外伝:ミュドルの策謀 ― 闇の宮殿の影にて ―
闇の界、黒曜石の回廊は、常に冷たい殺意に満ちていた。
サタンデュオスの玉座の影。そこが策士ミュドルの定位置だった。
「……ミュドルよ。アークの様子はどうだ」
サタンデュオスの低く濁った声が響く。彼は実の息子であるアークを、蒼龍サウザーを制御するための「肉の器」としてしか見ていなかった。
「順調です、我が主。彼の中に宿る『負の感情』を、私が日々、丁寧に煽っております」
ミュドルは恭しく頭を下げた。その表情には一点の曇りもなく、冷徹な忠臣そのものだった。
だが、彼の懐には、アークが密かに書き溜めていた「外の世界」への憧れを綴った紙片が隠されていた。
サタンデュオスの命令で没収したはずの、本来なら焼却すべき「禁忌」の証だ。
「……馬鹿な奴だ。こんなものを抱いていては、この闇では生きていけないというのに」
私室に戻ったミュドルは、その紙片を指先でなぞる。
アークは、サタンデュオスの期待する「冷酷な後継者」にはなりきれなかった。
その優しさが、この宮殿では致命的な弱点になる。
ミュドルは決意していた。
アークを闇の王になどさせない。
彼を、この窒息しそうな深淵から連れ出し、マース・クレイオスという「太陽」のもとへ送り届ける。
それが、幼い頃から共に育った唯一の友への、自分なりの愛だと。
そのためには、アークから「親友」として憎まれる必要があった。
ある日、ミュドルはアークの目の前で、彼が可愛がっていた迷い込みの小鳥を、わざと冷たく追い払った。
「アーク、そんな無益な慈悲は捨てろ。お前が王になるなら、心は石でなければならない」
アークの瞳に宿る、絶望と怒り。
その拳が、ミュドルの頬を強く打った。
「……お前まで、父上と同じことを言うのか! ミュドル!」
「ええ。私は主の忠実な影ですから」
ミュドルは口角に流れる血を拭い、冷ややかに笑った。
その内側で、心臓が悲鳴を上げているのを感じながら。
(それでいい、アーク。俺を憎め。俺を否定しろ。それが、お前が『人間』であり続ける唯一の証明だ)
夜、ミュドルは宮殿の地下、禁忌の書庫にいた。
自らの命を削り、一瞬で空間を焼き尽くす禁忌の術――。
それを使えば、術者は二度と元の姿を保てない。
彼はその術を、自分の魂に直接刻み込んだ。
「アーク……。お前が光の差す場所へ辿り着いた時、俺のことは忘れていい」
彼は窓のない闇の空を見上げ、独り言ちた。
「俺は、お前の物語の『悪役』でいい。……お前が、自由になるなら」
サウザーが目覚める前夜。
ミュドルはサタンデュオスの寝所に忍び込み、あえて「アークに反乱の兆しあり」という虚偽の報告を流した。
すべては、サタンデュオスの矛先をアークではなく、自分へと向けさせるため。
そして、混乱に乗じてアークを外へと突き出すための、命懸けの盤面。
アークを逃がすために自爆したあの瞬間。
ミュドルが最後に見たのは、自分を呼ぶアークの必死な顔だった。
(……ああ。やっぱりお前は、優しいままだな。
……行ってこい。俺の、たった一つの光)
白銀の炎に包まれながら、ミュドルは心の中で、誰にも聞かせることのない祝杯を挙げた。




