(61)二〇世紀の地上車
『声』の主が何者なのか、もう薄々リネットもレンレンも勘付いている、というより確信しているのだが、今この状況下でそれについて考察する余裕など、二人にはない。
だが、駆け足でフェンリル本部ビル最上階に上がり、人影が見えたら即座にトリガーを引くつもりで通路に飛び出したリネットは、予想外の光景に呆気に取られて立ち止まった。
「うわっ!」
急に止まったリネットの背中に、レンレンは激突してしまう。
「痛いな! 何してんだ!」
「レンレン、もう銃は必要なさそうよ」
「なに?」
ふいに銃口を下ろしたリネットを訝りつつ、レンレンは通路の様子をうかがった。そこにいたのは、武器を床に置いて両手を上げた、紫のラインが走る黒い制服の男女だった。
「どういうつもりだ」
レンレンは銃口を向けたまま、声に怒気を込めて前進した。
「どういうつもりだと訊いているんだ!」
レーザーライフルの銃口を顎の下に押し付けられた、天然パーマの若い黒人女性は、まるで先生に叱られた児童のように声を震わせた。
「降伏しろと」
「降伏だと!?」
「リーダーが」
その、自分の意思を放棄したような力のない眼に、レンレンは憐れみとも侮蔑とも思える一瞥をくれると、襟首を掴んで壁に押し付けた。
「これだけの事をしておいて、降伏すれば自分たちは助かると思っているのか! フェンリル団員や、お前達の仲間の無数の死体を踏みつけにして!」
「レンレン、憤りは理解するが、今はそのくらいにしておけ」
半開きの執務室のドアから聴こえた声に、レンレンはわずかに安堵して、その手を下ろした。それは、フェンリル首領のハッカライネンの声だった。
「時間がない。レンレン、そしてリネット・アンドルー女史もそこにいるかね? 入ってきたまえ、銃はおろしてな」
レンレン達が執務室に入ると、目に入ったのはレンレンにとってはおなじみの、デスクに片手をついて窓の外を眺めるハッカライネンの姿と、まるで親衛隊のようにその左右に控える、黒い制服の男女だった。
「よく戦ってくれた。君たちのおかげだ」
「ご無事で何よりと言いたいですが、状況を説明してください」
遠慮会釈なしに訊ねるレンレンに、ハッカライネンは声をあげて笑った。
「君らしいな。組織のトップに向かって、まず挨拶の前に説明を求めるとは」
「時間がないと仰ったのはボスです」
「銃は下ろせ、とも言ったよ」
たしなめるようにハッカライネンは、レンレンがヴィーオに向けたレーザーライフルを睨んだ。レンレンは、銃口のかわりに鋭い視線を投げる。
「貴様がこいつらのリーダーか。名前は」
「彼の名はヴィーオ。いま、私に降伏を約束してくれた」
「降伏!? 今さら、命惜しさにか!」
今にも撃ち殺さんとばかりに凄むレンレンの、獣のような金色の眼を見たとたん、ヴィーオは突然狼狽して、後方に逃げるように退いた。
「うわああ、そっ、その眼……!」
チェストに背を打つと、載っていた写真立てやコインの入ったタンブラーが倒れ、床に金銀のコインが散乱してけたたましい音を立てた。レンレンとリネットは、そのヴィーオの様子に毒気を抜かれてしまう。
「……なんだ、いったい。この眼がどうした」
「レンレン、話はあとだ。お疲れのところ申し訳ないが、君たち二人には、今すぐ頼みたいことがある」
ハッカライネンはデスクからひとつの古びたキーを取り出すと、レンレンに投げて寄越した。レンレンが慌ててキャッチすると、それは翼をあしらった『B』のエンブレムがついた、クラシックカーのキーのようだった。
「地下の、本来は私が隠れるためだったシェルターに秘匿してある、クラシックカーのキーだ。あらかたのビークルの類は破壊されてしまったのでね、今動かせるクルマはそれだけだ」
「エンジン式の旧車は運転経験がありません」
「君はどうだね?」
ちらりと視線を投げられたリネットは、物珍しそうにレンレンからキーを受け取った。
「二〇八六年式の軍用車なら」
「電子制御システムの調達が難しくなり、原始的な仕様に回帰せざるを得なかった時代の車輌だね。同じような仕組みだろう」
「我々が乗ってきたホバーバイクなら、少し離れた所に置いてありますが」
「さっき言った通りだ、時間がない」
ハッカライネンが繰り返すと、リネットは黙って頷いた。
「どこに向かえば良いのでしょうか」
軍隊形式の直立で質問されたハッカライネンは、壁にへばりつくように怯えるヴィーオを見やって、手短に答えた。
「レンレン」
ハッカライネンはレンレンに折りたたんだメモを差し出すと、手短に言った。
「このヴィーオを連れてメモに記した場所に向かい、『彼女』に会って指示に従え」
「彼女?」
「行けばわかる。だが、急いでも猶予はないかも知れない。『ダメもと』というやつさ」
メモを渡すと、ハッカライネンはデスクのマイクを手に取り、館内放送の旧式トグルスイッチをオンにした。
「館内のフェンリル団員へ、こちらはハッカライネンだ。戦闘は終結した。私の無策のために君たちに多大な犠牲を強いてしまった事を、まず詫びる」
そのへりくだったひと言に、傍らのヴィーオたちは心の底から驚いているようだった。ハッカライネンは、沈痛な面持ちで言った。
「私の罪は万死に値するだろう。したがって、この身柄の処遇は君たちに任せる。私を無能の首領として糾弾するなら、弁解もしないし、撃ち殺してくれて構わない。だがその前に、まず戦闘の犠牲者への追悼と埋葬、そして諸々の後片付けや引き継ぎは、最低限の責任としてさせて欲しい。ともかく、幹部候補クラス以上の者がいたら数名、執務室まで足労願いたい」
マイクのスイッチを切ろうとして、ハッカライネンは付け加えた。
「レンレンとリネットが、一人の人間を連れて下に降りる。そのまま通してやってくれ」
古いマイクアンプが切れる音がして、わずかに執務室には沈黙が戻った。ハッカライネンは、ふたたび血がにじみ始めた腕を押さえ、デスクにつく。
「頼んだよ、レンレン、リネット。車の中にある物は君たちの自由にしてくれ。それと……まあ可能であればだが、車には傷をつけないように頼む」
すでにリネットもフェンリル団員であるかのように、ハッカライネンは微笑んだ。レンレンはメモの内容を確認すると、ヴィーオに鋭い視線を向け、吐き捨てるように命じた。
「来い」
◇
フェンリル本部地下の『13』と記されたガレージのゲートは、ハッカライネンのメモに記されたパスコードでなくては開けられない仕様になっていた。そこに鎮座していたのは丸いヘッドライトがいかにも古風な、シルバーの一九六四年式ベントレー・S1コンチネンタルだった。
「走るのか、本当に」
ヴィーオの背中にブラスターを突き付けながら、レンレンは訝った。なにしろ百四十四年前のガソリン車である。だが、どれほど金をかけて整備していたのか、丸みをおびたボディはまるで新車のような輝きを放っていた。
「急ぐわよ。レンレン、ガイドとヴィーオの拘束をお願い」
リネットが迷う事なく運転席についてキーを回すと、前々世紀のエンジンが重々しい音を立てて始動した。レンレンに促されて後部左にヴィーオが座ると、銃口を突きつけたままレンレンが乗り込んで、頑丈なドアが閉じられた。
「OKだ、リネット。ビルを出たら、まず北東へ道なりに進んでくれ」
「了解」
シルバーのベントレーは、百四十四年という月日が嘘のように静かに、優雅に地上へと姿を現した。その乗り心地は、無造作に宙に浮くホバービークルなどとは比べ物にならないほど上質だったが、あいにく曇天の空模様のせいで、磨かれたボディーが陽光を煌めかせる事はできなかった。
「多趣味なうちのボスらしいな。本来は自分が助かるために用意されたはずのシェルターに、愛車を秘匿しておくとは」
レンレンは、見たこともないような木目の豪奢な内装を指でなぞり、苦笑しつつヴィーオを見やった。
「さっきからビクついて黙ったままじゃないか。わずかな戦力で、私達を翻弄してくれたチームのリーダーとも思えないな」
皮肉たっぷりなその言葉の裏に張り詰めた怒気は、いまにも銃口から弾けそうだった。リネットは、いつレンレンのタガが外れるかと一抹の不安を拭えなかったが、当人はさいわい、それを抑える理性を備えていた。
「さっき、私の眼を見て尋常でない驚きぶりを見せたな。この眼がそんなに珍しいか」
そう言われたヴィーオは無言のままで、反応したのはリネットの方だった。
「そういえばレンレン、あなたの瞳の色ってエリコとそっくりの黄色よね。金色、といった方がいいかしら」
「え?」
「稀に黄色っぽい虹彩を持つ人もいるけど、そういうのとは違う。もっと強い、琥珀に光を当てたような。初めてエリコを見た時も、驚いたのを覚えているわ」
そう言われてレンレンも、子供の頃に瞳の色が違うことを、滅亡したジャパン人の子供たちにからかわれた事を思い出した。そして、ある人物のことを思い出したとき、レンレンは背筋に薄ら寒いものを感じて、ヴィーオの首に銃口を押し当てた。
「レンレン!」
リネットは危険を感じてたしなめたが、レンレンに殺意がない事はわかった。だが、レンレンはトリガーを引く代わりに、詰問するように凄んだ。
「あの女もそうだ……ヴィジャヤラクシュミ、彼女も金色の瞳だった」
レンレンは、ヴィーオを向いたままリネットに視線を向けた。
「リネット、あんたが会ったクリシュナという男の瞳の色は覚えているか」
「えっ」
そう言われて、ふと過去の光景を思い出したリネットは、革張りのハンドルに汗がにじむのを感じた。
「金色じゃなかったか」
「……あの時は、夕焼けで周囲も真っ黄色だったから……」
リネットは、沈もうとする西日に照らされた黄金の海面に浮かぶ、奇妙な円形の飛行物体に直立したクリシュナの姿を思い起こしていた。その瞳は、夕焼けの中でも見紛う事はないほど、煌めく金色だった。レンレンは答えを聞かずとも、すでに何かに気付き始めていた。
「何を知っている、ヴィーオ。私達の、この金色の瞳に、何かあるというのか? なぜお前は、私の瞳を見て、あれほど怯えた?」
それは質問というより、確認に近い問いだった。レンレンもリネットも、これまで特に気にも留めなかった要素が、なにか極めて重大な真実を示しているかも知れないのだ。
だが、ふたりの思考は唐突に聞こえてきた、あの『声』によって遮られた。
「レンレン、聞こえたわね」
「ああ」
「どっちに行けばいい?」
「この先の右手に、中古モービルのジャンク屋がある。その手前の路地に入ってくれ」
指示どおり、リネットは二世紀前の地上車をわずかに加速させた。どうやって調達したのかわからない真新しいラバーのタイヤが、荒れた舗装を蹴って砂埃が舞う。
例によって聞こえた『声』の主は、こう告げていた。「SPF陸軍が市内で警戒を強めている。できる限り裏路地を抜けろ」と。
「この路地を道なりに進めば、ボスが指示した場所の近くまで抜けられる。ただし狭いし、住民が出て来るかも知れないから気をつけてくれ」
ほとんど山道のような砂利と草の路面を、リネットは歩兵時代を思い出しながら進んだ。両サイドにひしめくバラックから、住民たちが時折顔を見せては、古めかしいガソリン車に奇異の目を向けた。
やがて民家が途絶え、酸性雨で荒れた草木だけの道に入ったころ、ひと言も発さなかったヴィーオが震える口を開いた。
「……お前たちは、自分が何者か考えた事があるのか」
ヴィーオの紫の視線が、レンレンの金色の瞳と交差した。レンレンは無言でブラスターを向けていた。
「生まれながらに力を持った存在……僕たち、普通の人間とは違う」
「口を開いたと思ったら、自分への愚痴か」
憐れみとも、嘲笑ともとれるため息を小さくつくと、レンレンは訊ねた。
「クリシュナとかいう、薄気味悪い奴が言っていた。あたし達は『方舟』と呼ばれる存在だと。お前が言っているのは、それに関する事か」
レンレンは、ミラーに映る自分の瞳を見た。それは、エリコと同じ金色の瞳だった。
「つまり、『方舟』と呼ばれる存在は、共通してこの金色の瞳を持っている、そういうことか」
「……詳しくは知らない……その本当の意味までは……僕たちは、何も知らない……指示された事を実行しただけだ」
「つまり、お前たちを仕向けた奴らの操り人形だ、とでもいうつもりか? それで罪から逃れられると? では訊くが、お前たちを仕切っている奴というのは、何者だ?」
レンレンの質問は、重要な問いを含んでいた。ヴィーオたちに指令を飛ばしている何者かは、エリコやレンレンのような『方舟』の存在を知っている、という事に他ならないからだ。
「いま答えておいた方が、あとあと楽だと思うがな。こっちはお前たちを拷問する事だってできるんだ」
「無駄だ」
ヴィーオは、吐き捨てるように答えた。
「僕たちを拷問にかけたって、重要な答えが得られるとは思わないことだ……」
その、何かに怯えるようなヴィーオの表情に、レンレンは微かに既視感のような何かを覚えた。まるで生気のない、死人のような顔色。死人。レンレンは何かを確信し、銃口をわずかに下げた。
「あの、タラカン島で行き倒れになっていた、元死刑囚。奴もお前達の仲間だな」
「元死刑囚?」
それを聞いたヴィーオは微かに、嘲るような笑みを浮かべた。
「そんな奴、知るものか」
「いいや、関係ない筈がない。なぜならお前の首の後ろにも、奴と同じあの器具が埋め込まれているからだ。そうだろう?」
唐突な指摘に、ヴィーオは忌々しげな鋭い視線を投げ返した。
「どこまで知っている」
「あのバレッタのような、気味の悪い埋め込み装置についてか? 知っているのは、何もわからないという事だけだ。だから今ここで訊くぞ。あれはいったい何なんだ」
「知らないのなら黙っていろ」
「うっかり秘密を洩らそうとすれば、証拠隠滅のために爆発するからか? あの、行き倒れの死刑囚のように」
ヴィーオが押し黙ったのと入れ替わりに、リネットがミラーごしに訊ねた。
「レンレン、丁字路に突き当たるわ。川が見える」
「よし、左に曲がってくれ。川沿いに少し進むと――」
言いかけて、全員が絶句した。なぜなら、丁字路の右方向から、陸軍仕様のホバービークルがこちらに進入してきたからだ。
「レンレン!」
「わかってるよ!」
迷彩仕様のビークルがリネットのクラシックカーの手前で停止すると、上部ハッチが開いて迷彩の軍服を着た兵士が現れた。
「ご苦労さまです!」
兵士は、リネット達に向かって直立して敬礼した。その様子を見てヴィーオが一瞬、何事かと困惑の表情を浮かべた。
「小官はこのエリアの警戒を命じられた、スーティル少尉でありますが…」
「ご苦労。我々は、例のフェンリル本部ビル一帯の調査から帰投するところだ。この路地も帰投ついでに調べておいた、異常なしだ」
まるで陸軍の大佐か何かのように振る舞うレンレンだったが、これはレンレンが超能力で陸軍兵士に自分たちを、軍用車輌に搭乗した上官に見せかけているのだった。相手にはレンレンが、大佐の階級章を付けた大柄な中年に見えているはずだった。
「フェンリル本部に不審な動きは見られない。われわれを襲った一団は、彼らとは無関係らしい。なにかと面倒な奴らだ、これ以上刺激して事態をややこしくしない方が賢明だろう。そのように本部に連絡せよ」
「了解しました!」
海軍とはまた違った緊張感をともなう敬礼ののち、スーティル少尉が搭乗するホバービークルは、川沿いのコンクリート舗装道路を右手方向に消えていった。どうにか誤魔化せたことに安堵して、レンレンとリネットは大きく息を吐いた。
「どうなるかと思ったわ」
「急ごう」
レンレンに促され、リネットは再び銀色のエンジン車を発進させた。レンレンは疲労した状態で超能力を使ったためか、ヴィーオに向けたブラスターを握る腕が、わずかに震えるのを感じていた。




