(62)バレッタ
ハッカライネンが指定してきた地点にあったのは、青く塗られたトタンで覆われた、農機具か何かを格納するガレージだった。くたびれたシャツにサンダル履きの、黒人と間違うほど日焼けした老齢の男が、古びたトラクターを整備していた。
レンレンがヴィーオにブラスターを突き付けたまま降りると、農家にしては鋭い眼光が向けられた。
「ボスのお使いか」
やや愛想に欠ける笑みを向け、乗っていた分厚いタイヤから降りると、男は銀色のベントレーのボディーをしげしげと眺めた。
「車は地下に閉じ込めておくもんじゃない。たまに走らせてやるべきなんだ。あいつに言っておけ」
そのひと言で、どうやらこの男はボスとそれなりの付き合いがあるらしい、とレンレン達も理解した。レンレンが知らない、古参の元フェンリル団員だろうか。男は無造作に工具を脇にどけると、指で「来い」と合図しながらガレージの奥に歩いていった。レンレンとリネットは、ヴィーオを両サイドから半ば拘束するかたちで後に続いた。
鉄骨がむき出しの、オイルの匂いがする空間の奥には、古びた木製のドアがあった。男が奇妙なリズムでノックすると、何やら不規則な機械音のあと、ドアの鍵が開けられる音がした。機械式のロックらしい。ドアが開いて顔を覗かせたのは、鮮やかな長いブロンドに濃いブラウンの瞳が印象的な、よく見覚えのある白衣の女性だった。
「ジェルメーヌ!」
予想外の人物に、レンレンは驚きの声をあげた。それは最後の接触以来、すっかりその存在を忘れていた、渡りの医師ジェルメーヌだった。白衣の下は、ガレージの老人と渡り合えるような、くたびれたシャツとデニムである。
「何ヶ月も会ってないわけでもないのに、ずいぶんな驚きようね」
「音沙汰がなかったんだ、この情勢下で驚くのも無理はないだろう。よく無事だったな」
レンレンは、招かれて入った部屋の中を見てウンザリしたような顔をした。専門的な医療機器の数々と、縦横無尽に走るケーブルに、デスクや壁を占拠する前時代的なモニター類。そこに表示されたものが、レンレンの食欲を五〇〇マイルほど後退させた。
「……相変わらず何をやってるんだ」
「ごめんなさいね、いま食事中だったの」
紙製のランチボックスを、女性にしては大きな手で叩きつぶすと、ジェルメーヌはヴィーオを含めた三人に椅子をすすめた。レンレンはヴィーオのみ座るように指示し、立ったままブラスターをこめかみに突き付けた。
「よくこんなものを見ながら食事ができるな」
レンレンは、モニターに映る人間の脳や神経のモデル画像に眉をひそめた。中には立体ビジョンの、本物の解剖写真もある。リネットが苦笑した。
「医者にとっては見慣れたものってこと?」
「否定はしないけど、サイコパスみたいに言われるのは心外ね。ところで、おしゃべりをしに来たわけじゃないでしょう?」
冗談めかした様子だが、ジェルメーヌの視線は、リネットとレンレンに挟まれて不愉快そうにしている、紫の瞳の青年に向けられていた。ヴィーオは、ジェルメーヌの目を睨んで訊ねた。
「何者だ」
「初対面の女性に、ずいぶんなご挨拶ね」
二人が睨み合うところへ、レンレンが割って入った。レンレンはジェルメーヌにだけ見えるように、ハッカライネンがメモの右下に走らせた意味不明の暗号文を示した。
「こいつの名はヴィーオ。フェンリル本部がこいつの一味に襲われたんたが、とりあえず、事態は収束の目処が立った」
「ただならない事態なのは察知してたけど、そういう事だったのね」
受け取ったメモに目を走らせると、ジェルメーヌの目がやや鋭さを帯びた。
「なるほど。どうやらこれは、大きな進展に繋がりそうね」
「どういう意味だ」
「以前預かった例の物体。外部の知己に依頼したあれの解析結果が、つい先日送られてきた」
ジェルメーヌは、手元にある折り畳み式の小型通信端末を、レンレン達には見えないように覗きこんだ。例の物体、と聞いてレンレンとリネットが思い当たる物は、たったひとつだった。
「何だったんだ」
「それの答え合わせをしろと、あなた達のボスが依頼してきたのよ。おそらくここにいる、解答を参考にしてね」
ジェルメーヌは一歩進み出ると、ヴィーオの紫の瞳を覗きこんだ。
「その眼にあるのは、コンタクト式の何らかの端末ね。網膜認証による管理端末かしら、私達が皮膚の下に埋め込んでいるような」
「どうしてそんな事がわかる」
「あら、当たりかしら。言ってみるものね」
「ふざけるな!」
一瞬だった。ヴィーオは、自身に突きつけられたブラスターを奪い取ると、ジェルメーヌに向けようとした。レンレンは疲労がたたって、ヴィーオに即座に反応できなかったのだ。
だがヴィーオの試みは、リネットの強烈な足蹴によって阻まれた。叩き落とされたブラスターを踵で弾き飛ばすと、リネットはヴィーオを後ろ手に締め上げ、ブラスターの銃口をきつく側頭部に押し付けた。
「おとなしくする事ね。あなたを射殺するなとは言われていない」
「野蛮人め」
「殺しに上品も野蛮もない」
元、そして本人に言わせれば現役軍人の、真実みを伴う威圧に一瞬、室内は沈黙に包まれた。ヴィーオは観念したとも言い難い苦々しい表情で、黙ってリネットに従った。ジェルメーヌは咄嗟のトラブルに動じるでもなく、黙々と端末に何かを入力し始めた。
「リネット、そのままこのヴィーオ君を拘束しておいてね」
言い終わるかどうかのうちに、ジェルメーヌの手元から閃光が走り、ヴィーオはまるでリネットが操るのをやめた人形のように、意識を失ってがくりと崩れ落ちてしまった。
ジェルメーヌの手には軍事用の非接触スタンガンが握られており、ヴィーオの瞳孔を確認すると、診察を終えた医師のように淡々と、手元の端末にデータを入力していった。
「ここの設備で確認できるデータには限りがあるけれど、仕方ない。取れるだけ、この坊やから情報をいただくとしましょう」
「ボスは一体、あんたに何を依頼してきたんだ、ジェルメーヌ」
レンレンの問いに、ジェルメーヌは忙しなく機材のセッティングをしながら答えた。
「例の『バレッタ』を施術された人間のサンプルを、じかに私の手でチェックすることよ。こんなタイミングでなければ、設備を用意する時間もあったのだけれど」
どうやらアンダルを通して、かなり踏み込んだレベルまでボスは事態を把握しているらしい、とレンレンは理解した。
「どうして、こいつに『バレッタ』が埋め込まれていると断定できる?」
「あなたはどうなの? もし埋め込まれていたなら、説明がつく事がいくつもあるのではなくて?」
レンレンは返答に窮した。本部ビルでの異様な苦戦は、確かに理解を超えたものだったからだ。そしてレンレンもリネットも、バレッタのような何かが介在している可能性を、一度ならず考えた。
「この隠れ家も、ボスが用意したのか」
「ええ。ちょっと、これ持ってて。重いわよ」
ジェルメーヌは細いチューブの束が収められた透明なパイプを、レンレンに押し付けた。レンレンがしぶしぶ受け取ると、キャスターがついた大きな台を押しながら訊ねる。
「あの赤毛の坊やは? エリコ・シュレーディンガー」
わざわざフルネームでエリコの所在を問われると、レンレンもリネットも、渋い表情を向ける。ジェルメーヌは一瞬不安そうな表情を見せた。
「別行動、というわけではなさそうね」
「ある意味では別行動だ。確証はないが」
レンレンは、寝ぐらにしている廃デパートで起きたエリコの消失とそれ以降の全てを、作業を手伝いながら伝えた。ジェルメーヌは怪訝そうに首を傾げながら、どうやら最後の仕上げらしい四角いコネクターを四角いボックスに接続し、「よし」と肩で息をついた。
「信じ難い話ではあるわね」
「事実だ。信じ難かろうと、理解してもらうほかない」
「人間が消失する、か。なるほど」
いかにも興味深げではあるが、ジェルメーヌは目の前の作業に集中しているようだった。レンレンとリネットも、エリコが消えたことは事実だが、どうしてもエリコが死んだ、という感覚を持てないことが不思議だった。
そして、それを裏付けるかのように、時おり聞こえる謎の『声』についても、無視することはできなかった。
「あの声は、エリコが私達に指示を飛ばしてくる時の感覚と似ている。いえ、腹の立ち具合は同じね」
「同感だ」
「つまりこういうこと? エリコは消えたけれど生きていて、何らかの手段であなた達に、遠隔通信を送ってきている、と?」
あらためて言われると、リネット達は首をかしげた。何らかの手段、とは何なのか。エリコは通信端末を持っているはずだし、もし生きていて、回線が通じる場所にいるのであれば、そっちを使って連絡してくるはずだ、とレンレンも考えた。
「あいつが意味不明なのは会った時から変わらない。どうせマイペースなエリコのことだ、こっちに難題を押し付けておいて、状況が落ち着いた頃にひょっこり現れるんじゃないのか」
行方不明の身でずいぶんな言われようだ、とジェルメーヌは苦笑しながら、無骨なパイプと連結器具でできた即席の診療台に、上着を脱がしたヴィーオをうつ伏せに寝かせると、手足と首を容赦なくバンドで拘束してしまった。
「ちょっとごめんなさいね」
およそ罪悪感のかけらも感じられない謝意を口にしながら、ジェルメーヌはヴィーオの左上腕に、鮮やかな手並みで細い注射を打った。それが即効性の全身麻酔であることを知っているリネットは、さすがに寝かされた青年にわずかに憐れみを覚えた。
「何をする気なの」
「本当は後頭部を切開したいところだけど」
「冗談に聞こえないわね」
眉をひそめるリネットに、ジェルメーヌは無言で応えた。ジェルメーヌの隣には以前レンレンも目にした、医師のサポートロボットの通称『ヤドリギ』が控えており、テナガザルのように伸びたアームの先端には、厚い扇といった形状の器具が取り付けられていた。
「脈拍は」
「正常です」
「オーケー、被検体の頭頂部から脊髄末端までの、立体スキャンデータを取ってちょうだい」
「了解しました」
ヤドリギは流暢な電子音声で答えると、百年前から進歩がない洗車機のような動きで、ヴィーオの頭の天辺から背筋に向かって、生体組織の立体データをスキャンしていった。レンレンの目の前にあるディスプレイに、神経の一本にまで至るのではないか、というほど精巧なスキャンデータが逐次表示されてゆく。そして、スキャンが始まった最初の段階で、後頭部に異様なものが確認された事が、医療の素人であるレンレンにもわかった。
ヴィーオの頭蓋後部、首の付け根からすぐの所に、レンレンには既視感のあるその物体が、立体映像となって現れた。
「『バレッタ』だ!」
「やはりね」
「ボスは知ってたってことか」
厚みにして平均一・五ミリと測定されたその物体は、以前に死刑囚ジェームズ・ベケットの後頭部から摘出された『バレッタ』の断片と、間違いなく部分的に一致した。そして見逃せないのは、バレッタから脳神経や脊髄に広がる、網状の構造体だった。
ジェルメーヌはスキャン作業をヤドリギに任せ、表示された立体映像を、角度を何度も変えて目視で観察していった。
「早急に結論は出せないけど、例のベケットという死刑囚の死体を診た時の、推論を裏付けるものね」
指先で映像の脳幹網様体、小脳を示すと、ジェルメーヌの目が険しいものに変わった。
「見て。脳幹の赤核、橋といった部位や、小脳の神経に、バレッタは繋がっている。随意運動や、自律機能を司る機能に干渉しているとみて間違いないわね」
「つまりどういうことだ」
医師の知識に追いつけない素人二名は、わかるように説明してくれ、と視線で要求した。ジェルメーヌはカルテを手にした開業医よろしく答える。
「この装置は装着者の運動神経そのものに、直接作用するものと見て間違いない」
「つまり、このバレッタに身体を乗っ取られるということ? 高度な戦闘能力はそこから来ていたと?」
悍ましい推論にわざとらしく肩をすくめるリネットだが、ジェルメーヌは腕組みして首をかしげた。
「このヴィーオという青年は、少なくとも自我は保っているようだったし、レンレンに対する反撃行動とリネットにすぐ拘束された事を見ても、それほど高度な反射神経を有しているとは思えない」
「だが、あたし達がフェンリル本部ビルで戦った連中は、明らかにプロと匹敵するか、それ以上の能力だったぞ。歴戦のフェンリル団員たちを、僅かな戦力で翻弄してみせたんだ」
殺された団員たちを思い起こしたレンレンが、僅かに憤りを見せてデスクの端を叩いた。
「こんな不気味なものが埋め込まれている事が、それと無関係な筈はない」
「もちろんよ。あなた達が苦戦したという事実が、この装置に起因する事は間違いない。けれど……」
まだ何か釈然としないジェルメーヌに、リネットが訊ねた。
「つまりこういうこと? この装置は、何らかの条件下でのみ機能する、と」
「あっ」
リネットの一言でジェルメーヌは不意に、レンレンがハッカライネンから預かってきたメモに目を走らせ、「これだ」と紙を指で叩いた。
「あなた達のボスからの情報よ。このヴィーオ達は、『クイーン』と呼ばれる何者かと、逐次通信を繋いでいたらしいわ」
「『クイーン』?」
「そんなこと、ボスは言ってなかったぞ」
リネットとレンレンは、目線を合わせて首をかしげた。そんな重要な情報を、なぜ暗号にしてジェルメーヌにのみ伝えたのか。ジェルメーヌの答えは明解だった。
「彼は食わせものよ。もしその情報が重大であったなら、それをあなた達はここまで来る途中、ヴィーオに詰問したかも知れない。そうなると、ヴィーオがどんな行動に出たかわからない」
「護送を安全に行うためか。アンダルといい、人間は歳くうと老獪になるのか」
まだ一五の少年の素直すぎる感想に、ジェルメーヌは酸味を含む笑みを浮かべた。
「まあそれはボスに直接言ってあげてちょうだい。問題は、その『クイーン』が何者か、ということだけど」
「普通に考えるなら、そいつがこいつらの司令塔というのが自然だが。クイーンというからには、女なのか」
「そのへんは医師であり科学者の私には、何とも言えないわね。ただ、科学者視点で言わせてもらうと、それは必ずしも、人間である必要はない」
どういう意味だ、とレンレンが訊ねると、ジェルメーヌは精密スキャンをヤドリギに任せ、安っぽいスチールの椅子に腰をおろして語り始めた。




