第20話 門が裂けるとき、決意は試される②
「……これは……ネザリウスの波動だ」
昇也の言葉とともに、空気が張りつめる。
強烈な違和感が肌を刺し、地面がぐらりとうねった。
まるで空間そのものが拒絶反応を起こすように、世界が軋んでいた。
次の瞬間、校門の中心から黒い裂け目が走り、そこから異界の亀裂が広がっていく。
黒い靄が周囲に広がると同時に、校門の先にいた教師や通行人までもが、意識を失っていた。
「そんな……」
葵が息を呑む。
その中心に、数名の黒装束の人影が立っていた。
まるで葵たちが来るのを待っていたかのように、微動だにせず佇んでいる。
その瞬間、昇也の影から零士が現れた。
半透明の姿をしていながら、その気配は鋭く研ぎ澄まされていた。
「……門が無理やり開かれた」
低く鋭い声で零士が告げる。
「ここが最後の門だった。つまり、すべての封印が、今、崩れたということだ」
亀裂から、濃密な闇の波動が噴き出す。
その中心にネザリウスの影が現れた。
巨大な黒い残像のようなものが、じわじわと形を成し、三人に向かって触手のような闇を伸ばしてくる。
零士と昇也が即座に応戦する。
昇也は力を込めようとするが、体の芯から力が抜け落ちていくような感覚に襲われた。
死神としての力を奪われている今、霊力を集中させようとしても、まるで砂を握るようにすり抜けていく。
「……っ、くそ……!」
呻くような息が漏れる。
全身が重く、動きが鈍る。
零士もまた、霊体としての限界が近づいていた。
身体は淡く揺らぎ、輪郭が不安定に波打つ。
攻撃のたびに霊力が削れ、動きに精彩がなくなっていく。
それでも、ふたりは迷わなかった。
体が崩れ落ちそうになっても、葵の前に立ち、闇の触手から庇うように身を投げ出す。
まるで、自らの存在が盾であるかのように。
ただ、彼女を守るためだけに。
葵の視線が、倒れた生徒たちと闇の一派を交互に行き来する。
「……あなたたちが……みんなの魂を奪って、無理やり門を開いたの?」
震える声で問いかける。
すると黒装束の一人が、高らかに笑った。
「ああ。キルハの魂がこちらに来る道を開くためには、これが一番効率的だったからな」
「……っ……!」
自分の中にあるキルハの魂が、彼らにとっての鍵だった。
「キルハの魂を持つ者がこちらに来れば、これ以上手は出さない」
交渉のように、静かに告げられる。
周囲には動かない生徒たち。
無事なのは、今ここにいる三人だけ。
自分を差し出せば、すべてが終わるかもしれない。
(私が、ここで終わるってこと……?)
葵の足が震えた。
捧げるか、守るか。
答えを出せないまま、彼女の時間が止まりかけていた。
(……わかった)
その言葉が、口をついて出そうになる。
だが、次の瞬間。
「ふざけるな!!!!」
怒声とともに、零士が地面に片膝をつきながらも立ち上がる。
身体は傷だらけで、霊体とは思えないほどの痛みが滲んでいた。
その目には、深い怒りと悲しみ、そして強い拒絶の意志が宿っていた。
前世、セインとしての記憶が、彼の胸を刺す。
あの日、自分の手の届かないところへ行ってしまったキルハ。
あの瞬間の喪失感と悔しさが、今、目の前の葵と重なる。
「葵は……お前たちなんかに渡すものか!!」
その叫びに、葵の瞳が揺れる。
(……キルハ。あなたは、こういう気持ちだったのね)
自分の命を差し出して、誰かを守ることが正しいと思っていた。
でもその行為が、残される者にどれだけの苦しみを与えるのかを、今ようやく理解した。
「でも……」
葵は顔を上げ、敵をまっすぐ見据えた。
その手のひらに光が集まり、やがてそれは一振りの剣の形をとる。
震える腕を前に出して構えると、覚悟の宿る瞳が鋭く紫色に光っていた。
「その手にはのらない!」
怒りと決意が声に乗る。
ぐらつく足を一歩踏み出し、崩れ落ちそうな昇也と零士の前に立つ。
「私は……なにがあっても、あなたたちのそばから離れない!」
痛みと恐怖で体が悲鳴を上げる中、それでも葵は立ち続ける。
伸びてくる闇の触手が容赦なく突き刺さる。
だが、彼女は怯まず踏みとどまった。
その姿に、黒装束の者たちが動きを見せる。
「ならば、無理やり奪うまでだ」
呪文の詠唱が始まり、地面が唸るように振動する。
黒い霧が渦を巻き、影の力がさらに強まっていく。
彼女はもう、守られるだけの存在ではなかった。
「葵……!!!」
ボロボロになった昇也が、絶叫のように叫び、葵へと飛び出す。
その胸には、今にも砕けそうなほどの無力感が渦巻いていた。
(俺は……何をしてる……?こんなにも必死なのに、何一つ守れてない)
零士もまた、葵を庇いながら昇也を見つめた。
「……覚悟しろ、と言ったな」
低く、しかし決意に満ちた声。
昇也は顔を歪め、言葉を飲み込む。
「嫌だ……兄さんが消えるなんて、俺は……」
その迷いを、零士は静かに断ち切った。
「目を開けろ。見ろ、今、俺たちの大事なものが連れ去られそうになってるんだぞ」
その視線の先には、必死に戦い続ける葵の姿があった。
昇也の瞳が大きく見開かれる。
(俺は……逃げていた。守りたいと思いながら、覚悟を決めきれずにいた)
でも今は違う。守られるだけじゃない。
彼女は俺たちと並んで、戦ってくれてる。
(なら……俺も……!)
昇也は拳を握りしめ、一歩前へ踏み出した。
その眼差しに、もう迷いはなかった。
「……すまない、兄さん。力を貸してくれ」
「謝るな。それが俺たちの決断だ」
零士は静かに微笑んだ。
そして一歩踏み出し、昇也の胸に手を当てた。
すり抜けるはずのその手が、確かな重さで昇也の胸に触れていた。
「……兄さん」
昇也の声が、かすれた。
「俺たちは、最初から一つの魂だったんだ」
零士が静かに言った。
「セインとして。零士として。昇也として。形は変わっても、お前とともに在ることが、俺の答えだった」
「兄さん……っ」
「泣くな」
零士が短く言った。
その声に、かすかに笑いが混じっていた。
零士は低く言葉を紡ぎ始めた。
かつて死神として使った言葉ではなかった。
もっと古い、魂の深いところから来るような響きだった。
それが昇也の胸の中心に触れた瞬間、全身の何かが震えた。
(これは……)
温かかった。
熱いくらいに、温かかった。
零士の記憶が流れ込んでくる。
幼い頃、書庫で並んで英雄伝を読んだ夜。
前世の記憶。
冥界の戦場で、キルハの背中を追いかけたセインの記憶が、昇也の中に静かに根を張っていく。
(俺は……セインで、零士で、昇也だ)
「兄さん、消えないでくれ」
零士の身体が、光の粒子になり始めていた。
「……消えない」
かすかな声だった。
「お前の中に、還るだけだ」
「兄さん、俺……」
「知ってる」
遮るように、零士が言った。
「全部、知ってる」
お前が誰のために戦ってきたか。
何を守りたかったか。
魂が重なっているから、全部伝わっていた。
「昇也」
もう、形がほとんど残っていなかった。
「絶対に守れ」
その言葉とともに、零士の身体は完全に昇也の中へと吸い込まれ、光となって融合していく。
一瞬だけ、昇也の胸が灼けるように熱くなった。
そして、静かになった。
(……兄さん)
胸に手を当てる。
そこに零士はいない。
でも、確かに何かがある。
記憶。
想い。
誓い。
前世からずっと続いてきた、ひとつの魂の積み重ねが、今、昇也の中に在る。
重荷ではなかった。
むしろ、ずっとここにいてほしかったものが、ようやく帰ってきたような感覚だった。
ネザリウスの影の嘲笑が響く中、昇也は顔を上げた。
涙が頬を伝っていたが、その瞳は揺れていなかった。
身体の中から、新たな力が溢れ出す。
その瞳が、金色に輝いた。
「——行くぞ、葵」
声が、変わっていた。
葵は一瞬だけ息を呑み、そして頷いた。
その目に、涙が光っていた。
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