断章・天使たちの困惑
深夜の千場市梅見川区。
首都圏内とはいえ千場市中心からそれなりに離れているため
深夜ともなれば人も車も出歩く姿はほとんど無くなる。
もちろん国道14号や国道357号線沿いはその限りではないが
終電近くなった総武線や京成線の駅回りも
大した大きさの駅ではないだけあり人気はまばらだ。
新梅見川駅から海方面の陸橋を越えてすぐに、梅見川区教会はある。
どこから見ても単なる地方の小さな教会兼集会所。
だがあくまでそれは表向きの姿、実態は違う。
時折、この教会には深夜数人の男女が訪れる。
…深夜の密会、と言えば卑猥に聞こえるが
彼等には卑猥な目的など欠片もない。
彼等は神の使徒、『天使』なのだから。
◆
礼拝所と呼ぶには小さい集会所の如き部屋に
4人の男女が集っている。
ここが礼拝所であると申し訳程度に主張するかのような
ステンドグラスから差し込む月明りと
何本かの燭台の淡い蝋燭の光のみを頼りに彼等は何事かを語り合っていた。
「………解かりませんね」
幻想的に炎が揺れる薄闇の中、まとめ役らしき初老の男が唸る。
「ですがクラフィエル様、青森での調査も裁判所の審議も
特に怪しい部分はありませんでした」
「千場警察にも区役所にも探りは入れましたが、
書類上おかしな点はありません」
「……監視に対して例の娘は気づいている様子でしたが、
それと言って動きもなく…魔法による隠ぺいもありませんでした」
人のよさそうな初老の女性、中年の女性、気難し気な中年男性。
どこにでもいそうな、ありきたりという呼び方こそが相応しい一般人達が
初老の男の前に跪き、報告を上げる。
全員が十字教の聖印を身に纏っているのが特徴といえば特徴か。
彼等は皆、『天使』である。
忠実なる神の使徒であり、長きにわたってこの梅見川地区を防衛してきた
歴戦の天界の先兵でもある。
………とはいえ初老の男クラフィエルにして位階は「大天使」。
他の者たちは全て「天使」である為、力の程度は知れているのだが。
それでもこの4人で数えきれないほどの淫魔の浸透を排してきたのだ。
歴戦に恥じぬ経験は備えていた。
故に今回の件、「新たに現れた悪魔の少女」に対しても
一切の油断なく入念な調査を行っていた、のだが。
「皆の調査のおかげで、件の少女は『淫魔ではない』という事だけは確定、
といったところですか」
頷く皆を前に、クラフィエルは困惑を隠せない。
長い間天界の先兵として邪悪なる悪魔たちを
社会の闇に潜みながら屠ってきた彼であるが、
その戦歴の中でも契約者の隣に淫魔がいない、という例は初めてだったのだ。
悪魔の浸透戦術は戦前ごろから一貫して変わらない。
必ず契約者に淫魔をあてがい、悪魔の魂を宿した子供を産ませる。
生まれる子供はかなり強大な力を有する事が多いため、
淫魔に妊娠されるまでに発見、駆逐しなければ甚大な被害が出る。
現在日本で確認された大物は関東のオセ、関西のアガレス、
九州のヴァプラの3体で、うちアガレスは多数の犠牲の下討伐された。
人の身に受肉する以上、ある程度成長するまでは大悪魔と言えど
十分な力を発揮しえない。
それ故に淫魔は契約者を養育者として寄生するわけだが
大抵の契約者は淫魔の奴隷と化しており、淫魔を排したとしても
彼等の多くは隷属した主を失ったショックで廃人になる。
当然ながらクラフィエルたちは天の先兵として戦う上で
淫魔を失い、絶望して狂ったように泣き叫ぶ者たちを何度も見てきた。
そのうち幾人かは更生に成功し新たなる神の信徒として導く事も叶ったが、
救えなかった者たちの叫びは、今なお彼らの心の傷となっている。
「日崎ほのかという少女、悪魔であることは確実ですが
千場駅で人ごみに怯え泣いていた、父親が大好きで微笑ましい、など
邪悪とは程遠い証言ばかりが上がっております」
「彼女の母親、ソーニャなる女性が淫魔であった可能性はありますが
既に亡くなっていて調査が及びませんでした」
わざわざ青森まで調査に向かった老女も、中年女性も、
これまで相手取ってきた悪魔たちとの違いから戸惑いが隠せない。
それもそうだろう。
彼女たちが戦った多くは女の敵。
不義不倫をまき散らし、悪魔の子を産む淫魔が相手で
幼い子供の悪魔など今回初めて相対するのだから。
天使としての役目は理解していても、一人の人間として、女性として、
幼い子供に手をかけるという行為に忌避感を感じるのは当然と言える。
長年地域の布教活動にも貢献してきた仲間なのだ。
戦士としてそれはただの甘さ。
だが、慈悲の心こそ神の愛に通づるもの。
憎むべき敵であれ慈悲の心なくして討つは単なる暴虐…。
それを理解しているクラフィエルだけに、責めるに責められずにいる。
「…このところ千場周辺でオセの姿が確認される報告が多数ありました。
件の少女の父、日崎実利は千場に転居する前は
東京都多摩市に在住していた記録があります。
神父様、彼はそこで既にオセから何らかの指示を受けていた…
とは考えられませんか?」
クラフィエル以外の唯一の男性がそう進言する。
若い頃に事故で妻を亡くしたこの男は、長きに渡りクラフィエルの腹心として
教会の仕事の裏表問わず、寡黙に、確実に、実直にこなしてくれた。
今回もわざわざ有休をとって監視任務にあたってくれている。
彼の言葉にはクラフィエルや他の仲間たちを納得させるだけの重みがあった。
「ふむ……オセが『あのお方』に敗れ、先を見越して策を打った…
『悪魔の婚活』が上手くいかない場合の腹案、という事ですか。
もしもそうだとするなら今後もこう言った搦め手の浸透策を
打ってくる可能性が高いとも言えますね」
「……なんと悪辣な!」
「こちらの良心を逆手に取るなど、許しがたいですわ!」
相手が子供かもしれないという事で躊躇いがあったご婦人方も、
それが策略でしたともなれば意識も変わる。
途端に『騙された!』と手のひらを反すあたりは
天使とはいえ所詮は下級である証左なのかもしれない。
神のみぞ知る事柄ではあるが。
「いずれにせよ、もう数日の間彼らの調査は続けます。
可能な限り彼らの戦力を暴きつつ……
来週の頭を目途にこちらから仕掛けましょう」
「「「はっ」」」
クラフィエルとしては今回の相手は明らかにイレギュラー。
これまでの淫魔相手とは状況が違うという認識からかなりの不安を抱えている。
(応援を呼ぶべきでしょうか…いや、いくら相手の正体が
正確につかめていないとはいえ、こちらも場数は踏んでいます。
仮に中級悪魔だったとしても後れを取ることはないはず。
契約者にしてもいまだに真面目に働いているというのは
どこかおかしい気がするのですが……
この違和感、気に入りませんね)
襲撃の日は、近い。
次回から2章です。
一応来週くらいからの予定です。




