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前世で愛した魂が、死神と幽霊に分かれて私を溺愛してくる  作者: だしのもと


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第1話「春、始まりの日常」②

 次の日の夕方、校門を出た葵は、なんとなく足が普段と違う方向へ向かっていることに気づいた。


「……この道、通ったことあったっけ」


 知らないはずの路地裏に立っていた。

 夕暮れの光が届かず、どこか冷たく感じる場所。


 ふと、足元からじんわりと冷気のようなものが立ちのぼる。

 周囲を見渡しても、誰の姿もない。


 だが、確かに『誰かに見られている』感覚だけが、そこにあった。


「……誰かいるの?」


 返事はない。


 気のせいかもしれない。

 そう思って歩き出そうとしたそのとき、 風がそっと吹き抜け、家の影が揺れたような気がした。


 ふと視線を上げた彼女の目が、ある一点を見つめた。


 そこに()()


 姿は見えない。

 けれど、確かにその空間に『誰かがいる』と感じられるほどの存在感。


 彼女の目が、自分を捉えた。

 そう錯覚するほどに、零士の中で何か温かなものが胸奥を打った。


 本来なら見えるはずのない自分に、相手がまるで気づいているかのように目を向けた。

 その瞬間、かつて交わした約束や、手を伸ばしても届かなかった過去の光景が、感情とともに一気によみがえった。


(見えてはいない。それでも……彼女は、何かを感じてくれた)


 視えずとも、確かに触れた感覚。

 そのただ一点の感応が、空っぽだった心に静かに灯をともす。


『君にもう一度、きちんと見てほしい』


 沸き上がる衝動に背を押されるようにして、彼は姿を消した。

 向かったのは、弟・昇也のもとだった。


 ***


 ふとした気配に導かれるように昇也は屋上へ向かった。


 夕暮れの風の中、そこには普段なら誰にも視えないはずの、兄――零士が静かに立っていた。


「……どうしたの急に?」


 昇也の問いに、零士は静かに目を伏せる。


「彼女に、もう一度会いたい。言葉を交わしたい。……そのためには、お前の力が必要だ」


 あまり頼み事をしてこない兄からの突然の申し出に、昇也は思わず眉をひそめた。


「彼女って? 誰のこと?」


「……俺の、探していた人だ」


 短く返したその言葉の裏に、深い想いがにじんでいることを感じ取った昇也は、少し目を細めた。


「へぇ、そうなんだ。兄さんが誰かを気にかけるなんて、珍しいじゃん。……どんな子?」


 からかうような調子で尋ねつつも、その奥にはほんのわずかな警戒心もあった。


「……貸してもいいけどさ、俺も一緒に行こうか?」


 興味本位のあるその一言に、零士の表情がわずかに揺れる。


 弟に接触することで、自分という存在が彼女の中でより曖昧になってしまうのではないかという、言いようのない不安。

 そして、弟が彼女に向けるであろうまっすぐな眼差しを想像すると、胸の奥に静かに波紋が広がるのを感じた。


「……いや、一人でいい。すぐに終わる」


 その反応に、昇也はますます不思議そうな顔をしたが、深くは追及しなかった。


「そっか。……ま、兄さんがそこまで言うなら、いいよ。気をつけて」


 そう言って、昇也はそっと手を差し出した。

  零士も無言で手を伸ばし、弟の手を握る。


 その瞬間、二人の瞳に金色の光が宿る。

  風が止まり、空気が静止するような感覚。


 昇也の力が、静かに兄へと流れ込んでいく。

 一瞬のことだったが、そこには確かな交感があった。


 一時的にでも()()を与えるため、昇也はわずかに力を分け与える。

 彼女に見えるように。

 声が届くように。


 ***


 その夜。

 部屋の窓を開けて外の空気を吸っていた葵の背後に、静かな気配が忍び寄る。


「……さっきは、驚かせてすまなかった」


 ふいに背後から聞こえたその声に、葵はびくりと肩を揺らした。

 振り返ると、部屋の隅に青年――零士の姿があった。


 静かな声でそう話しかけた彼の姿に、葵は戸惑いながらも、しっかりと目を向けた。


 黒髪に緩やかな波がかかり、前髪がやや目にかかっている。

 どこか翳りを帯びた静かな瞳。

 すらりとした体躯と、どこか懐かしいような雰囲気。


(……どこかで、見たことがあるような……)


 胸の奥が、ふいに騒ぎ始める。

 記憶の糸がかすかに軋む気がした。


「あなたは……だれ?」


 葵が問いかけた瞬間、零士がそっと唇を開く。


「俺は……」


 そう言いかけたところで、彼の体がふっと揺らぎ、手足の輪郭が淡くなり始めた。


「待って……!」


 葵の目の前で彼の姿が薄れていく。

 まるで現実が壊れていくような、信じがたい光景に、彼女は本能的に手を伸ばした。

 指先が、零士の身体に触れた。

 冷たく、それでいて確かにそこにある感触。


 その瞬間、葵の視界がグラリと崩れた。


 ***


 閃光とともに流れ込んでくる、知らない記憶。


 剣の感触、仲間の声、冥界の崩壊、そして()の最後の叫び。


「やめろ、行くな……! お前なんかに死なせたくない……!!」


 あまりの情報量と衝撃に、葵の意識は深く沈み、 彼の記憶と想いが、次々と彼女の内側に押し寄せてくる。


 絶望と喪失。

 目の前で失われた存在をどうにもできなかった無力さ。

 魂が引き裂かれるような痛みとともに、心に残ったのは、黒い希望。


 それは『何かを取り戻したい』という執念にも似た渇きだった。


 彼の名も姿もわからないのに、葵はその感情の深さに圧倒され、 そのまま崩れるように倒れ込んだ。


 ***


 そして、朝が来た。


 カーテン越しの柔らかな光にまぶたをゆっくり持ち上げた葵は、しばらくのあいだ天井を見つめていた。


「夢……だった、のかな」


 昨日の夜に見たもの、聞いた声、そして押し寄せた記憶の奔流。

 どれもあまりに現実離れしていて、起きた今となってはまるで幻だったように思える。


 だが、夢にしては感覚が生々しすぎる。


 起き上がろうとした瞬間、ずきんとした激しい頭痛が脳を刺した。


「……っ、また……」


 額を押さえてベッドにうずくまりながら、葵は思った。

 これではとても学校に行けそうにない。


 その日は、電話一本を入れて、学校を休むことにした。


 眠っていても夢は途切れず、断片的な情景や名も知らぬ誰かの声が耳に残る。

 考えをまとめようとしても、頭の中がぼんやりとしてうまく働かず、目覚めている間もずっと鈍い痛みが残っていた。


(あれは夢だったの?それとも現実――?)


 一日中ベッドの上で、葵は何度も思い返した。

 見たはずのもの、聞いたはずの声、感じたはずの感情。

 それらのひとつひとつを丁寧に拾い上げて、言葉にならないまま、静かに胸に沈めていく。


 ***


 そして、夕方。


「ピンポーン」


 玄関のチャイムが鳴った。

 母の声が遠くで「プリント預かってきてくれたってー」と響き、慌てて玄関先に向かった。


「よっ、紫月。大丈夫?」


 玄関の扉の向こうから聞こえてきたのは、どこか軽やかであり、気遣うような声。


 真神昇也だった。


 偶然にも家が近かったらしく、担任から頼まれて届けに来たのだという。

 戸惑いながらも「ありがとう」と返事をした葵が、扉を開けて手を差し出す。

 昇也がプリントを渡そうとした瞬間、彼の指先が彼女の指にふれる。


 そのわずかな接触に、昨日のあの記憶と感覚が脳裏にフラッシュバックし、葵は思わずその手を引いてしまった。


 ひらり、とプリントが舞うように床へ散らばった。


「あっ、ごめん……!」


 すぐに拾おうとした葵よりも早く、昇也がしゃがみこんで紙を集める。


「大丈夫、大丈夫。落ちたくらいで怒ったりしないって」


 彼はいつも通りの笑顔で、気にした様子もなくプリントを差し出した。

 その優しい表情に、葵はふと昨晩出会った幽霊の面影を重ねた。


(え……なんであの人のことを……?)


 不思議な違和感に突き動かされるように、葵はまじまじと昇也の顔を見つめてしまう。


 黒い髪に黒い瞳。

 その整った顔立ちの奥に、どこか翳りを帯びた静けさがある。

 それは、昨晩の夢の中で出会った()()に確かに似ていた。

 雰囲気までがどことなく重なって見えたことに、葵はさらに戸惑いを覚えた。


「……な、なに?」


 思わずじっと見られる視線に気づいた昇也は、少しだけ照れたように目をそらした。

 そのしぐさまでも、どこか既視感を覚えてしまう自分に、葵はますます困惑するのだった。


「ねえ、誰か兄弟とかいる?」

 

 ふと口をついて出たその質問に、昇也の表情にかすかな影が差す。

 

「……まぁ、いる……けど」

 

 それ以上は言わなかった。

 その声の色を、葵はうまく名前にできなかった。

 

 悲しいとも、怒っているとも違う。

 ただ触れてはいけないものが、そこにある気がした。

 

「じゃ、お大事に」

 

 背中が見えなくなってから、葵は静かに扉を閉めた。

 

(……なんで今、泣きそうになってるんだろう)

 

 自分でも理由がわからなかった。

 ただ胸の奥に残るのは、昨夜の幽霊の声と、たった今のあいつの横顔が、なぜか同じ痛みの色をしていた、という感覚だけだった。

 

 その夜、葵はまた夢を見た。

 今度は声だけが聞こえた。

 

「……また会おう」

 

 誰の声かはわからない。

 でも確かに『その声』を、知っている気がした。

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