……確かに異常ですわ。
こんなに濃い霊的濃度、久しぶりです……
結界を張っておきますので、皆さんもお気をつけて」
安倍零は少し離れた場所でサングラス越しに全体を眺め、相変わらず飄々とした態度で立っていた。
他のメンバーが緊張している中、彼だけは軽く腕を組み、楽しげに口元を緩めている。
「ふふ、なかなか面白い雰囲気じゃないか。
まあ、僕らはのんびり見守っていようよ」
白峰は指示された位置で待機しながら、資料を握りしめていた。
周囲の空気が少しずつ重くなっていくのを感じ、胸の奥がざわつく。
(……なんか、変……
空気が重い……息苦しい……)
その時——
白峰の視界が、ふっと歪んだ。
一瞬、木々の隙間から白い霧のようなものが立ち込め、景色がぼやけた。
次の瞬間、周囲の風景が一変していた。
そこは、どこか懐かしい、明治から大正時代を思わせる遊郭のような異空間だった。
赤い提灯がぼんやりと灯り、木造の建物が立ち並び、甘ったるい香が漂っている。
どこからか女たちの艶やかな笑い声が聞こえ、琴の音や三味線の調べが、柔らかく夜の空気に溶け込んでいる。
華やかな着物をまとった美しい女たちが、提灯の灯りの下で扇を広げ、優雅に笑いながら行き交っている。
一見すると、とても華やかで楽しげな空間だった。
しかし——
その笑い声の奥に、どこか掠れたような、ねっとりとした響きが混じっている。
提灯の赤い光が揺れるたび、影が不自然に長く伸び、人の形を歪めて見せる。
甘い香の奥に、微かに腐ったような、鉄のような、血のような臭いが混じっている気がした。
言葉にできない、異様な空気が、ゆっくりと肌にまとわりついてくる。
白峰は慌てて周りを見回した。
「え……? 黒崎さん? 御堂さん? 藤堂さん……!?」
声が上ずり、頭が真っ白になる。
さっきまで確かにすぐそばにいたはずの皆の姿が、どこにもない。
代わりに、提灯の赤い灯りの下から、華やかな着物をまとった美しい女たちが、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。
白峰の心臓が激しく鳴った。
「ちょ、ちょっと……! みんなどこ!?
待って、置いていかないで……!」
慌てふためく声が、遊郭のような空間に響く。
その声に反応したように、花魁たちの動きがわずかに変わった。
甘い笑みを浮かべた顔が、じっと白峰の方を向く。
彼女たちの目が、興味深そうに細められ、ゆっくりと、ねっとりと距離を詰めてくる。
「迷い子……?」 「珍しいわね……ふふっ」
女たちの声は甘く、艶やかだったが、耳の奥に残る響きは冷たく粘つく。
笑顔は優美なのに、視線だけが妙に貪欲で、獲物を観察するように白峰を捉えて離さない。
白峰の背筋に、冷たい汗が一気に伝った。
その瞬間——
白峰のすぐ横の空間が、ふわりと柔らかく揺れた。
まるで古い森の奥から一筋の月光が差し込んだかのように、空気が優しく波立ち、淡い黄緑色の光の粒子がゆっくりと舞い上がる。
その光は柔らかく温かく、どこか懐かしく、命の息吹のような優しい輝きを帯びていた。
光の中心から、静かに、小さな少女の姿が現れた。
少女は黄緑色の可愛らしい和服をまとい、短いおかっぱの黒髪をふわりと揺らしていた。
髪の先には淡い黄緑色の光が宿り、まるで森の小さな精が宿ったように優しく輝いている。
肌は透き通るように白く、大きな瞳は深い藍色で、無垢な無邪気さと、遥か昔からそこに在るような静かな叡智を同時に湛えていた。
周囲の喧騒が、一瞬、遠のいた。
甘ったるい香や、花魁たちの艶やかな笑い声が、水に溶けるように薄れていく。
代わりに、深い森の奥から吹く清らかな風のような、澄んだ空気が白峰を優しく包み込んだ。
少女は無邪気でありながら、どこか古い力を持った声で、はっきりと言った。
「おねえちゃんはダメだよ」
その一言は、鈴の音のように澄んでいて、しかし確かな力を持っていた。
その瞬間、周囲を取り囲んでいた花魁たちがピタリと動きを止め、怯えたように後ずさった。
彼女たちの美しい笑顔が一瞬で歪み、着物の袖が震えるように揺れた。
白峰は呆然と少女を見つめた。
「……あなた、誰……?」
声が震えていた。
恐怖と安堵と、得体の知れない感動が混じり合い、胸の奥が熱くなる。
少女は静かに微笑み、透き通るような瞳で白峰をまっすぐ見つめた。




