第六章:黒き風、決意の刃
闇の宮殿、その最奥。
黒曜石の壁に囲まれた、窓のない一室。
アーク・バドルは、ひとり冷徹な静寂の中に座していた。
外では、蒼龍サウザーの目覚めを讃える悪神たちの狂乱が続いている。
だが、アークの耳に届くのは、その喧騒ではなく、胸の奥で鳴り止まない不快な鼓動だけだった。
「……均衡が、崩れたか」
彼の手元には、父サタンデュオスから下された、光の界への進軍命令が記された書状があった。
彼の中で渦巻く父への嫌悪、そしてこの閉じられた闇の世界への葛藤は、限界に達しようとしていた。
「俺は……こんな世界を望んだわけじゃない」
不意に口をついて出たその言葉は、誰にも届くことなく、闇に吸い込まれた。
その時、部屋の隅の影がゆらりと揺れ、一人の男が姿を現した。
「……焦るなと言ったはずだ、アーク」
ミュドルだった。
彼の瞳には、いつも通りの冷静さと、アークだけに見せるわずかな憂いが同居している。
彼はアークの手元にある書状を一瞥し、静かに首を振った。
「サウザーが目覚めた今、光の連中は風前の灯火だ。
……お前が何を考えているか、俺にはわかる」
「……わかっているなら、止めるな、ミュドル」
アークは立ち上がり、壁に掛けられた黒い剣を手に取った。
「俺は、マース・クレイオスの軍門に下る。……この腐った闇を切り裂くためなら、裏切り者と呼ばれても構わない」
アークの離反の決意。それは憧れというよりは、彼にとって唯一の「生きるための選択」だった。
ミュドルは動じなかった。ただ、アークの目をまっすぐに見つめ、小さく、けれど確かな覚悟を込めて微笑んだ。
「……そうか。なら、仕方ないな」
ミュドルは、アークを信じていた。
どんな選択をしたとしても、アークは最後まで己の信じた道を進むだろうと。
だからこそ、彼は親友として、そして監視役としての「最後の役割」を果たさねばならなかった。
「サタンデュオスの粛清命令が下った。……アーク、お前を狙う刺客たちが、すぐそこまで来ている」
ミュドルの言葉と同時に、部屋の扉が爆破され、瘴気を纏った悪神たちがなだれ込んできた。
「裏切り者アーク! その首、サタンデュオス様へ捧げる!」
アークが剣を構えた瞬間、ミュドルがその前に立ちはだかった。
ミュドルの体から、強烈な闇の力が溢れ出す。
それは、自身の生命力を爆発させる、禁忌の術だった。
「……ミュドル、お前……っ!」
アークが叫ぶ。
「ミュドル、離れろっ!」
ミュドルは振り返らなかった。
ただ、まっすぐに前を見据えたまま。
「俺は、お前を見てきた。
……お前が選んだ道だ、アーク。
……振り返るな」
彼は焦る刺客たちを巻き込み、自爆の術を発動させた。
「さよならだ、アーク。
お前が、自由になるなら、それでいい」
轟音と共に、光と闇が爆発し、宮殿の一角が崩れ落ちた。
爆風に吹き飛ばされながら、アークは見た。
炎に包まれながら、最期まで微笑んでいた、親友の姿を。
――その想いは、アークの胸に、深く刻み込まれることとなる。
崩れ落ちた瓦礫の中から、アークは這い上がった。
全身は傷つき、親友を失った喪失感に心は引き裂かれそうだった。
だが、その瞳には、かつてないほどの激しい「意志」の炎が灯っていた。
「……ミュドル。俺は……」
彼は、ミュドルの愛用していた髪留めの金属片を、瓦礫の中から拾い上げた。
焦げ跡の中にひとつだけ、無傷で残っていたその金属片を、握りしめる。
呟きは、誰にも届かない。けれどアークには、それで十分だった。
「……俺は、行く」
彼は父サタンデュオスの座す玉座を、一瞥もすることなく、宮殿を去った。
向かう先は、光の軍。マース・クレイオスのもとへ。
アークはもう、ただの「誰かの子」じゃない。
ミュドルの想いを、この剣に宿して戦う。
不穏にうねる風が、アークの背中を、光の方角へと押し出していた。




