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(健之そのラスト)最後の番人

「さいごのへや」

 所々錆びた鉄の扉にそう書かれていた。回廊の認可印は入っていない。だがその並んだ文字のありようが、こちらに何かを訴えかけていた。

 ここに至るまで費やしてきた時間。長い道程。根拠もなく浮かんでくる考え ーそろそろゴールでもおかしくないー 


「ちょっと、入る前に、休まない?」

 僕がそういうと真愛は、うん、といった。

「これ、食べちゃおうか?」

 そういって、真愛が残りわずかになっていたビスケットを出した。

「うんそうだね」

 僕たちは残りのビスケットを分け合って食べた。パサパサとして味がない。

「あとこれも、飲んじゃおっか」

 真愛がバッグに大事に仕舞っていた紅茶のペットボトルを出して僕にそういった。

 前の部屋を出てからここまで分岐点はなかった。今歩いてきた道は片側を高いコンクリート壁が囲んでいる。その五、六メートルはあるであろう高い壁の天井付近に横長の穴があり、そこから外光が差していた。

「ここで、最後?」

 ビスケットを食べる真愛が僕にそう聞いた。泥や砂、血のあともついた顔。瞳だけが強く光っている。

「ああ、うん。最後・・・だと良いね」

「うん」

 真愛が、一口飲んだ紅茶を、僕に差し出した。

「あ、ねえ、星川さん?」

 そう言われて俯いた顔を彼女の方に向けた。

「もう、最後かもしれないから・・・」

「うん」

 半分まで飲みきった紅茶を彼女に返す。ぬるくても舌に残る茶葉の香りが心地よい。

「あ、やっぱりやめた」

「え? 最後かもしれないから、なに」

「ううん。良いの。続きは二度目の世界に行ってから、ってことで」

「なに? 気になるな」

 真愛も、残りの紅茶を一気に飲んだ。そして一口分残して僕に返す。僕は遠慮なくその一口を飲み干す。

「ううん。良いの。それよりこのさいごの部屋に番人がいないといいね」

「ああ、うん」

うなずいて立ちあがる。ゆっくりと数歩歩き、互いに無言で顔を見合わせて「さいごのへや」の扉を開けた。厚みのある鉄の扉がゆっくりと開き、錆びついた音をあげた。

◇◇◇



「あ、はいそういうイメージ。トランプの絵柄などにあるやつですね。発見したらすぐわかると思いますので、遭遇したら必ず引き返してください。戻ることがマイナスに作用するとしても必ず逃げる。絶対に近づかないでください。勝ち目はありません。絶対に。わかりました?」

 回廊の入口、ホールオレンジの受付で七三分けの女が教えてくれたことだ。彼女の助言は全て間違っていなかった。そのことはここまでの道のりが証明している。そしてその彼女が唯一具体的な例をあげ、さらにその対処法までご丁寧に教えてくれたジョーカーの姿をした番人。

 そのジョーカーの男が前方にみえた。女の説明通り発見と同時にわかった。その男だと。


 この部屋に入り、僕たちは見通しの良い一本道を、おそらく百メートル以上歩いた。ここまでは、何もない。この先も何もない。真っ直ぐに百数十メートル程歩けば扉がある。それだけだ。おそらく二度目の世界に通じる扉。だがその道の途中には椅子に座ってうなだれている男がいた。トランプのカード絵柄をいやでも連想してしまう道化。かつて王家に冗談を言う権能を、その職務として与えられたものが纏う衣装。


 僕らは立ち止まった。胸が少し、また少し、と押されていく。呼吸する気道を徐々に狭められていくような焦燥感。どこで選択を間違えたのか。今更そうかもしれないと思える場面の破片が次々と脳内を乱舞する。だが確実になにかをミスしたらしい。その証拠に後方から「キー」という音がなった。この部屋の入り口の、分厚い鉄扉が開く音。

「キィー、バタン」

 わざわざ扉を閉めて入ってきたその男は逆三角の覆面を被り、背中に日本刀を背負っていた。

 この部屋に別れ道はない。つまりはそういうことだ。最後の扉に僕らが手をかけることはない。

 仮に今前方に見えるジョーカーの番人が動かないただの置物だったとしても、この距離をあのマムシ男相手に逃げ切れるはずはない。


 等間隔に瓦灯の置かれた全長おおよそ三百メートルの回廊。そのほぼ真ん中に僕は立っている。全身にかつて体感したことのない重力を感じながら。

 やがてそれに耐え切れなくなったパートナーが、僕の横で膝から床に崩れ落ちた。小刻みに震え出した彼女に続き、僕も膝を折る。

「力がはいらない・・・」


 背後で音がする。マムシ男がゆっくりと歩きだしたのだろう。スニーカーの靴音がスローテンポで響く。せめて置物だったら、と思っていたジョーカーも頭をかいて僕を失望させた。

 よく見れば周囲のコンクリート壁には、あちらこちら血痕と思われる黒い染みがあった。人間のものと思われる手や、顔型の形の染みもある。

(最後の部屋とはそういう意味か・・・)


 この部屋に来るまでどこかで僕は思っていた。運が良い。もしかしたら二度目の世界に行ける。


 病院の屋上の時もそうだ。もち上げておいて、落す。より大きな絶望感を与えて天国で鍛え直す。と、いうわけか。悪趣味・・・。だが恐怖が先行し、悪趣味に怒りを覚える余裕がない。


「私のせいね・・・」

 しゃがんだ背中が低い声でそういった。

「私にとりついた悪運のせいだわ」

 泣いているせいで真愛の声ははっきりと聞き取れない。

 だが背後の靴音だけは、しっかりと聞こえる。長く感じた入口からの距離も、こうなってみると心細い。

「星川さんにはなんていって良いのか・・・ごめんなさい、私のせいで」

 涙が表面を覆っていて、それでいてどこか穏やかな顔を彼女はしていた。

「で、でもお礼だけは、い、言わせてほしいです」

 震えた声が続ける。

「もしかしたら二度目の世界にいけるんじゃないかっ・・・、て本気で思わせてくれた」

 とても嬉しい言葉。同時に何倍も悲しい。

「・・・さ、最後だから。もう、最後だから・・・」

 その言葉のあと、彼女は呼吸を整えて意外なことを言った。

「最後だから、名前で呼んでも良い?」

 そういわれて、鼻水を啜っていた僕は笑った。こんな時でも可笑しいものなのか。

「もちろん・・・。呼び捨てでいいよ」

「健之・・・、へへ。恥ずかしがる、場面じゃないのにね」

 真愛は涙を拭って、無理矢理笑った。

「ここまでこられたのも健之のおかげだけど、なにより人は生きていなければ何もない、そういうことを私に教えてくれました」

 彼女が無理矢理つくる笑顔は、異常な圧迫感となって胸を押す。

「あのね、えっと、つまりそのなんていうか、わたしね。あのね・・・」

 一度下を向いてから、目を服の袖で拭き、彼女はもう一度顔をあげた。

「最後にあなたに会えて・・・、健之に会えて良かった」

 拭ったばかりの真愛の瞳から透明な滴がこぼれ落ちた。 いつか味わった映画のエンドロール。あのときと同じ言葉。


 どうしてこの人は最後までこうなのか。

 僕は無意識のうちに首をかしげていた。そして僕の意図とはまるで関係なく、勝手に残り一回の「サトリ」が起動した。

 完全な誤作動。しかし意味はあった。

 人生はこの時から大きな音をたてて回転を始める。まさに敗者復活戦だ。三十年、一度も噛み合ってこなかった無数の歯車が共鳴する。


サトリ


ー 対象が極めて重要と認識した、最も新しい迷いを表示します ー


―― この人と死のう ――

―― 怖い、でも手をつないでいればきっと大丈夫 ――

―― ・・・ ――


 人は何かについて考える時、必ず僅かでも迷う。その迷いを余さず映すことができる。それがサトリというアイテムが武器として扱われる理由だ。だが今の真愛の場合、サトリの回答に迷いはなかった。ただ死を恐怖しながらも覚悟し、そして既に決断していた。

 生死を問われる場面にあって、これ以上ない潔さ。受付の女が言っていた。本来は最下位ではないが、後悔や自責の念が強すぎてここへ来てしまう人がいる、と。

 もしかしてこの人がそれ、なのではないか。彼女の死の原因が自殺であったと知ったときから感じてきた事。その仮説が今はっきりと確信に変わった。そう、これまでの彼女の行動や言動の全てが十分過ぎるその根拠だ。


「カンッカンッカンッカン」

 突然ジョーカーの番人が、持っていた金棒を壁に叩きつけて音を出した。規則的に三回。それに呼応してマムシ男は足をとめた。

 まるで獲物を前にしたライオンが他の肉食動物に対し、低くうなって威嚇するかのよう。

「よし。しばらく時間がかせげる、久遠さん立って!」

 きっと残り数分。その数分で長かったこの人生の延長戦も終わりだ。残念ながら 敗者復活は成されなかった・・・。


 だとしても、

 僕の内部で錆びついていた幾つもの歯車が、今になって噛み合った。轟音をたてて回る。

 僕が心の闇に歯向かわずそれにのまれるとき、いつも思っていたことがある。勇気、自信、そういう呼び名のパーツが歯車の重要な位置にあって、それが回ってくれない。だから頭も体も動力を得られないのだ、と。

 だが違っていた。必要なのは勇気でも、自信でもなかった。


 マムシ男はジョーカーを気にしているのか、まだ動き出さない。だがその場で靴と靴下を脱ぎ、脱いだ靴下で膝の傷口を縛った。そしてその場で、数回ジャンプした。

 僕もマムシ男と同じように、靴と靴下を脱ぐ。


「オレンジ受付の人がいったこと覚えている? うそつく番人の中で、いくつも嘘を付くけど一つだけ決定的な大ヒントを話してしまう番人がいる。他にも数パーセントの割合でそういった特殊な性格を持つそれぞれの亜種がいる。という話。久遠さんもそう教えられたでしょ?」

 真愛は僕を見ていたが、返事はなかった。

「オレンジ受付の女の人は名札をつけていなかった。それと彼女自身の性格については僕たちに伝えなかった」

「え? あのお姉さんも番人だったってこと?」

 真愛がゆっくりと立ち上がりながらそういった。

「そう。番人」

 それも全て正しい情報を伝えるかわりに、一つだけ重要な嘘をつくようプログラミングされたうそつく番人。

 彼女の情報は全て正しかった。それはここまでの道程が証明している。そして彼女の説明の中に、ひとつだけ具体例をあげ、その番人について対処法を付け加えたものがある。それがジョーカーの番人についてだ。それは真愛も同様の説明を聞いている。

 僕は急いで続ける。

「きっとどのシチュエーションで出会っても、ジョーカーのその先が次の世界の入口になっているからだ。そこが唯一の正解だから。

 だから誇張した。だから必ず引き返せと付け足したんだ」

「えっと、それじゃあ・・・」

 この説が正しければ、ジョーカーの番人は僕たちに危害を加えない。

「で、でもジョーカーの人が何もしなくても・・・」

 と真愛が呟いた。相手がマムシ男ではこの距離を逃げ切れない、ということだろう。

 真愛の言う通り。ほとんど可能性などない。でもそれは僕や彼女が一人きりでここにいるのなら、という条件の下にある。しかし僕たちは二人だ。協力し合うことができる。そこにわずかだが可能性がうまれる。僕たち人間にはそういう僅かな可能性を指して言う呼び名がある。「希な望み」と。

 もうためらう時間はない。迅速に行動しなければいけない。

「久遠さん。走って、ジョーカーの脇を抜けてあの扉を開けろ」

 彼女は電光石火の速さで聞き返した。

「あなたはどうするの? あなたはどうなるの?」

 僕は足の震えを悟られぬよう返答する。

「僕がマムシ男をとめる。一瞬で首をはねられてしまえば君も追いつかれる。二人とも天国行きだ。でもやる価値はある」

「そんなことできるはずないわ! 星川さんを犠牲にして、私だけが逃げるの? どうしてできるのよ、そんなこと!」

 鼻水を垂れ流しながら彼女はそう怒鳴った。しかし、僕も自身の決意を曲げるつもりはない。

「そんなのいやよ! そんなことをするくらいなら、あなたと一緒に手をつないで死にたい。ねえ、そうしてお願い!」

「どうして君が死ななければならないんだ。まだ一度もひかりがあたっていないのに。君が闇従者として弱かったというならいったいどの部分で努力が足りなかった? 君が弱く醜い人間で、その結果自殺に至ってここに来たとするなら、どうしてこんなに堪えらえる? 僕はこの目でずっと見てきた。いつ君が卑怯なことをした? あの時鉄格子が急にあがって半魚人が走ってきた時、君はなんて言った? はっきりと覚えている「だめ、あなたがそこを出てはだめ!」そういったんだ。僕を庇ったんだぞ! 自分が死にかけている一大事に。

 自殺といったって、たった一回逃げただけじゃないか。それが偶然命にかかわっただけだ。僕から言わせてもらえればそんなの逃げた回数に入らない。

 違うんだよ僕なんかとは。これからなんだよ。久遠さんの人生はこれからなんだ。まだあたっていないだけなんだ光が」

「違う! いやよ。あなたと一緒じゃなきゃ意味なんていないの」

 これ以上ない言葉・・・。だが動じなかった。自身の決意は固く、初めて動力を得た体はしっかりと立って動かない。

「いいかい? 光は届く。二十二光年の距離を君に向かって走ってきたものがあるはずだ。あの扉の向こうに。君は闇従者ではない! あの向こうに必ず光がある」

「ばかな事言うのはやめて! 一緒に走って。もしかしたらあのジョーカーの向こう側は、あの番人も入ってこられない、って可能性だってあるじゃない。だからお願い。ねえあの時話したじゃない。二度目の世界にいったら私の作ったナポリタンを食べてくれるって。あの言葉はうそじゃないでしょう。ねえお願い」

 それきり真愛は激しい嗚咽で言葉を失った。代わりにひたすら首を振っていた。

 どうしようもない、状況。だかサトリの副効果は絶大だった。こんな状況でも僕の精神を安定させ、そして言葉を紡いでくれる。

「それは嘘じゃない。本当に。でもあの時は漠然としていて自分でも良くわかっていなかった。だけど今は良くわかるんだ。

 後悔ばかりの人生だった。いつも肝心なところで逃げた。どこで誰の役に立ってきたのか、胸を張って言えることなんて何もないんだ。でもね。でも君と会った。必要としてもらった。ふてくされても励まし続けてくれた。守ろうともしてくれた。だから、そう・・・、つまり、こんなこと言うのは恥ずかしいけど。

 僕に二度目の世界があったのなら、それは久遠さんに出会って今、この時までのことだとおもうんだ。一度目の人生より生きた。地に足をつけて生きた。そういう気持ちにさせてくれたのは久遠さんだったからだ。

 だからその人に死んでほしくない。わかってくれない? もう逃げて後悔するのだけは嫌なんだ。天国に行ってまたあなたは最下位です。なんて言われてみろ? 後悔を引きずって、そんなのもう沢山だ。もう言い訳したくないんだ」


 僕は嫌がる彼女の背中を、無理矢理強く押した。

「希望なんだ! 託したいんだ。僕のかわりに。頼む!」

 突き飛ばされてなお彼女は進もうとしない。

「はしれ!」

 泣きながら懇願する形となった僕をみて、彼女はついに頷いた。そしてくしゃくしゃになった顔を前に向けた。

 僕も向きをかえる。マムシ男は真愛が逃げ出したのをみて、素早く日本刀を抜いて鞘を捨てた。覆面の奥に歯が見える。

 膝が震え、胴も震え、うまく立っていられない。だが・・・、迷いはなかった。

 男が動き出す前にスタートをきる。狼煙は上がった。


反撃。


 心の中の闇。それに蹂躙され続けた三十年。確固たる自分などどこにもいない、そういう虚無感と劣等感に押さえつけられてきた。だが、


この世の果て。もうどうしようもないほどの土壇場で、今、歯車は回った。


◇◇◇


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