第10話 遠き記憶と響き合う魂①
放課後、人気のない視聴覚室にて、零士と昇也、そして葵の三人が集まっていた。
校舎の一角にあるこの部屋は、日が傾く頃には人影もなくなり、話し合うには格好の場所だった。
その日、葵は自分からここへ来たいと伝えていた。
だからこそ、彼らはここに集まり、真神家の秘された話を語ることにしたのだった。
「……ここなら話しても大丈夫だ。誰にも聞かれない」
昇也がそう言って扉を閉めると、零士がゆっくりと語り始めた。
「真神家は、冥界の魂を管理・導くために存在する血族。だが、その本家では長年、派閥の対立が続いていた」
「秩序派と清算派……」
昇也が思い出すように呟く。
その言葉とともに、彼の脳裏には幼い頃から感じていた一族の不穏な空気が蘇る。
家の大人たちが密かに交わしていた言葉、睨み合う視線、そして、兄である零士にだけ向けられていた妙な警戒。
「……あの頃から、妙な緊張感はあった。けど、まさかこんなことになってたなんてな」
零士は視線を逸らすように小さく息を吐いた。
「秩序派は魂を救済し整えることを信条とし、清算派は『異常な魂』を消し去ることで世界の均衡を保とうとしていた。そしてある時を境に、清算派は力を強め、秩序派の抑え役だった俺を排除しようと動き始めた」
昇也の拳が震える。
零士は目を伏せ、静かに続けた。
「あれは、俺がまだ生きていた頃の話だ。冥界の本家で当主候補として修行していたある日――」
***
図書の間で古文書を読み込んでいたとき、一冊の黒ずんだ巻物が目に止まった。
そこには『魂の強制復活』という言葉が記されていた。
「これは……?」
隣で資料を整理していた老臣が顔をしかめて言う。
「それは触れてはならぬ禁忌の術だ。記録からも本来は除かれるべきもの……なぜこんなところに」
それでも零士は、妙に心を惹かれた。
理屈ではなく、本能のようにその術の存在が自分にとって何かであると感じていた。
調べるたびに、不思議な感覚が胸の奥にざわめいた。
まるで、何かを助けたい、何かを失いたくない、何かを強く欲している。
そんな得体の知れない感情だった。
理解できずやがて、それは夢となって現れた。
剣を握る手、戦場、名も知らぬ者の背中。
その者の背後には、必ずと言っていいほど現れる存在がいた。
紫のオーラに包まれ、どこか哀しげで、それでいて凛とした背中。
何度も繰り返し見るその光景は、まるで記憶の断片のようだった。
***
だが、そんな零士の動きはすぐに清算派の目に留まった。
「禁忌を追い求めた時点で、お前の魂は歪んでいる」
ある晩、使者を装った者たちが屋敷を訪れた。
零士は咄嗟に結界を張り、背後の窓を蹴破って外へと飛び出した。
以降は常に監視されるようになった。
そして、ふとした拍子に気づいた。
弟・昇也の周囲にも、同じような監視の目がついていることに。
(……俺のせいだ)
だから彼は、あえて昇也を遠ざけた。
「兄さん、最近冷たい……」
無邪気に寂しげに不満を浮かべた昇也に、零士は冷たく言い放った。
「余計なことに首を突っ込むな。俺に構うな」
その言葉に、昇也は目を見開いて言葉を失った。
(守りたくて突き放したのに……これで良かったのか……)
清算派が急速に勢力を増していた裏には、不自然なまでの資源の流入や禁術の解禁があった。
その加速する動きの中で、零士は核心に辿り着く。
清算派が急激に取り入れた術式や思想。
その中心には、かつて冥界を混沌に陥れた存在、『ネザリウス』の名があったのだ。
『ネザリウス』
その名を見た瞬間、零士の視界が揺らいだ。
頭の奥で何かが爆ぜるような感覚が走り、激しい頭痛に襲われて膝をつく。
「……っぐ……!」
***
思考が、崩れた。
意識の奥底から、堰を切ったように溢れ出してくるものがある。
それは夢で何度も見た断片ではなく、もっと深く、もっと鮮烈な、確かな記憶だった。
戦場だった。
冥界の空は赤黒く燃え、足元の地面は亀裂だらけで、どこを踏んでも魂の断末魔が滲み出してくるような場所。
その中を、自分は走っていた。
いや——自分ではない。
セインだ。自分はセインだった。
「キルハ!」
叫んだ声が、喉を焼いた。
視界の向こうで、紫の髪が風に揺れている。
血に染まりながらも剣を手放さない、その背中。
何度呼んでも振り返らない。
何度手を伸ばしても届かない。
「待ってくれ……!一人で行くな……!」
記憶が飛ぶ。
次に見えたのは、決戦の前夜だった。
廃神殿の薄暗い回廊。並んで座るふたり。
「ネザリウスを止められるのは、俺だけだ」
静かなキルハの声。
いつもそうだ。こいつはいつも、一人で全部抱えようとする。
「……だから俺も行く」
「お前には、まだやるべきことがある」
「そんなもの、お前がいなければ意味がない」
口をついた言葉に、自分でも驚いた。
ずっと言えなかったのに。
キルハは少しだけ黙った。そして——
「セイン」
「なんだ」
「お前のことが、好きだ」
沈黙が落ちた。
冥界の濁った風が吹き抜ける中、セインは言葉を失った。
今更言うのか。
明日には死ぬかもしれないこいつが、今夜初めてそれを言うのか。
「……最悪だ、お前は」
「そうだな」
「俺に何もできなくするつもりか」
「……ああ」
セインは奥歯を噛んで、キルハの手を引き寄せた。
冷たい指先だった。
長い戦いで、すっかり熱を失っていた。
それでも握った。
離さなかった。
額が触れる。
互いの呼吸が、混ざる。
それ以上でも、それ以下でもなかった。
「……帰ってこい」
「ああ」
「絶対に、帰ってこい」
「……ああ」
朝が来た。
「……セイン、ここから先は俺が行く」
わかっていた。
わかっていたのに、止められなかった。
伸ばした手が、払いのけられる。
足元が崩れ、断層の向こうへ落ちていく。
「キルハァアアア!!!」
白い光が、すべてを飲み込んだ。
そして戻ってきたとき、もうそこにキルハはいなかった。
剣も、声も、額の温度も。
「……また会おう、って言ったのに」
誰にも届かない言葉が、崩れた冥界に落ちた。
だからセインは、禁忌に手を伸ばした。
あの温度を、もう一度感じるために。
***
零士は震える指先でこめかみを押さえ、荒い息の中でかすれる声を漏らした。
「……そうか。俺は……セインだったんだ」
すべてが繋がった。
禁忌の術になぜ引き寄せられたのか。
あの夢に出てくる紫の背中が、なぜこんなにも懐かしかったのか。
ネザリウスの名を見た瞬間に、魂の奥底から怒りが噴き出してきたのか。
「キルハ……お前は……今、どこに……」
声が震えた。
怒りではなく、喪失の痛みが全身を貫いていた。
それでも次の瞬間には、静かな炎のようなものが胸に灯る。
「ネザリウスだけは……絶対に許さない……」
その夜、零士はすべてを一人で決めた。
清算派の計画は、冥界にとどまらず、すでに地上への影響を及ぼし始めていた。
零士は、地上に送り込まれた『観測者』と名乗る存在が、実はネザリウスの残党だったという報告文書を読み解き、その確信を得た。
「……もう、誰かに頼る余裕なんてない」
風の吹きすさぶ崖上に立ち、零士は夜空を見上げていた。
冥界の記録、立場、名誉、そして家族。
そのすべてを置き去りにする覚悟はできていた。
「行くしかない……」
しかし、昇也の顔が脳裏をよぎる。
『兄さん、最近冷たい……』
(言えなかった。巻き込めなかった。あいつが俺を信じてついてこようとするのが、わかってたから)
「……すまない。昇也」
唇をかすかに震わせ、零士は静かに背を向けた。
彼の足は、地上へと続く禁断の境界線へと向かっていた。




