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『安らかに生きる』 ――原題:『安生』  作者: 亀


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第七十四章 あの日、誰に会ったのか

翌日。


安生はまず、碼頭近くにある古い茶屋へ向かった。


今では主人も代わっている。


けれど、建物そのものは昔のままだった。


以前は、碼頭で働く人間がよくここへ茶を飲みに来ていた。


安生は今の主人を見つけた。


五十を過ぎた男だった。


姓は孫という。


「昔、父がここで働いていたんです」


男はそう言った。


「何を聞きたい?」


安生は尋ねた。


「二十三年前のことです」


「六月十二日」


「ここに何か記録は残っていませんか」


孫は少し笑った。


「茶屋に記録なんてものはないよ」


「人なら、たくさん来たがな」


「では、人のことを聞きたいんです」


「誰なら覚えている?」


「私に聞けばいい」


安生は彼を見た。


「その頃、何歳でした?」


「二十六だ」


「ここで働いていた?」


「親父を手伝っていた」


「あの日、何があったか覚えていますか?」


孫はしばらく考えた。


「暑かった」


「昼前から、ずいぶん人が来た」


「それから?」


「周長順を探している男がいた」


安生はすぐに聞いた。


「誰です?」


「梁という姓だった」


「梁成ですか?」


「分からない」


「梁という姓だけ?」


「ああ」


「周長順に何の用だったんです?」


「たしか、荷物のことを聞いていた」


「何の荷物?」


「南から来た布だ」


安生はそれ以上、すぐには聞かなかった。


まず確認する。


「あなた自身が聞いたんですか?」


「ああ。本人がそう言っていた」


「周長順が何と答えたかは?」


孫は首を振った。


「二人とも裏へ行ったからな」


「私はついていかなかった」


「いつ頃です?」


「昼になる少し前だ」


「梁成は一人でしたか?」


「たぶんな」


――


安生はさらに聞いた。


「そのあと、誰か戻ってきましたか?」


孫はうなずいた。


「いた」


「誰です?」


「周長順だ」


「梁成は?」


「そこまでは見ていない」


「周長順が戻ってきて、何か言いましたか?」


孫はしばらく考えた。


「一言だけ言った」


「何と?」


「『先に、いつものやり方でやってくれ』と」


安生は眉を寄せた。


「いつものやり方?」


「ああ」


「沈家のことは言いましたか?」


「言っていない」


「『点頭した』とは?」


「言っていない」


「『同意した』とは?」


「それもない」


安生はうなずいた。


この言葉だけでは、まだ大きな意味はない。


ただ、少なくとも一つ分かった。


周長順は茶屋を出たあと、


「先に、いつものやり方でやってくれ」


そう言った。


問題は、


その「いつものやり方」が何だったのか。


そこだった。


――


安生は碼頭へ戻ると、まず趙徳全を訪ねた。


「六月十二日の昼頃です」


「周長順が茶屋から戻ってくるところを見ませんでしたか?」


趙徳全はしばらく考えた。


「見たような気がする」


「誰と一緒でした?」


「一人だった」


「梁成はいませんでしたか?」


「いない」


「確かですか?」


「覚えているのは周長順だけだ」


安生は聞いた。


「戻ってきてから、どこへ?」


「東倉だ」


「どのくらいいました?」


「分からない」


「それから?」


「俺は西倉へ行った」


また、そこで途切れた。


けれど今度は、


安生は落胆しなかった。


こういう調査にも、少しずつ慣れてきた。


多くの場合、


一つの出来事を見つけるのではない。


誰も見ていなかった時間を、


少しずつ見つけていくのだ。


――


午後。


安生は呉平のところへ行った。


「六月十二日の午前中、お父さんは周長順に会っていますか?」


呉平は帳面をめくった。


ない。


「では午後は?」


それもない。


「どうしてです?」


「分からない」


安生は帳面を見つめた。


そして、ふと思いついて尋ねた。


「お父さんは、自分が扱った札だけを記録していたんですか?」


「そうだ」


「では、もし周長順が直接、倉庫に荷を出させたら?」


「記録すると思いますか?」


呉平は首を振った。


「臨時札を通していなければ、しない」


安生は少し驚いた。


「どういうことです?」


「臨時札は借りて使うものだ」


「でも、すべての荷に必要だったわけじゃない」


「顔の知れた相手なら」


「あるいは、管事の人間なら」


「そのまま倉庫に出させることもあった」


「札はいらない?」


「そういうこともあった」


安生は黙った。


「では六月十二日に、なぜ臨時札が二枚あるんです?」


「その二つの荷は」


「たぶん、臨時に札を借りて出したんだろう」


「周長順自身が直接、荷を受け取ったわけではない」


安生はうなずいた。


これは重要な情報だった。


もし周長順が直接、倉庫に荷を出させることができたのなら、


「臨時札」があるというだけでは、


周長順本人が二つの荷に関わった証拠にはならない。


分かるのは、


誰かが臨時の出庫手続きを通した、


ということだけだ。


――


安生は尋ねた。


「では、荷主が正式に同意していなくても」


「管事の人間が一言、『出していい』と言えば」


「倉庫は出したんですか?」


呉平は少し考えた。


「あり得る」


「なぜ?」


「昔は、みんな顔見知りだったからな」


「印鑑まで確認しないことも多かった」


「誰かが言うんだ」


「この荷はもう話がついている、と」


「そうすれば出してしまう」


「問題が起きたら、その時に人を探す」


安生は聞いた。


「では、最後に問題が起きたら?」


呉平は苦笑した。


「そこから互いに言い始める」


「誰が出せと言った?」


「誰が荷主の同意を聞いた?」


「誰が札を持っていった?」


「誰が見た?」


「最後には、誰にも分からなくなる」


安生は笑わなかった。


まさに今、


彼らが調べていることだった。


――


夜。


安生はその日に得た情報を書き出した。


六月十二日、午前。


梁姓の男が周長順を訪ねた。


南から来た布の話。


二人は茶屋の裏へ入った。


その後、周長順が戻ってきて、


「先に、いつものやり方でやってくれ」


と言った。


ただし、


「いつものやり方」が何だったのかは分からない。


その後。


周長順は東倉へ向かった。


そして、


誰かが臨時札の手続きをした。


二つの荷がそれぞれ出された。


午後。


陸成安は、さらに明確な言葉を聞いた。


「沈家はもう同意している」


安生は筆を止めた。


今度は先へ書き足さなかった。


紙を裏返し、


そこに二つの問いを書いた。


一つ。


梁姓の男は、いつ周長順に会ったのか。


二つ。


周長順が茶屋から戻ったあと、最初に誰に会ったのか。


安生は二つ目の問いを見つめた。


そして、ふと一人のことを思い出した。


陸成安は言っていた。


六月十二日の午前、


周長順が自分を訪ねてきた。


そして、


「沈家のほうから、もう話が来ている」


と言った。


だが、今、茶屋の主人の話では、


梁姓の男が昼前に周長順を訪ねている。


そうなると、順番は二つ考えられる。


周長順が先に陸成安に会い、


そのあと梁姓の男に会った。


あるいは、


梁姓の男が先に周長順に会い、


そのあと周長順が陸成安に会った。


まだ、どちらとも決められない。


安生はすぐに二つを書き出した。


可能性一。


周長順 → 陸成安 → 梁姓の男。


可能性二。


梁姓の男 → 周長順 → 陸成安。


その下に、もう一行加えた。


「時間を確定させる必要がある。」


――


翌日。


安生はもう一度、茶屋の主人を訪ねた。


「昨日、おっしゃいましたね」


「梁姓の男は午前中に来たと」


「ああ」


「具体的には何時頃ですか?」


「昼の少し前だ」


「もう少し思い出せませんか?」


孫は眉を寄せた。


「男が来た時な」


「親父がちょうど茶を一杯、入れ替えたところだった」


「毎日、何時頃に入れ替えるんです?」


「巳の刻の終わり頃だ」


安生はすぐに計算した。


「では、少なくとも辰の刻ではない」


「ああ」


「昼に近かった?」


「そうだ」


安生はうなずいた。


そして聞いた。


「周長順が戻ってきたのは?」


「十五分くらいあとだった」


「確かですか?」


「茶がまだ冷めていなかったからな」


安生は笑わなかった。


「それは記録しておけます」


孫は安生を見た。


「二十三年も前のことを調べて」


「本当に分かるのか?」


安生は首を振った。


「分かりません」


「ただ」


「あなたが覚えていることを」


「俺が欲しい答えに合わせて書き換えないようにはできます」


孫は一瞬、黙った。


それから笑った。


「じゃあ、もう一つ聞いてくれ」


「何です?」


「俺は覚えている」


「あの日、梁という男が帰る時」


「一人じゃなかった」


安生はすぐに顔を上げた。


「他に誰が?」


孫は首を振った。


「分からない」


「男ですか、女ですか?」


「男だ」


「年齢は?」


「梁より上だった」


「どのくらい?」


「そこまでは分からない」


「服装は?」


「濃い色の服だった」


「何か持っていましたか?」


「たしか、紙を一枚持っていた」


「どんな紙です?」


「分からない」


安生はそれ以上、聞かなかった。


ただ、その一点を記録した。


梁姓の男が茶屋を出た時、


年上らしい男がもう一人、一緒にいた可能性がある。


「可能性」という二文字には、


安生がわざわざ丸をつけた。


――


夕方。


安生は沈家へ戻り、その日のことを沈砚に話した。


話を聞き終えると、


沈砚がふと言った。


「もし、その年上の男が」


「周長順だったら?」


安生は彼を見た。


「可能性はあります」


「でも、茶屋の主人は」


「周長順はそのあと一人で戻ってきたと言っている」


「だから、二人が一緒に出たとは決められない」


沈砚はうなずいた。


「では、他に誰がいる?」


「分からない」


「馬徳順かもしれない?」


「それもあり得ます」


「陸成安は?」


「それもあり得ます」


「じゃあ、どうする?」


安生は机の上の紙を見た。


「その紙を探します」


沈砚は少し驚いた。


「なぜ?」


「茶屋の主人が言った」


「その男は紙を持っていたかもしれない」


「本当なら」


「服装より、その紙のほうが重要です」


「もし、記憶違いだったら?」


「その時は仮説として残します」


安生は言った。


「見つかってから、書き直せばいい」


――


夜も深くなった。


安生は一人で記録を整理した。


今になって、


六月十二日の時間の流れに、


初めていくつか具体的な地点が見えてきた。


午前。


周長順が陸成安に会う。


「沈家のほうから、もう話が来ている」


昼前。


梁姓の男が周長順に会う。


南の布について話す。


二人は茶屋の裏へ入る。


その後、周長順が戻る。


そして碼頭へ向かう。


そのあと。


東倉、三包。


西倉、二包。


臨時札、二枚。


午後。


陸成安が、より明確な言葉を聞く。


「沈家はもう同意している」


安生はその時間の流れを見つめた。


そして、ふと気づいた。


もし茶屋の主人の記憶が間違っていないのなら、


「沈家はもう同意している」


という言葉は、


梁姓の男と周長順が会ったあとに出てきた可能性がある。


だが、それでも証明にはならない。


梁姓の男が周長順に何かを伝えたとは限らない。


まして、その男が梁成だったとも限らない。


その男が「同意した」と言ったとも限らない。


今のところ確定できるのは、


周長順があの日、


一人ではなく、何人かの人間と順に会っていた、


ということだけだった。


そして、その人たちの間で、


同じ一つの話が、


少しずつ形を変えながら伝わっていった可能性がある。


安生は帳面を閉じた。


眠る前に、


もう一度開く。


最後の一行を書いた。


「明日は、梁成が誰に会ったのかを調べる。」


今度、安生が追うのは、


周長順だけではなかった。


言葉そのものが、


誰の手を渡っていったのか。


それを追い始めていた。

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