(59)狼たちの咆哮
唐突にテレーズから告げられたその名に、おそらくは目の前に迫っている死を認識しつつも、マーカスは首を傾げずにいられなかった。
「例の、なんだか得体の知れない直感を持ってるっていう少年ですか」
「そうだ。さっき、あたしの背筋に走った、あの妙な直感と閃きは、あいつと会話していた時の感覚に似ている」
メインディスプレイに示された戦況マップを睨みながら、テレーズは眉をひそめた。
「どういう方法かはわからない。だが、軍がテレパシー技術を研究していた事もあった」
「大崩壊がなけりゃ完成していたとか、一部の学者が言い張っていた、あれですか。大佐の口からそんな話が飛び出すとはね」
どうやら冥土の門はすでに開いていて、悪魔たちが花道を作って待ちかねているらしい。マーカスは苦笑したが、テレーズは真顔だった。
「いいかい、マーカス。艦の制御はオートで行えるが、砲撃はマニュアルだ。あたしは主砲関係をやる。お前は連射砲を担当しな。どのみち、この人数じゃまともな照準なんてできっこない。手当たり次第にぶっぱなしてやればそれでいい」
「いいですよ。最後に派手に花火を上げるのも、大佐らしい」
「その軽口をもう聞かなくて済むと思うと、せいせいする」
二人はゲラゲラと笑うと、直立して互いに敬礼した。マーカスは、テレーズの眼差しをその瞳に焼き付けた。
「特殊部隊時代から、世話になりました」
「あたしもだ。色々面倒かけたね」
「慣れっこです。来世じゃ、俺が上司になってこき使ってやりますよ」
「そいつは楽しみだ!」
テレーズがマーカスの肩をバンと叩くと、二人はすぐに砲手の席に着座し、オートコントロールが起動するのを見守った。マップでは、ようやく敵艦隊も態勢を整えたらしく、今度こそこちらを殲滅するために、包囲するような陣形に展開を始めた。
だが、今度ばかりはテレーズが、一手先を取った。あの、テレーズに囁きかけた謎の声が、そうさせたのだ。テレーズ艦隊の最後の三隻は、まだジェネレーターが不完全なバリアを展開しつつ、高速で敵艦隊へと接近した。
「まだだ! まだ撃つな!」
テレーズは、レーザーが飛んでくる中で叫んだ。バリアは軋み、破れて、船体は少しずつ炎を上げ始めた。海上に避難した船員たちは、自軍の最後の艦が轟沈する瞬間を目の当たりにするのだと、十字を切って祈った。テレーズに不満を示していた兵士たちも、その最期を見届けよう、と敬礼した。
だが、様相は衆目の考えるそれとは、やや異なる方向に変化した。否、変化ではない。テレーズは最初からそれを狙っていたのだ。
敵艦隊四隻に対して、テレーズ艦隊三隻。その三隻は、敵の四隻の間に、いつの間にかきれいに挟まる形で食い込んでいた。一瞬、ほんの一瞬だが、敵艦隊は砲撃を止めた。なぜなら、その射線上には自軍の艦もいるからだ。七隻は完全にひとつのライン、それも互いがレーザーの射程内にある。敵を撃てば、味方も同時に攻撃することになる。このとき、すでに結果は定まっていた。
「撃て!」
テレーズの号令とともに、三隻の鉄の龍が咆哮をあげ、その炎と牙で襲いかかった。中央にいた敵艦二隻は、テレーズ艦隊左右からの挟撃、集中砲火を浴びて、その異様な流線型の船体の横腹から、ついに炎を上げて轟沈していった。
しかしテレーズ艦隊の三隻もまた、自らの砲撃の余波を受け、すでに息も絶え絶えの様相だった。テレーズとマーカスが乗る旗艦タンザナイト号は、もう放っておいても沈むだろう。
だが最後の最後で左右に残っていたテレーズ艦隊の二隻は、テレーズのコントロールによって、残った敵艦二隻めがけて、炎を上げながら突進していった。その横腹に、船体そのものが巨大な質量の砲弾となって突き刺さると、互いのエネルギージェネレーターが反応して大爆発を起こし、海上には高熱を伴った暴風が吹き荒れた。
敵の撃沈を見届けたタンザナイト号は、熱風に煽られるように船体を大きく傾け、爆煙とともに太平洋の底へと消えていった。
テレーズ・ファイアストン准将の、中将への二階級特進が告知されたのは、それから四二分後のことだった。
◇
フィジー沖で艦隊戦が展開されていたのと並行して、正体不明の相手に占拠された海賊フェンリルの本部ビル最上階では、ヴィーオと拘束されたハッカライネンが対峙を続けていた。
「実をいうとな、ハッカライネン。お前がこういう態度に出る事は、最初からわかっていた」
ヴィーオは、向けていたブラスターの銃口を下げると、デスクに片手をついてハッカライネンに迫った。
「お前が恐ろしく肝の据わった男である事は、周知の事実だ。たとえ味方を百人殺されようと、その矜持を変える事はあるまい。僕が驚いたのは、あの侵入者ふたりについてであって、あなたではない。ここまでの僕の演技も、なかなか堂に入っていただろう?」
「わかっているなら、なぜこんな茶番に時間を割くのだね? 君たち自身の被害も、相当なものだろうに」
「お前に言う必要はない」
ヴィーオが不敵に笑うと、ハッカライネンはやや真剣な瞳を向けた。
「フェンリル本部占拠、いや、この海域で黒旗海賊までも動かして紛争状態を設定すること、それ全体がひとつの陽動だった。そういうことだろう?」
「なぜ、そう思う?」
「考えなくてもわかることだ。君たちが何者なのか知らないが、そもそも君たちに、フェンリルを掌握してこの海域を支配することに、何のメリットもないからだ」
ハッカライネンは、そう断言した。
「そうではないかね? これだけの事をしでかせば、仮にフェンリルを乗っ取ったとしても、海軍は君たちを警戒するだろう。それどころか、ニュージーランド沖での戦闘が終結しだい、即座に君たちの排除に動き出すに違いない」
ヴィーオは、室内に控える他の団員たち同様、無言だった。それはどこか、考えることを放棄している人間にも、ハッカライネンには感じられた。
「つまり君たちは、何らかの目的を達成した時点で、撤退する算段なのではないか?」
「目的? どんな」
焦っているのか、演技なのかはわからないが、ヴィーオや団員たちの表情には、それまでにない不安のような色が見え隠れするのに、ハッカライネンは気付いた。それはまるで、子供が見たこともない動物を怖がるような表情にも思えた。
「逆に聞こう。君たち……いや、ヴィーオ。君にはどんな目的がある?」
「なに?」
「君自身だよ。他の誰でもない、ヴィーオという人間個人の、生きる目的だ。存在する理由だ」
その言葉は、ヴィーオの中にある何かを、ほんの僅かだが刺激したようだった。ヴィーオの目には明らかに動揺の色が浮かんだが、まるで何かにすがるように天井を向くと、すぐにまた元の冷たい表情に戻った。
「戯れ言を話す必要はない」
「そうかね? 私には今、新たな目的ができたよ」
「……なんだと」
「そうだ。私は今、君たちを救わなくてはならない、と感じ始めている。遠くから君たちに指示を送っている、得体の知れない何者かの支配からね」
ここでついに、ヴィーオの、いや、室内にいる団員全員の表情に崩れが見えた。
「ヴィーオ。君か、君たちの誰かがさっき、私の聞き間違いでなければ、『クイーン』と言ったね。クイーンとは何だ?」
「……黙れ」
「それが君たちに指示を送っている司令塔か? それは誰だ? どこにいる? もしかして軍の関係者か?」
「黙れ!」
ヴィーオは、デスクのど真ん中にブラスターを一発放った。レーザーはデスクを突き抜け、特殊硬質材の床を五センチメートルほど抉ると、焼け焦げの匂いが室内に漂った。
「お前、やはり知っているな、ハッカライネン」
「さっきも言ったとおりだ。私はこれまで得られた情報から、推測を立てているに過ぎない。そして君たちの行動を観察する限り、君たちは逐次、何らかの指示を受けて行動している。それが、特段訓練を積んでいるようにも見えない君たちが、少数でこれだけの事を達成できる理由だ」
ハッカライネンは推測といいながら、そう断定した。ヴィーオの目には、明らかに苛立ちと、怒りの色が浮かび上がっており、周囲に控える他の団員たちは、ヴィーオの指示を待つような目を向けていた。
「僕らの真実がどうであれ、お前達フェンリルが今日、消滅する運命は変わらない。タラカン島をはじめ、お前達の拠点は今頃、黒旗海賊どもに制圧されているさ」
「ほう、それは困った」
「余裕をかましていられるのは今だけだ」
ヴィーオはヘッドセットに指をかけ、ハッカライネンを見据えたまま、どこかに通信をつないだ。
「僕だ。そっちはどうなってる」
聞かなくてもわかっている、という様子でいたヴィーオだったが、無線の向こうからの返信に、すぐにその顔が青ざめた。
「なんだと!?」
「言ったとおりだ、繰り返す! スラウェシ島および北カリマンタンに展開している黒旗海賊は、フェンリルに多数の損害を与えたものの、戦況悪化でフィリピン方面に撤退している!」
無線の向こうでは、明らかに動揺と混乱をきたしている様子が、横で聞いているハッカライネンにもわかった。ヴィーオは必死で冷静さを保とうと努力したが、通信内容は努力では変える事ができなかった。
「なぜそうなる!?」
「黒旗の無能どもが、フェンリルの奴らに隙を突かれた。北マルク州の、手薄になった奴らの本拠地を急襲されたんだ」
「なんだと!? つまり……」
「そうだ。黒旗海賊の本拠地は、海賊フェンリルに制圧された。黒旗の首領ともどもな」
それは、ヴィーオにとってあってはならないシナリオだったことを、その表情からハッカライネンは読み取った。ヴィーオは冷や汗を浮かべながら、食い下がるように訊ねた。
「だっ、だが、フェンリルは奴ら自身の縄張りを防衛しなければならない筈だ! 町や村や、人間を見捨てて、黒旗のアジトに攻め入ったというのか!?」
「そこだ。奴ら、信じられないことを実行してきた」
無線の相手は、ほとんど敬服したような声色で、淡々と説明した。
「フェンリルの幹部、データによればエドモンド、ファジャル、アンダル。この三人はそれぞれ、ごく狭いエリアを放棄して、村民や非武装の団員を船に乗せたまま、北マルク州に攻め入ったんだ」
◇
同じころ、フェンリル本部ビル最上階を目指すレンレンとリネットにも、タラカン島の団員からバンダ海域の戦況の報告が届いていた。
それによると、タラカン島で黒旗海賊を迎え撃つ態勢を取っていたアンダルが、唐突に作戦の変更を指示してきた。タラカン島北部の非武装の人員を駆逐艦や揚陸艦など、乗れるスペースがある船に乗せてしまい、港町を物資ごと放棄して、戦闘員とともに北マルク州に向かったという。
ほぼ同時に、示し合わせたかのように、スラウェシ島方面でもファジャルとエドモンドが、まったく同じ作戦を取った。非戦闘員を引き連れた三つの強襲部隊の指揮官は、防衛線を信頼できる副官に任せ、自身らはこの北マルク州が手薄になった時を、黒旗海賊を倒す絶好の機会として利用したのだ。
「アンダル達が、同時に同じ作戦を考えたっていうのか!?」
レンレンは、傍受されている事も構わずに確認した。アンダルは単独では極めて優れた技量や判断力の持ち主だが、部隊を率いたり、作戦を立案する能力は、優秀ではあっても突出したものでもない。すると、通信相手であるタラカン島の戦闘員は、訝しげに言った。
「いえ……アンダルさんは、『作戦が突然降ってきた』っていうんですよ」
「降ってきた?」
なんだ、それは。タラカン島で有名な占い婆さんでもあるまいに、とレンレンは首を傾げた。
「俺は、アンダルさんから防衛を命令された副長に従ってるだけなんで、それ以上のことはわかりません。あっ、そのアンダルさんですけどね。命に別状はないものの、派手にやられたみたいで、今回はもうギブアップだ、後はお前らに任せると言って船に戻ったそうです」
「大丈夫なのか、あのおっさん」
アンダルのことだ、どうせ重傷でも、周囲には余裕のふりをするに違いない。その性格をよく知っているレンレンだけに、万が一のこともないとは言えない、とそれなりに覚悟を決めつつ、自身もつとめて冷静に振る舞った。
「それで、戦況はどうなんだ。こっちの被害は?」
「本拠地を制圧されて、残ってた黒旗どもはフィリピン方面に逃走しました。こっちは戦闘員の負傷者多数……死者、タラカン島で確認されているだけで六七名」
一瞬、通信の声が途切れた。
「非戦闘員の負傷者もそれなりに出ています。死者五名。スラウェシ方面は未確認」
「物的損害は?」
「強奪された物資多数。破壊された船舶や家屋や装備類、被害甚大」
「少なくとも、黒旗どもは追い払ったんだろう」
団員たちをいくらかでも元気づけるため、レンレンは言える範囲の言葉を選んだ。隣ではリネットが、撃ち尽くしたバズーカだのを放り捨てて身軽になり、敵から奪ったレーザーライフルの感触を確かめている。
「状況はわかった。あたしはこれから、フェンリル本部の奪還に向けて動く。そっちの後始末は頼んだぞ」
「了解しました、ご武運を」
互いに見えない敬礼を交わし、通信は切られた。
「ということだ。行こう、リネット」
「アンダルは無事なのかしら」
「無事だろうと何だろうと、今あたしにできる事は、このビルを占拠した奴らを叩きのめす事だけだ」
レンレンは敵から奪った、自身のレーザーライフルと互換性のあるエネルギーパックに交換すると、五階へと上がる階段を睨んだ。
「さて、どう考えてもここを上った先には、レーザーの歓迎が待ち構えているわけだが。軍人のリネット元少尉としては、何か作戦はあるか」
「作戦なんてご大層なもの、立てられる状況じゃないわね」
リネットは防弾チョッキの装備類をあらため、ポケットにあった化粧のコンパクト大の何かを手にすると、通路の奥を睨んだ。
「階段は何箇所?」
「この北西と、対角線の南東の二箇所だ」
「つまり、敵は両方で私達を迎え撃つ態勢を取っている」
考えるまでもない事だった。少なくともリネット達より割ける人員は多い以上、それを遠慮なく活用してくるに決まっている。
「考えるだけ無駄ね。突入する」
「結局そうなるのか」
もう仕方ない、とレンレンも諦めて、レーザーライフルを構える。そして階段を上がろうと足をかけたそのとき、突然ビルの館内放送が流れた。
「侵入者諸君へ。我々は君たちフェンリルのボス三名を人質にしている。これ以上抵抗することは、彼らの生命の保証がなくなる事を意味する」
模範のような脅迫が、硬いコンクリートに響く。
「君たちの動きはわかっている。レンレン・デ・ロス・レイエス、リネット・アンドルー。武装を解除して上がってこい。投降するなら命の保証はする」
その尊大な口調に、レンレンは思わず吹き出した。
「保証しないと言った舌の根も乾かないうちに、保証する、か」
レンレンはわざと無線をオンにして、相手が傍受している事を承知で言い放った。
「いいだろう。後に言ったほうを信じる事にしよう」
「レンレン!」
「いいんだ。フェンリルにはこういう時、命をかける掟がある」
リネットが、正気かとレンレンを睨んだ。だが、レンレンが覚悟を決めたように頷くと、リネットも諦めたような表情で、小さく頷き返す。
年季が入った階段を、ふたつの足音が上ってくる。黒地に紫のラインが走る制服の男女が、ライフルやブラスターを向け、待ち構えていた。頭を出した瞬間、間髪入れず撃ち抜く用意が彼らにはあった。
だが、階段を最初に上ってきたのは、人間ではなかった。階段下から投げ込まれたそれは、けたたましい音を立てて通路の床を跳ね回ると、閃光と耳をつんざくパルスを放ち、制服の戦闘員たちは目や耳を覆って慌てふためいた。
その混乱の一瞬をついて階段から飛び出したリネットとレンレンは、混乱の渦中にいる戦闘員たちに容赦ない銃撃を浴びせた。通路は一瞬で、男女関係ない死体が折り重なる、阿鼻叫喚の地獄と化す。瞳孔が開いた女の目が凝視するのに一瞥もくれず、レンレンは叫んだ。
「フェンリルに入団した者が、最初に叩き込まれる掟を教えてやる! フェンリルの首領は、敵に屈することを許さない! たとえボスの生命を盾に取られても、絶対に引き金から指を離すな!」
その鉄の掟が無線を通じて流れると、ビル下階やビル周辺で待ち構えていたフェンリル団員たちの目に、獣のような光が走った。
「もはや、これ以上の膠着は許されない! まだ拘束されている団員たちも、フェンリル団員である以上、生命を張ってもらう! 死ぬ時はこのあたしを恨め! マルシャ、聞こえるか。指揮を一任する、全員突入だ!」
レンレンの号令に、団員たちは沸き立った。それは、海の狼たちが牙をむいた瞬間だった。




