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前世で愛した魂が、死神と幽霊に分かれて私を溺愛してくる  作者: だしのもと


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第3話 夢の断片と揺れる覚悟

 朝日が差し込む部屋の中で、葵は重たいまぶたをゆっくりと開けた。

 なぜか、頬には乾いた涙の跡が残っていた。


 でも今日の夢は、これまでと違った。


 いつもなら目覚めとともに喉元を締めつけるような苦しさが来るのに、今日はない。

 代わりに胸の奥に残っているのは、誰かの剣の軌跡と懐かしい、あたたかさだった。


(私、なにかを思い出しそうになってる……?)


 教室に着いても、いつもと変わらぬ風景がどこか色褪せて見えた。

 周囲の会話も、笑い声も、遠くの方で響いているような気がしていた。


 ***


 そして、昼休み。


 静かな階段の踊り場で、葵は一人で外を眺めていた。


 そこへ、気配なく近づいてきた影。

 まるで、胸の奥に灯った不安が空気に溶けて、誰かを呼び寄せたかのようだった。


 零士の姿は、まるであらかじめそこにいるべくしていたように自然だった。


「葵」


 聞き慣れた、落ち着いた声。

 振り返れば、そこにいたのは零士だった。


「零士……さん」


「さんはいらない」


 ぴたりと間を置かずに返されたその言葉に、葵は小さく目を瞬かせた。


「あっ、ごめんなさい」


「謝らなくていい。あと、他の人には見えてないから静かにな」


 そう向けられた目線は黒い瞳のはずなのに、どこか柔らかく感じられた。


「昨日、夢を見たか?」


「……え、なんで夢を見てるってわかったの?」


 思わず口にした葵の疑問に、零士は一瞬だけ視線を宙に彷徨わせると、静かに答えた。


「君の魂が揺れた。それが波のように広がって、俺には届いたんだ。……特に、霊体である俺にはな」


 それはまるで、『彼女の気配』を感知して現れたかのようだった。

 夢の中で彼女の魂が動き出した瞬間、何かが変わったのだ。

 零士はその異変を、霊体としての感知能力で察知していた。


「信じてくれないかもしれないけど……その、私、誰にも話したことなくて……」


 葵は言葉を探すように、視線を泳がせながら話し始めた。


「……いつもは苦しくて、重い夢ばかりだったの。気持ちが押しつぶされそうで、目覚めたくて仕方なかった……けど……」


 言い淀みながらも、彼女は続けた。


「昨日のは違った。なんていうか……これって本当に夢なのか錯覚するくらい、リアルで、でもどこか……あたたかくて」


 葵の声には、疑問と戸惑いが混じっていた。

 零士は少しだけ目を伏せてから、静かに頷いた。


「夢っていうより……魂の記憶の残響、かもしれないな」


 そう言った彼の声は、どこか遠くを見るようだった。

 黒い瞳は、まるで何かを映すかのように深く澄んでいた。

 その瞬間、葵の脳裏に、ふいに別の光景がよぎる。


 鋭い剣戟の音。

 赤く焼けた空。

 誰かの叫び声。

 そして、遠くから誰かを見送るような背中。


(今の……何?)


 その瞳に吸い込まれるようにして見えた、残響のような幻影。

 思わず壁に手をついた葵は、こみ上げる感情に一瞬目を伏せた。

 だが、その記憶はすぐに霧の中へと消えていった。


 その様子を見ていた零士は、そっと彼女のそばに歩み寄ると、静かに言葉をかけた。


「大丈夫。無理に思い出さなくていい。……それでも、思い出しそうになったら、ちゃんと俺が受け止める」


 その声は驚くほど優しく、葵の張り詰めていた心が、ふっとほどけていくのを感じた。


 誰にも話せなかったその夢の内容を、零士がすべて知っているという事実。

 そのことに気づいた瞬間、葵の胸にひとつ、ほっと安堵の灯がともる。


(……誰かに知られるのが怖かったのに、この人には、何も言わなくても伝わっていた)


 彼の存在が、ほんの少しだけ、救いのように感じられた。


「どうして……こんなものを、見るようになってるの……?」


 葵の問いに、零士はしばらく黙ったまま彼女を見つめる。


「過去に魂を無理やり呼び戻す禁じられた術があった。その代償として、君の魂は冥界の記憶と鎖のように結ばれたままなんだ」


「それって……誰かが私に見せてるってこと?」


「『観させられている』に近いかもしれないな。君の意思とは関係なく、その鎖が揺れるたびに、過去の残響が君を通して映し出されている」


「そんな……誰がそんなことを……!」


 葵の声はかすれ、震えていた。

 零士は一瞬、視線をそらすと、彼女の手にふわりと触れるような仕草をした。

 その問いに、すべてを知る彼は答えることができなかった。


「……それを解放するために、俺たちはここにいる。それだけは、信じてくれていい」


 零士の真剣に向けられたそのまなざしに、葵の中で湧き上がっていた疑念と不安が一瞬で静まる。


(彼らといることで、長年の苦しみから解放されるのかもしれない)


 実際、昨日彼らに出会ってから見た夢は、不穏ではなかった。


 でも、一緒にいるということは、またあの背筋の凍るような恐怖を体験しなければならないのではないか。

 そして何より彼らに接触したことで、見えてはいけない非現実的なものが見えるようになってしまった。

 その事実が、葵の胸を重くする。


 夢の変化への淡い期待と、再び恐怖と向き合うことへのためらいが、葵の胸の中で交差していた。


「……じゃあ、私は……どうしたらいいの?」


 そこへ、どこからかふわりとした声が重なった。


「俺らと一緒に家業やっていくっててどう? 紫月」


 振り返れば、いつの間にか昇也が階段の上から笑っていた。

 零士とのやり取りに口を挟まず、静かに見守っていた……はずだった。

 が、次の瞬間。

 階段の手すりを軽く飛び越えるようにして昇也が姿を現す。


「よっ、と。重い話してたところ悪いね!」


 重たい空気とは裏腹に、彼の軽快な登場に、葵は思わず目を見張った。

 冗談めかした口調でありながら、その目はどこか真剣で、昇也なりの空気の変え方なのだと、すぐにわかる。


「死神の仕事って、ああ見えて地味に大変だからさ。視える力があるなら、手伝ってくれると助かるなっーて」


「手伝うって……何を?」


「んーと、口にしても難しいから、とりあえず見て見てよ!」


 その軽いノリに、葵は思わず怪訝そうな顔をした。


「大丈夫だって! 安心してよ!」


 にっかりと笑いながら昇也は葵に顔を近づけて言った。


「……ちゃんと守るから」


 冗談のように軽く言った昇也の瞳は、どこか本気だった。

 葵はしばらく考え込むように目を伏せたあと、ぽつりと口を開いた。


「……もし、手伝ったら。楽になるのかな?」


 昇也は少し驚いたように目を見開き、それから穏やかに頷いた。

 彼の胸には、思いがけない返答に対する驚きと、どこか安堵にも似た感情が交差していた。


(てっきり断られると思ってた……)


 そんな心の声が、彼の胸をかすめていた。


「正直、夢のこととか、詳しい事は俺にはわからない。でもさ、紫月が何かに苦しんでるのは、初めて会ったときから感じてたんだ」


 昇也の声は、少しだけトーンを落として続いた。


「……」


「でも、一緒にいることで、夢の見え方が変わってきたなら、それって意味があるってことじゃん?」


 その言葉に、葵は心の奥が静かに揺れた。

 たしかに、あの暗くて苦しい夢が、少しずつ変化している。


 そしてそれは、零士が言った「死の悪夢から救いたい」という言葉の意味にも、つながっている気がした。


(逃げたい。でも……もう逃げられない気がする)


 見えてしまったもの。

 感じてしまったもの。

  夢だと思っていたすべてが、現実と繋がっているのなら——


(だったら、せめて……知りたい。これはなんなのか)


 それに、非現実なものが見えるようになってしまった今、何もしないほうがよほど危ない気がする。

 だったら、彼らと一緒にいたほうが少なくとも、ひとりで怯えているよりは、きっとましだ。

 そんな気持ちが、心の奥でそっと形を成し始めていた。


「……わかった。とりあえず、見てみる」


 葵が静かにそう言うと、昇也はふっと笑った。


「じゃあ放課後、迎えに行くよ」


「覚悟はしておけ。初めての現場は、想像よりはるかに()()だ。血の匂いも、後悔も、怨念も……全部が()と地続きの場所にある」


 零士のその言葉に、葵は小さくうなずいた。


 教室へ戻る足取りはまだ重かったけれど、それでも、

 ほんの少しだけ迷いの霧が晴れた気がした。


 ——そのとき。


 廊下の角を曲がった瞬間、葵は足を止めた。


 視界の端に、何かが見えた。

 人の形をしているが、人ではない。

 壁に沿うように佇んでいる、黒い影のようなもの。


 次の瞬間には消えていた。


(……今の、なに)


 心臓が跳ねる。


(零士が言っていた「現場」というのが、もしかすると——)


 放課後はまだ、来ていなかった。


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