第八十五章 五反の布の値段
翌日。
安生はまず、王家の米屋へ向かった。
王福は帳面をつけていた。
安生を見ると、
「また来たのか」
と言った。
「五反の布を調べたい」
王福は笑った。
「今度は布まで調べるのか」
「帳面に値段はある?」
「ある」
王福は古い帳面を取り出した。
六月十二日のところを開く。
指で一行を示した。
「ここだ」
南布三匹、米一石と引き換え。
安生が聞く。
「ここには、どうして値段が書いてない?」
「売買じゃないからだ」
「じゃあ、どうやって交換した?」
「その時に双方で決めた」
「誰が決めた?」
「周長順だ」
「王家は同意した?」
「親父が同意した」
「親父さんは、誰の荷物か知っていた?」
「知らなかった」
安生は頷いた。
「じゃあ、どうして三反の布を一石の米と交換できると判断した?」
王福は言った。
「俺たちが決めたんじゃない」
「周長順が言った」
「この数だって」
「親父が計算してみて」
「まあ、そんなものだろうって」
「それで受け取った」
安生が聞く。
「どれくらい違った?」
「何が?」
「普通の値段なら」
「南布三匹で、どれくらいの米になる?」
王福は首を振った。
「それは簡単には計算できない」
「どうして?」
「南布にも良いものと悪いものがある」
「幅も違う」
「厚さも違う」
「柄も違う」
「値段も全部違う」
安生は頷いた。
「つまり」
「三匹というだけでは」
「価値は判断できない」
「そういうことだ」
⸻
「じゃあ六月十四日は?」
王福はさらに帳面をめくった。
「ここだ」
南布二匹、米二石と引き換え。
安生は眉を寄せた。
「同じ南布なのに」
「三匹で一石」
「二匹で二石?」
王福は頷いた。
「帳面上はそうだ」
「どうして、こんなに違う?」
王福自身も眉をひそめた。
「その時は考えなかった」
「今なら?」
「貨物が違ったか」
「計算を間違えたか」
「それか……」
そこで言葉を止めた。
「それか、二回目は布の値段で計算していない」
安生が顔を上げる。
「どういう意味?」
「周長順が米の借りを急いで片づけたかったんじゃないか」
「だから、双方で直接、数字を決めた」
安生が聞く。
「市場価格じゃない?」
「そうだ」
⸻
安生は帳面の内容を書き写した。
それから聞いた。
「お父さんは、この二回の布を覚えてる?」
王福は首を振った。
「俺はその時、いなかった」
「お父さんは?」
「もう死んでる」
安生はそれ以上聞かなかった。
⸻
午後。
安生は老梁のところへ行った。
「梁叔」
「また南布か?」
「そう」
「聞きたいことがある」
「昔、南布はどうやって値段を決めていた?」
老梁は少し考えた。
「匹で決めることもある」
「尺で決めることもある」
「どちらでもいい」
「碼頭では?」
「碼頭では包で記録する」
「布の値段までは記録しない」
「なぜ?」
「碼頭は荷を受け取る場所だ」
「売る場所じゃない」
安生が聞く。
「じゃあ、誰かが南貨三包を持ち出して」
「それを米と交換した場合」
「碼頭は値段を確認する?」
老梁は首を振った。
「普通はしない」
「貨主と受け取る側の話だからな」
安生はさらに聞いた。
「もし貨主がその場にいなかったら?」
老梁は安生を見る。
「それなら、なおさら勝手には決められない」
「誰なら決められる?」
「権限を持っている人間だ」
「もし口頭で言われただけなら?」
「それでもいい場合はある」
「でも少なくとも」
「それを証明できる人間が必要だ」
安生は頷いた。
「たとえば?」
「番頭」
「帳場」
「貨主本人」
「あるいは、その場にいた人間」
安生が聞く。
「もし番頭一人だけが」
「貨主は同意した、と言っていたら?」
老梁は黙った。
「そのあと問題になったら」
「番頭に聞くしかない」
⸻
安生は老梁のところを出た。
すぐには家へ帰らなかった。
そのまま古い布屋へ向かった。
今はもう主人が変わっている。
だが、昔からいた老人はまだ店にいた。
老人は銭という姓だった。
若い頃から南陵で布を商っていた人間だ。
安生は聞いた。
「銭叔」
「二十年以上前」
「南布はだいたい、いくらだった?」
銭老人は笑った。
「何年の話だ?」
「二十三年前」
「六月」
「その頃の南布は高かったぞ」
「どれくらい?」
「物による」
「普通の南布なら」
「一匹で、米どれくらいになる?」
老人はしばらく考えた。
「だいたい半石くらいだ」
安生はすぐに聞いた。
「半石?」
「ああ」
「じゃあ三匹なら」
「だいたい一石半?」
「そうだ」
安生はさらに聞いた。
「二匹なら?」
「一石くらいだ」
安生は何も言わなかった。
王家の帳面の数字とは、
ちょうど逆だった。
六月十二日。
三匹。
一石。
六月十四日。
二匹。
二石。
老人は安生を見る。
「ただし」
「これで事件を計算するなよ」
「どうして?」
「俺が言っているのは普通の布だ」
「お前が調べている五匹が」
「どんな布だったかは知らん」
「それに二十年以上前だ」
「値段もかなり変わっている」
安生は頷いた。
「分かってる」
「だから記録するだけだ」
⸻
夜。
安生は三つの数字を並べた。
王家の帳面。
三匹 → 一石。
二匹 → 二石。
銭老人の記憶。
普通の南布なら、一匹あたりおよそ半石。
三匹なら、通常は一石半ほど。
二匹なら、一石ほど。
だが、それだけでは何も断定できない。
ただ、
六月十四日の二匹は、
普通の見積もりより明らかに高い数字で米と交換されている。
六月十二日の三匹は、
逆に普通の見積もりより低い。
安生は、この二つを直接つなげなかった。
貨物が違う。
品質が違う。
時期も違う。
それだけでも説明はつく。
⸻
翌日。
安生は再び梁成のところへ行った。
「一つ聞きたい」
「何だ?」
「あの三包の荷物」
「その時、中を開けたか?」
梁成は首を振った。
「開けてない」
「中身は分かっていた?」
「分からない」
「南貨だということだけ?」
「そうだ」
「あとで誰かから、南布だと聞いた?」
「聞いてない」
「じゃあ、どうして三包だと覚えている?」
梁成は少し考えた。
「俺が運んだからだ」
「一人で?」
「そうだ」
「重かった?」
「けっこう重かった」
「布みたいだった?」
梁成は考え込んだ。
「たぶん」
「たぶん?」
「昔、布も運んだことがある」
「手触りが似ていた気がする」
安生が聞く。
「中から音はした?」
「しなかった」
「木の音は?」
「ない」
「金属は?」
「ない」
「じゃあ、確定はできない」
梁成は頷いた。
「そうだな」
⸻
安生はさらに聞いた。
「老高が持っていった二包」
「中身を見た?」
「見てない」
「何だったか聞いた?」
「聞いてない」
「じゃあ、どうして五匹の布だと思った?」
梁成は一瞬、呆れたような顔をした。
「俺は五匹なんて言ってない」
安生も一瞬止まった。
「前に言っただろ」
「三包を王家へ送ったって」
「そうだ」
「じゃあ、王家の帳面にある三匹の南布は」
「自分が運んだ三包じゃないのか?」
「分からない」
安生は黙った。
この言葉は重要だった。
これまで誰もが、
三包の荷物と、
三匹の南布を、
無意識に同じものとして扱っていた。
だが梁成は一度も、
自分が運んだ三包が三匹の布だったとは言っていない。
彼が言ったのは、
王家へ送った、
それだけだった。
安生はすぐに、その箇所に線を引いた。
「三包 ≠ 三匹、未確認」
さらに書き加えた。
「三包の実際の中身は不明」
そして。
ふと、別のことに気づいた。
もし三包の中身が布ではなかったとしたら。
六月十二日に王家が受け取った三匹の南布は、
いったいどこから来たのか。
⸻
午後。
安生は王福のところへ行った。
「王叔」
「六月十二日」
「あの三匹の南布」
「誰が持ってきた?」
王福は答えた。
「親父の帳面には、碼頭と書いてある」
「具体的には誰?」
「分からない」
「名前を聞いた記憶は?」
「ない」
「臨札は?」
王福は首を振った。
「書いてない」
「周長順の名前は?」
「聞いた」
「誰から?」
「持ってきた男だ」
「何て言った?」
「周掌柜に頼まれて持ってきた、って」
安生はすぐに聞いた。
「その男は誰?」
王福は首を振った。
「覚えていない」
「お父さんは見ていた?」
「見ていた」
「何か特徴は?」
「若い男だったことしか覚えてない」
安生は黙った。
また一人。
新しい人物が出てきた。
若い男。
周長順に頼まれて、
三匹の南布を王家へ持っていった。
そして梁成は、
自分が三包の荷物を王家へ送ったと言っている。
二人の経路は、
重なっている可能性もある。
まったく別のものかもしれない。
⸻
安生は家に戻った。
そして、もう一度すべてを整理した。
六月十二日。
梁成。
三包の南貨を受け取った。
王家へ送った。
王家。
三匹の南布を受け取った。
持ってきた人間の身元は不明。
その人間は、
周長順に頼まれたと言った。
二つの出来事の間には、
一つの空白がある。
「三包の南貨が開けられ、
三匹の南布だと確認された」
その事実がない。
だから、
二つが同じ荷物だったとは証明できない。
⸻
安生は紙を見つめた。
そして、ふと笑った。
答えを見つけたからではない。
この事件で、
最も簡単に犯してしまう間違いに、
ようやく気づいたからだった。
時間が近い。
数量も似ている。
場所も同じ。
そこに同じ人物が関わっている。
だからといって、
二つの出来事をそのまま一つにつなげてはいけない。
事実は、
ただ似て見えているだけかもしれない。
安生は筆を取った。
紙に、
「似ていることは、証明ではない」
と書いた。
だが、すぐに線を引いて消した。
あまりにも、
道理を説いているように見えた。
最後には、
こう書き直した。
「現時点では、二つの出来事に関係がある可能性がある」
⸻
夜。
沈砚が来た。
安生は最新の調査結果を話した。
沈砚が聞く。
「じゃあ、あの三包の荷物は」
「三匹の布だったのか?」
「分からない」
「三包の荷物は、お前の父親のものだったのか?」
「分からない」
「じゃあ、王家が受け取った三匹の布は、お前の父親のものだったのか?」
「それも分からない」
沈砚は黙った。
「ここまで調べて」
「何も確定してないみたいだな」
安生は首を振った。
「違う」
「かなりのことは分かってきた」
「少なくとも」
「当時の米の借りは本当だった」
「南布で米を返したことも本当だ」
「周長順が誰かに荷物を運ばせたことも本当だ」
「梁成が三包の荷物を運んだことも本当だ」
「でも」
「この四つの事実を」
「そのまま一つの事実にしてはいけない」
沈砚は安生を見る。
しばらくして、
「分かった」
と頷いた。
⸻
翌日。
安生は再び王家へ行った。
今度は、
王福のほうから一枚の紙を出してきた。
「昨日の夜、また思い出した」
「何を?」
「布を持ってきた男だ」
「親父が昔、話していた」
「碼頭の決まった人間じゃなかったらしい」
安生は顔を上げた。
「碼頭の人間じゃない?」
「そうだ」
「臨時の使い走りだったらしい」
「名前は?」
「たしか、馬姓だった」
安生の手が止まった。
「馬?」
「ああ」
「若い男?」
「ああ」
「その日、もう一人一緒にいた?」
王福は考えた。
「親父はそこまでは言ってなかった」
安生はそれ以上聞かなかった。
ただ、
「馬姓の若い男」
と紙に書いた。
その後ろに、
二文字を付け加える。
「要確認」
今、最もやってはいけないことを、
安生は知っていた。
「馬」という姓だけで、
この男を馬成と同一人物にしてしまうこと。
あるいは、
他の馬姓の人間と、
勝手につなげてしまうこと。
まず、
本人を見つける。
そして聞く。
六月十二日。
お前は何を運んだ。
そして、
誰に運べと言われた。




