第1話「春、始まりの日常」①
誰かの名前を、叫んでいた。
燃える空。
崩れる地面。
剣を握ったまま走る自分。
そして届かなかった、誰かの背中。
目が覚めた時、葵の頬には涙の跡が残っていた。
これで、何度目だろう。
「……また、あの夢か」
小さく息を吐いて、ベッドから体を起こす。
転生とか前世とか、そういう言葉は信じていない。
信じたくなかった。
でも夢はあまりにも鮮明で、あまりにも生々しい。
目を覚ますたびに、胸の奥に何かが引っかかっていく。
今日から高校。
新しい制服に袖を通しながら、葵は鏡の中の自分に言い聞かせた。
(普通でいい。普通の高校生でいればいい)
そう決めていたのに。
***
新しい高校生活の始まり。
通学路、制服、クラス替え、自己紹介。
どれもがフレッシュで、少し緊張するが、それも悪くない。
その日、自己紹介の時間。
「真神昇也です。よろしくお願いします」
その一言で、教室の空気がふわりと華やぐ。
整った顔立ちと柔らかな雰囲気に、女子たちの視線が一斉に集まり、さっそく数人が目を輝かせていた。
葵はその姿を見た瞬間、胸の奥がわずかにざわめいた。
整った顔立ちに、どこか影をまとったような雰囲気。
初対面のはずなのに、その佇まいが記憶の奥底に引っかかるような、妙な既視感。
(この人を、私は……知っている気がする)
彼の名を聞く前から、すでにその存在が、彼女の眠っていた感覚を呼び起こしていた。
昇也は、すぐにクラスに溶け込み、誰とでも打ち解けた。
明るくて気さくで、何をやらせてもそつがない。
そしてなぜか、何度も葵に話しかけてきた。
「なあ紫月って、なんか不思議な雰囲気あるよな」
放課後、机を片づけていた葵に、昇也が隣からぽつりと話しかけてきた。
「最初に見たときから、なんとなく引っかかっててさ。……もしかして、前に会ったことある?」
「ないと思うけど……」
葵は少し戸惑いながら答える。
だがその答えを否定するように、昇也はじっと彼女を見つめた。
その視線は、ただ興味を持っているだけのものではなかった。
どこか懐かしそうで、それでいて焦っているようにも見える。
そんな不思議な熱がこもっていて、彼女の胸の奥を静かに揺さぶった。
「なんか、前に……大切な場面で会った気がするんだ」
その言葉を聞いた瞬間、葵の胸が鋭く痛んだ。
理由はわからない。
でも確かに、あの夢の中の誰かの叫び声と、同じ色の声だと思った。
「……そうやって女子を口説く手法なの?」
あえて嫌味のように突き放した言葉を投げた。
しかし昇也は、まるで気にした様子もなく、にこっと笑った。
「え? あー、そっか、そう聞こえちゃうか。いやいや、本当にそういうんじゃなくて」
拍子抜けするほど軽いその口調に、思わず肩の力が抜ける。
その明るさが、葵の張り詰めた内心をやんわりと包み込み、無意識の防壁を緩めた。
そう答えながらも、自分の声がわずかに震えていたことに、葵は気づいていた。
昇也はなおも自然な笑顔のまま話しかけてくる。
「でも本当に……君のこと、前から知ってた気がしてさ」
「……ほんとに覚えがないから」
「うん、だからこそ気になってる。思い出せないって、なんかモヤモヤするよな」
無邪気に語るその表情が、悪気のないことを示していた。
けれどその無防備さが、なぜか余計に彼女の心の奥を揺らす。
それが何かに触れそうで、葵は自分でも理由の分からない苛立ちを覚えた。
「……ごめん。帰るから」
唐突に、葵は言葉を切り、鞄を掴んで立ち上がった。
驚いたような顔を見せる昇也に背を向けて、足早に教室を出る。
後ろから声はかからなかった。
けれど廊下を歩く背中に、なぜかずっと視線のような熱が残っていた。
日常に入り込んできた、非日常の前触れ。
このときの葵は、まだ気づいていなかった。
その目の奥にある光が、かつて自分が見送った誰かの魂の名残だということに。
そしてその夜、彼女はまた夢を見ることになる。
***
崩れゆく世界。
光に包まれた背中。
名前を叫び、届かぬ手を伸ばす自分。
その夢は、いつものように始まり、しかし今夜だけは、終わりに奇妙な気配が残った。
誰かが、見ていた。
遠くから静かに、彼女のことを。
目を覚ました葵は、なぜか肌寒さを感じて窓の外を見る。
夜の闇に紛れるように、何かの気配が、ほんの一瞬だけそこにあった気がした。
それは、まだ彼女が知らぬもう一つの魂。
既にこの世に実体を持たない者。
けれど、彼女を知り、彼女のすべてを覚えている存在――真神零士。
その夜、彼は静かに彼女の傍にいた。
「やっと……見つけた」
誰にも届かない声で、そっとそう呟いた。
第1話②に続きます。
お読みくださりありがとうございます!
ブックマーク、評価、コメントを頂けると大変嬉しいです!!




