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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第五部
60/61

(60)交換条件

 このとき、フェンリル本部ビルを占拠した集団の残存勢力約七〇名に対して、突入したフェンリル団員は三〇〇名あまり。少なくとも人員の戦力差だけでいえば、フェンリル側に圧倒的に利があった。

 だが占拠した集団は、またしても信じられないほど卓越した戦闘能力を発揮してみせた。レンレンとリネットが侵攻したルートとは反対側の階段から、わずか五名の男女が下階に降りると、即座に二手に散開する。マルシャが指揮する先頭集団が四階に到達したとき、彼らの視界に一瞬、紫のラインが走る制服の青年が見えた。

「敵は少ない、一気に蹴散らしましょう!」

 気のはやる若い団員が突出すると、マルシャは後方から叫ぶ。

「落ち着け! 情報によれば、奴らはベテランのゲリラ並みの工作能力を持っている。先に侵入した奴らが、容易く全滅させられたのを見ただろう!」

「なおさらです! あいつらの仇を討ってやりますよ!」

 一人、また一人と、アサルトレーザーライフルを構えて通路の奥へ突入する、若い団員たち。それを止めることは、マルシャにはできなかった。だが、その口火を切るような突撃は、一瞬にして出鼻をくじかれることとなる。

「待て、全員伏せろ!」

 マルシャは、ほとんど野性のカンでそう叫んだ。マルシャに続く団員たちは、咄嗟の判断を信じてそれに従ったが、先行した五人は通路に走った閃光とともに、何かに首や胸を撃ち抜かれてその場に斃れてしまう。

 それは、投擲型の超小型機雷だった。建造物を破壊するには至らないが、生物を殺傷するには十分な出力のレーザーを、半径一五メートル程度の範囲に放つことができる。すでに通路上に仕掛けてあったものに誘導されたのだ。

「後ろだ!」

 マルシャの判断は正確だったが、レーザー機雷で一瞬足止めをくらった状態から、全員が振り向いて態勢を整えるには、時間がなさすぎた。死角から四名の敵が現れ、高出力のライフルが斉射された。

「うわぁ――!」

 その若い男女の射撃は気味が悪くなるほど正確で、一瞬のうちにマルシャの背後にいた三〇名ほどの団員は、頭や首を撃ち抜かれてしまう。かろうじてマルシャと数名は難を逃れたものの、反撃しようとした時には、すでに敵は姿をくらましていた。

「プロの兵士並みの相手だ! 甘く見るな!」

 マルシャは無線を通じて、下階から押し寄せる味方に叫んだ。

「この狭い空間では、俺たちの頭数の利点はむしろ不利にはたらく! 隊をふたつに分けて、二箇所の階段から敵を挟撃しろ! まずは、レンレンに合流するんだ!」

 指示を飛ばしたあとで、マルシャは手近な団員に告げた。

「俺はエレベーターに向かう。合流したらレンレンとともに行動しろ。任せたぞ」

「自殺行為です! ドアが開いたとたん蜂の巣だ!」

「俺たちは毎日が自殺行為だろ?」

 そう笑うと、マルシャはアサルトライフルを背にかけた。

「ロナルド、指揮は任せた」

 腕を伸ばして大柄な白人系の若い団員の肩を叩くと、小型の実弾式サブマシンガンを手にして、マルシャは勝手知ったる本部ビルの奥へと消えていった。ロナルドと呼ばれた団員は、無言で小さく敬礼した。



 下の階の戦闘が激しくなると、最上階のハッカライネンが拘束された執務室にも緊張が走る。ヴィーオは、眉間にわずかにしわを寄せつつ、携帯端末を睨んでいた。

「おおむね計画どおりだが、わずかに狂いが生じた。指示に従い、あの二人を真っ先に始末しろ」

 無線に指示を飛ばすと、返ってきたのは「了解」というだけの無機質な返事だった。ヴィーオは、軽蔑するような目をハッカライネンに向けた。

「この状況で突入してくるとは、信じられない奴らだな。自分たちの首領が死んでも構わない、ということか。お前はそれでいいのか?」

「まあ、助かるならそれに越した事はないがね。私だって命は惜しい。せめてまだ手をつけてない、79年もののワインの栓を開けてから死にたいところだ」

 悪びれもなく、ハッカライネンはそう言った。

「後ろのキャビネットの下段、右端のドアの中に仕舞ってある。君たちもよければ、これからテイスティングと洒落こまないかね。未成年というなら飲ませるわけにはいかないが」

「軽口を叩いていられるのも今だけだ。いま、勇んで突入してきた三〇〇名あまりのお前達の団員は、全員死ぬことになる」

「ほう」

「どのみち、お前の運命は決まっているから教えてやろう。お前が言った通りだ。我々にとって、フェンリルなどという海賊はどうでもいい。黒旗海賊どもが敗退したのは想定外だが、もともとこの海域を我々が掌握する必然性はない」

 ヴィーオは窓を開けると、鈍色の空を睨んだ。

「だが、光栄に思うことだ。決してお前達の死は、無駄というわけではない」

「知っているさ。我々は生きた学習データなのだろう?」

 その指摘に、ヴィーオは鋭い視線を返した。だが、ハッカライネンの年季の入った眼差しが、それを弾き返す。

「八〇年以上前、第三次世界戦争が起きる直前、人工知能が異常に普及した時代があった。当時のコンピューター企業は、学習データを獲得するのに躍起になった。だが、人工知能開発を推し進めれば進めるほど、彼らはその限界を悟ることになる。なぜなら、学習できるデータの絶対量そのものが、有限だったからだ」

 ハッカライネンの言葉に、ヴィーオは無言だった。後ろに控える男女の団員たちは、どこか神妙な顔つきで耳を傾けた。

「『生成AI』という技術が異常に発達したのもこの頃だ。だが実際のところ、生成というよりも既存のデータの高度なコラージュ、組み合わせにすぎなかったその技術は、学習データの陳腐化とともに、政治思想や宗教、あるいは単にエネルギー企業の食い物にされ、第三次世界戦争とともに事実上消えていった」

「何が言いたい」

「ヴィーオ、君たちの背後にあるのは、ある種の『人工知能』のような何かではないのか? 君たちはその人工知能のバックアップを常に受けている。それが、君たちの持つ卓越した戦闘能力の秘密だ」

「お前たちのコンピューター内のデータはすでに調べた。そんな分析データはどこにもない。お前達は何も掴んではいないだろう」

「データが常にコンピューターの中にのみ存在する、と思っているのかね? そうではないと知っているからこそ、こんな大規模な騒乱を、君たちの『ブレイン』は起こさせたんだ。それが、君たちの言う『クイーン』の正体だ」

 その推理が正鵠を射ていたのかどうか、ヴィーオの硬い表情から読み取る事はできなかった。ハッカライネンは椅子に後ろ手を拘束されたまま、自信に満ちた態度を崩す事はなかった。

 だが、さらに話を続けようとしたハッカライネンの言葉は、通路から聴こえた爆発音と振動によって遮られた。

「なんだ!?」

 ヴィーオが手近な団員に目で指示を送ると、即座に二名が確認に向かう。爆発音のあと、立て続けにいくつものレーザー発射音が響いたのち、最上階にはすぐに沈黙が戻った。

「どうした」

 通路に自ら出たヴィーオは、ライフルを手にした、まだ十代とおぼしき少年団員からの報告を受けると、皮肉をたたえた目でハッカライネンの前に戻って言った。

「お前の愚かな部下が、小型爆弾を手にしてエレベーターから最上階への突入を試みた。最も警戒が強いであろうことを、知らぬわけでもあるまいにな。お前は、その勇敢な部下と一緒に葬ってやるとしよう」

 嘲笑というには無感情にすぎるヴィーオに対して、ハッカライネンは鋭く、重い視線を向けた。

「マルシャだな」

「なに?」

「そんな無茶をするのは、マルシャだろう。不甲斐ない私のために、彼は生命を落としたのだ。私の責任だ。いや、ここで死んだ全ての仲間に、私は責任がある」

 ふいに落涙したハッカライネンに、ヴィーオはほとんど嫌悪に近い眼差しを向けた。

「誰が死のうと、知ったことか。まして、死ぬとわかっていて突入してくるような愚か者など」

「本当に無駄だと思っているのか?」

「なに?」

「君たちにはわかるまい。人間の生命など、数字としか認識できない君たちには」

 それは、何気ないひと言だったかも知れない。だが、そのひと言がヴィーオの中にある何かに、それまでとは比較にならない刺激を与えたらしかった。ヴィーオは猛然とデスクに身を乗り出すと、ハッカライネンの襟首を掴んで、鬼気迫る目を向けた。

「海賊に何がわかる! 俺たちの!」

 そのとき、ヴィーオは突然首の後ろを押さえ、まるで脚がつったように顔を痛みに歪め、後ろに仰け反った。

「ぐあああー! もっ、申し訳ありません!」

 額に脂汗をにじませ、ヴィーオは這いつくばるように、何かに向けて謝罪してみせた。これまで保ってきた自らの威厳などかなぐり捨てるかのような焦燥ぶりに、ハッカライネンの哀れむような視線が向けられた。

「なるほど。君たちは感情の発露を許されてはいないのだな。それがどのようなシステムなのかはわからないが」

「……だまれ」

「君たちは被害者なのだ。あの、異常才覚者矯正法の」

 唐突に持ち出されたその法律に、ヴィーオや後ろの男女は一瞬表情を強張らせ、かたく口を結んだ。

「私の推理は間違っているかな? 君たちの中には、あの悍ましい施設に収容されていた若者たちがいるのではないか、と私は考えている。そう考えると、いま私の手元に集まっているバラバラな情報が、線で結ばれる」

「だから何だ。仮にお前が真実の一端に到達したところで、それを役立てる機会は永遠に巡っては来ない。どうせお前は形骸化した、名前ばかりの海賊団の首領として、利用される人生を送る事になるんだ」

「果たしてそうかな? 君たちの『クイーン』とやらは、物事が思い通りにはいかない事もある、と教えてはくれなかったのか?」

「ああ。今のところ我々の計画は、多少脇にそれたが、目的の道を辿っている」

「そうかな? 私のカンだが、そろそろ『番狂わせ』が起きる頃合いだと思うがね」

 ハッカライネンの目に、それまでになかった不気味な光が宿るのをヴィーオは見た。それは、ヴィーオの理性を戦慄させる何かを含んだ、野性動物のような鋭い生命力の光だった。

 まるでそれを裏付けるかのように、ヴィーオの通信端末が鳴った。

「僕だ。終わったか」

 すでに下階の侵入者たちは一掃されただろう、と思っていたヴィーオは、無線の報告に目を瞠って叫んだ。

「ばかな!」

「冗談なんかじゃない! 奴ら、殺されても突っ込んで来る!」

「そっ、そんな……」

「どうすればいい、ヴィーオ!? クイーンは何も言ってくれない! お前が訊ねてくれ!」

 無線の向こうの青年の声は、完全に正気を失って、狼狽の極みにあった。報告によると、下階のフェンリル団員は、撃たれても爆弾を投げ込まれても、死んだ仲間を踏み越えて攻め入ってくるのだという。それは完全に常軌を逸した行動であり、しかし防衛を突破された事も事実だった。

「クイーンに訊ねてくれ! クイーンは何と言ってる!? うわあー!」

 その断末魔を最後に、無線の声は途絶えた。ヴィーオは脚が震えているのに自分で気付いていない様子で、天を仰ぐように立ちつくした。

「……なぜだ」

 そこにあるのは、まるで迷子になった児童のようなヴィーオの姿だった。

「なぜ、応えてくれない!? クイーン!」

 リーダーの立場にあるように見えたヴィーオがそのように慌てふためくさまを見て、周囲の部下たちもいよいよ不安の色が隠せなくなる。そんな空気の執務室のなかで、後ろ手を拘束されながらも、超然と鋭い眼光をヴィーオに向ける者がいた。

「ヴィーオ。君にはもう、三つしか選択肢は残されていない」

 ハッカライネンの言葉に、執務室は水を打ったように静まりかえった。

「……どういう意味だ」

「よく聞くんだ。君たちの選択肢のひとつは、このまま答えを待ちわびながら、突入してくる私の部下に撃ち殺される運命だ。そしてもうひとつは」

 ハッカライネンの眼光に、ヴィーオの方が拘束されているように見えた。ハッカライネンは、ひとつ沈黙をはさんで静かに言った。

「もうひとつは君たちが、自分で考えて、選択する道だ」

「……なんだって」

「言ったとおりだ。君たちが、『クイーン』とやらに頼らず、自分で価値観を定めて、自分の選択に従って行動するんだ。私を人質に取るという行動を継続しても構わない。げんに私は今、こうして自由を奪われた身だ。決定権は君たちにある」

「お前は馬鹿か」

 度し難いものを見るような目で、ヴィーオはデスクに手をついた。

「自分から、味方を不利にする選択をしてどうする」

「いいや。不利なのは君たちだ。なぜなら、もうすでにここに向かっている私の配下たちは、自分自身や私の命さえも無視して、フェンリルという組織の存続それだけを目的としているからだ。つまり、私という人質は、すでに機能していないかも知れないのだ」

 それは、ヴィーオたちを奈落の底に突き落とす宣言だった。敵がすでに死を賭している以上、もはやどんな脅迫も通じない。そこでハッカライネンは、額にわずかに汗をにじませて言った。

「そこで、私の提案だ。君たちが助かるかも知れない、ね。ただし、それを選択するかどうか、決定するのはやはり、君たち自身だ」

「勿体つけるのはやめろ!」

「もちろんだ。もう君たちには時間がない。君たちの生命が助かる唯一の方法は、ここにあの二人が到着した時に、ある決断をすることだ」

「あの二人……?」

 それが誰を指すのかヴィーオにはわからず、ようやく理解したときにハッカライネンは言った。

「そうだ。レンレン・デ・ロス・レイエスとリネット・アンドルー、まず、あの二人がここに先に到着しなくてはならない。もし、あの二人を押しのけて、暴竜と化した団員たちがここになだれ込んできたなら

、もう私にできる事はない。私は彼らの制止を試みるだろうが、君たちは無数のフェンリル団員たちの仇だ。怒りのレーザーが、君たちの心臓や頭、全身を撃ち抜くだろう」

 そう言われて、はじめてヴィーオやその仲間たちの表情に、明らかな恐怖の色が浮かんだ。それまでにない、明らかな感情だった。

「それが恐怖だ。全ての生命が等しく備える、死ぬことへの恐怖、生きることへの渇望だ。ヴィーオ、君は生きたいと思うか?」

「いっ、生きる……?」

「君たちが生き延びられる可能性、それは、ある交換条件を飲むことだ。いや、事実上は我々による脅迫かな。まず、私の拘束を解いてもらおう」



 敵を回避ないし倒しつつ、ようやく八階まで到達したレンレンとリネットは、下階から迫ってくる仲間たちの怒号と無数の足音が、頼もしくもあり、また恐ろしくもあった。二人に先行された敵は、後背から襲ってくるフェンリル団員たちと戦うことになる。

「あいつら敵を倒した勢いで、あたし達を敵と間違えて撃ってこないだろうな!」

「祈るしかないわね」

「リネット、残りの武器は?」

「あらかた撃ち尽くしたわ。これだけ」

 リネットはエネルギーが半分くらいのアサルトレーザーライフルと、左脇のハンドブラスター、そしてアーミーナイフを示した。

「何しろ相手が手強いからね」

「まったくだ」

 敵から奪ったアサルトライフルのエネルギー残量を確認しつつ、レンレンは通路のウォーターサーバーの陰に身を潜め、リネットもそれに倣った。

「レンレン、傷は大丈夫?」

「痛みはこたえるが、仕方ない」

「もしこれ以上『能力』を使ったら、傷に響く?」

「程度による」

 レンレンは、油断して敵に撃たれた傷の乾いた血を恨めしそうに睨んだ。レンレンの持つ相手の感覚に作用する超能力は、ダイレクトに体力を消耗する。ここまで、すでに敵を翻弄するために、連続で幻覚や幻聴を仕掛けてきたため、レンレンの体力も限界に近くなっていた。

「超能力なんていっても、使い物になるかどうかは状況しだいだ」

「この土壇場で、無用にガッカリさせてくれて感謝してるわ」

「さて、ここさえ切り抜ければ、ボスが人質にとられている最上階なわけだが」

 レンレンは、通路の前後から迫ってくる気配に眉をしかめてライフルを構えた。リネットも臨戦態勢に入る。

「呑気に通させてはくれなさそうだ」

「片方だけなら二人で何とかできるかもね」

 期待と無理強いが半々くらいの視線が、レンレンに向けられた。うんざりした表情で、レンレンはリネットを睨む。

「エリコが言ってたとおりの性格だな」

「何よそれ! エリコの奴なんて言ってたの!?」

「あいつが復活したら直に訊け!」

 レンレンは、敵が挟撃してくるのを察知すると、通路南側の集団に向かって幻覚を見せた。すると、約五名の集団は突然、今来た方向に銃を構えたまま引き返してしまう。何事かと北側の四名が混乱をきたした隙をついて、リネットが飛び出してライフルの連射を浴びせた。反撃する間もなく、黒い制服の若い男女は一瞬で、喉や胸を射抜かれて古びたコンクリートの床に倒れ伏した。リネットは何の感慨も見せない様子で、敵の武器を奪い取ると片方をレンレンに突き出す。

「階段だけ登っていけたら、こんなことしなくて済むんだけどね」

「仕方ない。登るたびに上から横からレーザーが飛んできて、フロアに追い込まれる」

「まだこのフロアに敵がいるかも知れない。念の為片付けておこう」

 そう言ってリネットが、奪い取ったライフルの試し撃ちをした時だった。感覚に直接、『何か』がうったえてくるのをリネットは感じて、かすかに寒気を覚えた。

「……まただ」

「あれか」

 ここまで何度も感じてきた感覚を、レンレンも同時に感じ取っていた。目に見えない『誰かの声』が、リネット達に『指示』を飛ばしてくるのだ。もうすでに慣れっこになっている二人は、その内容を確認するように、互いに頷き合った。

「よし。行くぞ」

「ええ」

 二人はまだ真新しい、おそらく新型のライフルを構えると、いま倒した敵の死体を乗り越えて、階段のある方向に走った。


 声は、二人にこう告げていた。

「残存する敵を下から上がってくるフェンリル団員に任せ、早く執務室に向かえ。時間がない」

 と。

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