スマートに行こうぜ
のっぺらぼうが進化を遂げた大入道は、泣きそうな顔をしたまま、圧倒的な筋力で牛鬼をねじ伏せ始めた。
その一撃は、シンプルな筋力とは思えないほど凶悪だった。
大入道は泣き顔のまま、太く膨れ上がった腕を振りかぶり、
牛鬼の鋼のような巨体を地面に叩きつけた。
ドゴォォォォンッ!!
凄まじい衝撃波が藤堂の結界の内側を激しく揺るがし、
紫色の光の壁に蜘蛛の巣状の亀裂が一気に広がった。
地面が大きく陥没し、周囲の瓦礫が跳ね上がり、路地全体が激しく震動する。
牛鬼の巨体が、まるで玩具のように吹き飛ばされ、
コンクリートの地面に深くめり込んだ。
その鋼のような筋肉が、初めて大きく凹み、角が折れ曲がる。
しかし大入道は止まらなかった。
泣き顔のまま、低く唸りながらさらに踏み込み、
両手で牛鬼の体を掴み上げ、地面に叩きつける。
一度、二度、三度——
重い打撃音が連続し、牛鬼の巨体が何度も跳ね上がり、
黒い雷のような気が無駄に散らばっていく。
今まで圧倒的に有利だった牛鬼が、
大入道のシンプルで凶悪な筋力の前に、完全にねじ伏せられ始めていた。
「くっ……!」
御堂の表情に、初めて明らかな焦りが浮かんだ。
彼女は唇を強く噛み、声を張り上げた。
「澪ちゃん! 援護を……お願い!」
その声は、いつもの余裕や品のある響きを完全に失っていた。
京都のエリートとして、数々の事件をスマートに解決してきた彼女の声が、
今はただの焦りと苛立ちに染まっている。
それでも、最後のひとかけらだけ、白峰を気遣うような柔らかさが残っていた。
「あきる野で出したというあれを……お願いしますわ!
私も援護します、集中して!」」
大入道の泣き顔が、はっきりと目に焼きついている。
誰からも見向きをされず、嘲笑され、踏みつけられてきた長い年月。
その寂しさと痛みが、のっぺらぼうだった頃から確かに感じ取れていた。
(……可哀想……本当に、苦しかったんだ……)
でも、その瞬間——
白峰の耳に、再び無数の声が直接響き始めた。
『……なんで俺だけ……』
『……笑ってる……笑ってる……』
『……返せ……俺の人生を返せ……』
『……全部お前らのせいだ……』
『……女なんか……みんな……許さない……』
低く、ねっとりとした怨嗟の声が、まるで頭の中に直接注ぎ込まれるように聞こえてくる。
白峰の胸が激しくざわついた。
(……可哀想……本当に、辛かったんだ……)
でも、同時に、その声の奥に隠れている「自分勝手さ」が、はっきりと感じ取れた。
すべてを「女性のせい」にして、
自分の痛みを誰かにぶつけ、
ただ恨みを晴らしたいだけ——
そんな歪んだ都合が、声の底にどろりと絡みついている。
白峰の指が、晋介25号の上でわずかに震えた。
(……違う……
苦しかったのは本当かもしれないけど……
それを全部、誰かのせいにして、傷つけるのは……間違ってる……!)
怨嗟の声と、自分の正義感が、胸の中で激しくぶつかり合う。
白峰は唇を強く結び、目を細めた。
(……やる……!
このままじゃ……誰も救われない……!)
彼女は覚悟を決め、震える指に力を込めた。
白峰は晋介25号を構え、大量の気を込めようとした。
その瞬間、胸の奥に甘く冷たい何かが、ねっとりと絡みつくような感覚が広がった。
耳の奥で、かすかに——
『……たのしいね……!』
子供のような、甘えた笑い声が響いた気がした。
(……今のは……?)
その不思議な気配が、白峰の意志とは別に体内を駆け巡り、
流し込もうとした気が急に乱れ、ねじ曲がるように散らばっていく。
晋介25号の内部で、何かが軋むような、不自然な抵抗を感じた。
それでも白峰は歯を食いしばり、覚悟を決めて引き金を引いた。
しかし、発射されたのは、とても弱々しい弾だった。
パァン……という、まるで玩具のような小さな音と共に、
薄い光が飛んだだけで、ほとんど効果がない。
初めて打った時の、あの強烈な衝撃と熱が全く蘇ってこない。
白峰は目を大きく見開いた。
(……なんで……?
あの時みたいに……全然……出ない……)
御堂は痺れを切らし、すぐに自分の呪符を取り出した。
「もう……!」
自ら牛鬼の援護に入ろうとしたが、それは焼石に水だった。
大入道のシンプルで強大な筋力が、容赦なく牛鬼を叩き伏せていく。
最初は鋼のように硬かった牛鬼の筋肉が、
大入道の拳が当たるたびに大きく凹み、黒い雷のような気が無駄に散らばった。
角が一本折れ、肩の棘がへし折られ、
巨体に走った亀裂から黒い体液のようなものが滴り落ちる。
牛鬼は低く唸りながら抵抗しようとしたが、
大入道は泣き顔のまま無表情に拳を振り続け、
膝蹴り、頭突き、両手で掴んで地面に叩きつける——
その攻撃は執拗で、まるで長年溜め込んだ恨みを晴らすように一方通行だった。
ドゴォン! ドゴォン! ドゴォォォン!!
牛鬼の巨体が何度も跳ね上がり、
地面に深くめり込み、ついに片膝をついた。
鋼の筋肉が引き裂かれ、角がもう一本折れ曲がり、
黒い雷の気も弱々しくしか出なくなっていた。
ついに——
牛鬼が、膝をついたままゆっくりと地面に崩れ落ちた。
重い巨体が地面に倒れる音が、路地に響き渡る。
御堂の顔から、血の気が完全に引いた。
「……嘘、牛鬼が……!?」
気だるげで、聞き覚えのある低い声が路地に響いた。
「スマートに行こうぜ……だったか?」
白峰と御堂が同時に振り返った。
そこに立っていたのは、教育係の黒崎蓮だった。
まだ包帯が巻かれた体で、ジャケットの裏から討伐用の真打退魔銃を抜き、
ゆっくりと、しかし確かな足取りで歩いてくる。
その姿を見た瞬間、白峰の胸に熱い安堵が一気に広がった。
(……黒崎さん……!)
足が震えていたのも、晋介25号を握る手が冷たくなっていたのも、
一瞬で溶けていくような感覚だった。
百目鬼の時も、最後の最後まで守ってくれた人。
重傷の身でありながら、また自分たちを助けに来てくれた。
白峰の目が、思わず潤んだ。
(……来てくれた……本当に来てくれた……)
黒崎はニヤリと笑いながら、のっぺらぼう……いや、今や大入道となった妖怪に向かって言った。
「退院したばかりで面倒くせぇが……
新入りに任せきりじゃ、格好がつかねぇからな」
その言葉は気だるげで、いつもの黒崎らしい投げやりな調子だったが、
白峰にはそれが、これ以上ないほど頼もしく聞こえた。
御堂の表情は複雑に歪んだが、白峰はもうそれどころではなかった。
胸の奥から込み上げてくる安心感と、黒崎への信頼で、
今まで張りつめていた緊張が、わずかにほぐれていくのを感じた。
黒崎は退魔銃を軽く肩に担ぎ、
大入道を真正面から睨みつけながら、低く続けた。
「さて……
少しは楽しませてくれよ」
その姿は、重傷から無理やり這い上がってきたとは思えないほど堂々としていた。
御堂の目が、一瞬だけ鋭く細められた。
(……黒崎さん……)
彼女の胸に、ほんの小さな棘が刺さったような感覚が走った。
京都本部で鍛え上げられた自分が、新入りと三人で三日間も苦戦した事件に、
重傷の身でありながら、たった一人で颯爽と現れた男。
……安堵と、少しの苛立ちが混じった複雑な感情が、静かに胸をよぎった。
御堂はすぐにその感情を押し込み、いつもの冷静な表情を取り戻した。




