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夕焼け小焼け

藤堂の結界が淡い紫色の光を放つ中、御堂 奏は冷静に呪符を掲げた。

「行きなさい、牛鬼!」


角を低く構え、鋼のような筋肉を爆発させて突進すると、

牛鬼はのっぺらぼうの醜く太った胴体に拳を叩き込んだ。

ドゴォォンッ!

のっぺらぼうの巨体が吹き飛び、路地の壁に激突して大きく凹んだ。

コンクリートが粉々に砕け、壁面に放射状の亀裂が走る。

牛鬼は止まらなかった。

低く唸りながら即座に追いかけ、

巨大な拳を雨のように振り下ろし、角で突き上げ、

体重を乗せた膝蹴りを腹に叩き込む。

ドゴォォン! ドゴォォン! ドゴォォォン!!

のっぺらぼうは為す術もなく吹き飛ばされ、地面に叩きつけられ、

壁に激突し、また地面に叩きつけられる。

醜く垂れ下がった脂肪の塊が波打つように震え、

黒い霧が悲鳴を上げるように激しく飛び散った。

牛鬼の攻撃は容赦がなく、まるで長年溜め込んだ憎悪を晴らすかのように執拗だった。

のっぺらぼうはただ太った体を折り曲げ、

顔のない白い平面を地面に向けたまま、

無抵抗に連撃を受け続けている。

その光景は、どちらが悪役なのか分からないほど一方的に、

そして残酷に映った。

白峰は後ろに下がりながら、息を詰めてその様子を見つめていた。

(……あの人……のっぺらぼう……

ただ殴られて、踏みつけられて……)

胸の奥が、痛いほどざわついた。


表情のない顔なのに、なぜか痛がっているように見えた。

誰からも見向きをされず、嘲笑され、存在を否定され続けた長い年月。

その寂しさと怒りが、今、牛鬼の拳によって容赦なく叩き潰されている。

白峰の胸が、痛いほどざわついた。

(……可哀想……)

そんな感情移入が、自分でも驚くほど強く湧き上がってきた。

百目鬼の時とは違う。

これはただの怪物じゃない。

誰かの、積もり積もった「無視された痛み」が形になった存在だ。

牛鬼はさらに低く唸りながら、のっぺらぼうの頭を掴み、地面に叩きつけようと腕を振り上げた。


ドゴォォンッ!


牛鬼は容赦なく追撃を続け、純粋な力で圧倒していく。

拳が振り下ろされるたび、地面が陥没し、壁が崩れ、看板が引きちぎられるように飛んでいく。

百目鬼のような特殊能力を持たないのっぺらぼうに対して、牛鬼は完全に有利だった。

白峰は後ろに下がりながら、その光景を呆然と見つめていた。

(……やばい……!)

周囲のビルにヒビがどんどん広がり、天井からコンクリートの欠片がパラパラと落ちてくる。

白峰は慌てて頭をかばいながら、さらに後退した。

崩れかかる壁の近くで足を滑らせそうになり、心臓が激しく鳴る。

一方、御堂 奏はそんな惨状の真ん中で、

乱れた髪を優雅に指で払い、涼しい顔で立っていた。

崩落する瓦礫や飛び散る破片をものともせず、

まるで優雅な舞踏会にでもいるかのように落ち着き払っている。

彼女は牛鬼を操りながら、白峰の方を振り返って優しく微笑んだ。

「どう? スマートでしょう?」

白峰は思わず心の中で叫んだ。

(……どこがスマートなんですか!!

路地が……廃墟になってるんですけど……!)


御堂は牛鬼を操りながら、余裕の笑みを浮かべていた。

彼女は乱れた前髪を優雅に指で払い、品のある京都訛りを少しだけ含んだ声で言った。

「ふふ、そろそろとどめといきましょか?

この程度で終わりなんて、つまらないわ」

その言葉が終わらないうちに——

夕方のチャイムが、渋谷の街に響き渡った。

カラン……カラン……と、どこか遠くで鳴る学校のチャイムが、

路地裏にまで不気味に反響する。

一斉に帰宅を始めるサラリーマンと、学校終わりの学生たちが、

渋谷の雑踏に集まり始めた。

その瞬間、周囲の空気が一変した。

まるでダムが決壊したように、大量の負の感情が一気に流れ込み始めた。

苛立ち。

疲労。

嫉妬。

劣等感。

欲望。

抑圧された欲望。

そして、誰にも言えない深い孤独——。

夕方の渋谷特有の、濃密で淀んだ感情が、黒い霧となってのっぺらぼうに向かって殺到していく。

空気が重く粘つき、路地全体が息苦しいほどの圧力に包まれた。

その時、白峰の耳にだけ、

無数の怨嗟の声が、ざわざわと囁き始めた。

『……なんであいつらだけ……』

『……笑ってる……笑ってる……』

『……俺の人生を……返せ……』

『……許さない……許さない……許さない……』

『……全部……お前らのせいだ……』

低く、湿った、ねっとりとした声の群れ。

数百人、いや数千人もの、抑えきれない恨みと絶望が、

白峰の鼓膜に直接響いてくるようだった。

白峰は思わず両手で耳を押さえた。

(……聞こえる……

この声……あの人の……みんなの……痛み……?)

他の二人には聞こえていない様子だった。

御堂はただ眉を寄せ、藤堂は結界を強化しているだけだ。

しかし白峰には、はっきりと聞こえていた。

のっぺらぼうの体に吸い込まれていく負の感情が、

無数の人間の怨嗟の声となって、彼女だけに届いている。

空気がさらに重くなり、黒い霧がのっぺらぼうの巨体を飲み込んでいく。


進化した大入道、その能力はシンプルな筋力。

しかし、その「シンプルさ」が、進化を経て圧倒的な破壊力へと変わっていた。

牛鬼が止めの一撃を放とうと巨体を振り上げたその瞬間——

大入道は、初めて自ら動いた。

今までただ殴られ続けていた気弱ないじめられっ子が、

初めて本気で拳を振り上げるように、渾身のカウンターを繰り出した。

ドゴォォォォォンッ!!

二体の巨躯が正面から激突した。

その衝撃は凄まじく、藤堂の紫色の結界が大きく歪み、

ひびのような光の亀裂が蜘蛛の巣状に広がった。

結界の内側にいた白峰の体が、衝撃波で吹き飛ばされそうになる。

牛鬼の鋼のような筋肉が、初めて大きく凹んだ。

角が折れ、黒い雷のような気が散らばり、巨体が数歩後退する。

一方、大入道はほとんどよろめきもせず、

泣き顔のまま、しかし明らかに「怒り」を宿した目で牛鬼を睨みつけていた。

その一撃で、場の空気が一変した。

今まで圧倒的に有利だった牛鬼が、初めて劣勢に立たされた。

大入道のシンプルな筋力は、進化によって「ただの力」ではなく、

長年溜め込まれた怨念と反抗心が乗った、凶悪な破壊力へと変わっていた。

白峰は思わず息を詰めた。

(……ヤバい……!

牛鬼が……押されてる……!?)


御堂の表情が、再び強張った。

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