第八章:落日の邂逅
蒼い雪が、世界を静かに削り取っていた。
火の界の入り口。かつては熱波に守られていたその地に、今はサウザーの放つ「消滅の酷寒」が忍び寄っている。
丘の上に立つマース・クレイオスの前に、その影は現れた。
ふらふらと、雪の中に足跡を血で染めながら歩いてくる、黒い装束の男。
「……そこまでだ。何奴だ」
レヴィアスが斧を構え、地を震わせる声で威嚇する。背後のアスティシアも、身を守るように杖を握りしめた。
だが、マースだけは剣を抜かなかった。
その男から漂うのは、敵意ではない。引き裂かれるような「喪失」の匂いだったからだ。
「……マース・クレイオスか」
男――アーク・バドルは、その場に膝をついた。
その手には、焦げた小さな金属片が握りしめられている。
「闇の王子が何の用だ」
シフィルスが冷徹に問いかける。
「……俺は、もう王子でも何でもねぇ。ただの……裏切り者だ」
アークは顔を上げ、マースを射抜くような眼差しで見つめた。
「親友を殺された。親父に……サタンデュオスにな。
奴はサウザーを操っているつもりだが、逆だ。
世界は、あの蒼い龍に喰われようとしている。
……俺を、お前の軍に加えろ」
その言葉に、一行に戦慄が走った。
「冗談じゃない!」
レヴィアスが吠える。
「アモルを殺した赤龍を放ったのは、貴様ら闇の軍勢だろうが!」
アスティシアの瞳にも、隠しきれない動揺と悲しみが走る。
アモルの最期を思い出し、指先が白くなるほど杖を握りしめた。
沈黙が流れる。
蒼い雪がマースの肩に積もり、音もなく消えていく。
マースはゆっくりとアークに歩み寄り、その胸元の傷――アモルの攻撃ではなく、身内である闇の瘴気に焼かれた痕――をじっと見つめた。
「……アーク、と言ったな。お前は何を守るために、ここへ来た」
「……守るものなんて、もう何もねぇ」
アークの声は掠れていた。
「ただ、親友が俺に言ったんだ。『ありのままに生きろ』と。
……俺のありのままは、あのクソ親父や、すべてを無に帰そうとする龍の言いなりになることじゃねぇ。
……それだけだ」
マースは、腰の神剣アステリオンを抜いた。
鋭い切っ先が、アークの喉元に突きつけられる。
アークは目を逸らさない。
「アモルの死を、俺は一生許さないだろう」
マースの言葉に、アスティシアが息を呑む。
「だが――あいつが最期に言った。『命は、護るためにある』と。
お前がその傷を負ってまでここに来たのなら、それはお前の中に、まだ燃やすべき『命』があるということだ」
マースは剣を引き、鞘に納めた。
「立て、アーク。お前の闇も、俺の火も、今は等しくサウザーの雪に消されようとしている。
……燃え尽きる前に、一度くらいは同じ地平を見てみようじゃないか」
アスティシアが、一歩前に出た。
彼女は震える手で、アークの傷口にそっと掌をかざす。
「……アモルの光は、もう戻りません。でも、あなたのその痛みを、私は否定したくない」
柔らかな光がアークの傷を包み、闇の毒を和らげていく。
アークは驚いたように姫を見上げ、それから自嘲気味に笑った。
「……おめでたい奴らだ。だが、悪くねぇ」
マースは空を仰いだ。蒼い夜が、すぐそこまで迫っている。
「行くぞ。……これは復讐ではない。俺たちが、俺たちらしく生きるための――最後の灯火だ」
火、光、風、そして闇。
相容れないはずの力が、ラザールの滅びの淵で、初めて一つの「束」となった。




