第12話 兆しの夜、忍び寄る影②
放課後、昇也が昇降口に戻ると、数人の生徒が階段に腰を下ろして項垂れていた。
「またか……」
気配はわずかだったが、霊気の残滓が空間に沈んでいる。
直接的な害はなかったようだが、何かの影が通過していったのは間違いなかった。
葵も同じく気配に気づき、教室の窓から外を見つめていた。
「今日だけで、もう三人目……このままだと……」
その言葉を口にした瞬間、昨夜の夢が脳裏をよぎる。
闇の中で首を締め上げられ、意識が遠のいていく感覚。
(また、あんなふうに、あの影に……もしかしたら殺されるかもしれない)
思わず首元に手を当て、息を整える。
冷たい感触が蘇るたびに、背中にうっすらと汗が滲んだ。
そのとき、空間の奥底に、かすかな霊気の波が走った。
意識を集中すれば感じ取れる程度の、ごく小さな干渉。
(誰かが、私の魂に手を伸ばしてきてる?)
葵は無意識に背筋を伸ばした。
夢だけではない。
現実の中にも、何かがじわじわと入り込もうとしている不穏な気配があった。
***
その夜。
零士は自身の結界の中で、副位層に関する古い記録を読み解いていた。
「……やはり、この構造……」
浮かび上がった図と転送ルートには、観測者が介入した層の歪みが記されていた。
『副位層』とは、現世と冥界の間にある境界の空間だ。
死にかけた魂や強い未練を持った霊が一時的に迷い込むことがある場所で、夢や幻覚、霊障が生まれやすい。
「まさか、あそこからの影響があるなんて……」
零士は目を閉じ、過去の記憶を辿っていた。
以前、その領域で研究中に失踪した者たちの魂が跡形もなく消えた事件があった。
零士自身も調査の末端に関わり、制御不能な霊圧の奔流に触れかけたことがある。
そのときの感覚と、今感じている層の揺らぎが、恐ろしいほど似ていた。
***
同じ頃、葵は再び夢を見た。
今度は声だけではなかった。
彼女の前に、白い仮面をつけた存在がはっきりと姿を現した。
その場の空気は凍るように冷たく、音さえも吸い込まれていくようだった。
目の前の存在が放つ気配は、生き物ではない何か、感情を持たない意思のようだった。
『次の干渉が完了すれば、選別が始まる。適応か、消失か』
無機質な声が、彼女の心に直接語りかける。
『選べ。お前の魂の座標が定まる前に』
思わず、葵は一歩下がりながら構えた。
「……誰なの。私に干渉してくるなんて……!」
だが、その問いに仮面の存在は一切答えなかった。
沈黙はただ、重い威圧としてその場に残り、緊張だけが深まっていく。
次の瞬間、仮面の奥から黒い霧のようなものが一気に葵を包み込もうとする。
「やめて……っ」
声が出ない。
首を締め上げられたあの夜と同じ、圧倒的な無力感が胸を締めつける。
(自分の魂があの影に呑まれていく……)
その恐怖が、足元を崩していく。
刹那、空間が崩れ落ちるようにして夢は終わった。
目覚めたあとも、胸の奥に冷たい感触が残っていた。
***
翌朝、鏡を覗き込んだ葵は、瞳の奥がごくわずかに揺れていることに気づいた。
淡い紫が一瞬だけ混じるようにきらめき、すぐに元の色へと戻る。
「……力が、変化してる……?それとも……あの影が、まだ中に……」
喉元に手をやると、昨夜の夢の感触がありありと蘇る。
仮面の存在が放った、『選別』という言葉。
魂の奥底にまで干渉してくるような、確かな恐怖。
「……怖い。でも……このままでいられるわけがない」
鏡の中の自分をまっすぐに見つめ返し、葵はそっと呟いた。
***
同じ頃。
昇也の手元で、死神の鎌の紋様が光を帯びて脈動していた。
その脈動はまるで、自身の鼓動と同期しているかのようで、不思議な感覚が全身を駆け巡る。
(この感じ……何かが変わろうとしている……)
鎌に込められた力が、自分の内側に眠っていた何かを呼び起こそうとしているのを昇也は感じていた。
かすかに響く音、空間のずれ、肌を撫でるような冷気。
すべてが、見えない気配と繋がっているような感覚がある。
目覚める力が、本当に役に立つのだろうか。
そんな考えが、ふと頭をよぎった。
彼はそっと鎌の柄を握り直した。
(まだ思い出せない……けれど、俺はきっと……)
胸の奥に、言葉にならない焦燥が生まれ始めていた。
ふたりの中で、何かが確実に動き始めていた。
それは力の変化であると同時に、次なる干渉の予兆でもあった。
そして、観測者たちはすでに知っていた。
この変化こそが、彼らの計画を次の段階へ進める、合図だということを。
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