出来ませんじゃねぇ、やるんだよ!
数日ぶりに特対室の地下オフィスに足を踏み入れた白峰澪は、なんだか空気が重く感じた。
地下特有の淀んだ空気が、いつにも増して肺にまとわりつくようだった。
検査入院で数日休んでいたせいか、足取りが少し重い。
百目鬼との戦いの記憶がまだ鮮明に残っていて、胸の奥がざわつくような感覚が消えなかった。
(……黒崎さん……まだ入院中なんだ……)
デスクに座りながら、白峰は隣の空席をぼんやりと見た。
そこはいつも黒崎が座っていた場所だ。
今は無人になっていて、ただの椅子とデスクが、妙に寂しく感じられる。
百目鬼の戦いの記憶がフラッシュバックし、血の臭いや爆発の熱が、ふと鼻の奥によみがえる。
白峰は小さく息を吐いた。
地下の空気は冷たく湿っていて、まるで戦いの残り香がまだこの部屋に染みついているようだった。
ちらりと室長の相楽剛の様子を伺うが、まるで気にした様子もない。
いつもの厳つい顔で書類をめくりながら、コーヒーをすすっている。
白峰は小さく息を吐いた。
(……入院してたのに……心配する素振りすらしないなんて……
本当に平気なんだろうか……)
そこへ、白峰の出社に気づいたのか、室長の相楽剛が書類を片手に近づいてきた。
「おう、やっと戻ってきたのか」
同時に、無造作に巡回表と書かれた書類が白峰のデスクに放り投げられる。
白峰がまだ言葉を返す前に、室長はいつもの厳つい顔で言った。
「いつまでボケっとしてんだ。外回り行ってこい」
白峰は一瞬、言葉に詰まった。
「……え? あの、黒崎さんがいないので……」
「だからなんだ?」
「一人じゃ出来ないなぁ……なんて……」
少しおどけるように言った白峰に、室長は即座に返した。
「出来ませんじゃねぇ、やるんだよ!」
白峰が内心で小さく肩を落とすと、室長は一瞬だけ書類から目を上げ、彼女の顔をじっと見た。
厳つい表情のまま、わずかに声のトーンを落として付け加える。
「……まあ、無茶だけはすんじゃねぇ。
怪我しても面白くねぇからな。
黒崎の分までしっかりやれよ」
その言葉には、いつものぶっきらぼうさに混じって、ほんの少しだけ気遣うような響きがあった。
白峰は思わず目を瞬いた。
(……心配、してる……?)
室長はそれ以上何も言わず、再び書類に視線を戻した。
「失礼します」
丁寧な声と共に、藤堂 司が入室してきた。
「白峰さん、準備は出来ましたか? 今日は比較的落ち着いたルートなので、ゆっくり行きましょう」
その言葉を聞いた瞬間、白峰の胸にふっと温かいものが広がった。
(……藤堂さんが一緒なら、少しは安心できる……)
さっきまで室長に「一人で行け」と言われた時の、あの胸が締め付けられるような不安が、急に軽くなった気がした。
百目鬼の戦いの記憶がまだ生々しく残っている今、一人で外回りに行くなんて、正直怖くて仕方なかった。
でも、藤堂さんなら大丈夫。
あの時、結界を張りながら必死に自分を守ってくれた人だ。
戦いが終わった後も、すぐに駆け寄ってきて、黒崎さんのことや自分のことを気遣ってくれた……。
白峰は思わず小さく息を吐き、肩の力が少し抜けるのを感じた。
「お願いします、藤堂さん!」
新入社員らしい、精一杯の活発な声で返事をする。
声に自然と明るさが混じっていた。
こうして、白峰の二度目の外回りが始まった。




